規制の編集による自由の獲得

自由と規制は、双方どちらも欠けてはならないモノであり、双方を掛け合わせることはやはり難題だ。
ただ、難題だからといって、放ったらかしにしていては、どちらかに偏りがでて、いずれ苦しむことになるのは容易に想像できる。

この時点で、
難題を放ったらかしにすると自分が何らかの規制地獄に陥る、
という結論に至っている。



自由と規制。
規制は自由が存在するために発生し、
自由は規制があるからこそ発生する。



自由と規制のうち、どちらかが欠落すると双方とも欠落することになる。

とはいえだ。

自由と規制は、偏る。
50:50、フィフティーフィフティーの関係性を保てない。
ある時は自由、ある時は規制。日常はその繰り返し。それはそういうものだから仕方ない、にしてしまえば、それまでだが、
そこで片をつけては、ある時ある時の偶然(自由だったり規制だったり)を待つ他ないように捉えられるため、僕としては納得がいかない。


できる限りの、自由と規制、
を求めていかなければならない。

基本的に、自由と規制でいえば、大半が規制の生活を強いられるし、それが常とされている。
そして、何らかの自由を得るために何らかの規制を耐える的な風潮もある。
だから、規制がほしくて自由を耐える、なんてことはないだろう。
仮に自由を耐えるのであれば、その自由は本来の自由と呼ばないに違いない。

本来の自由が何かは分からないが、
自由は規制の編集によってできているとは思っている。

規制の編集。
簡単に言えば、規制の組み合わせ。料理みたいなものである。

否応なしに迫ってくる、強いられる、規制は、
必ず編集が必要だ。
この編集を怠ると、
つまり否応なしの規制生活の繰り返しばかりに時間を忙殺していると、
当然自由なんてなくなり、自由すら求めなくなる可能性もある。

大前提の話だが、
日常生活における規制は、自由に選択できるし、自由に選択した結果の規制だ。
不自由で選択せざるを得ない状況なのだとしたら、その状況に自分が絡んでいる時点で、その状況を自由に選択した結果の、選択せざるを得ない状況だ。

規制、それ自体を選択しないことは、不可能だ。
しかしながら、どの規制を選択するか、それは自由である。つまり、編集はできるわけだ。
組み合わせた結果、規制的な現実も自由的な現実も出来上がる。


あらゆる自由を求めるのであれば、
あらゆる規制を全面からくらうのではなく、
日常の規制を一旦分解し、編集しなければ、
規制があってこその自由を実現できないだろう。













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