「文字」は反映する

文字の羅列を理解しようとするとき、
理解力という点において、
自分の持っている理解力とは別に自分の精神状態によってもその時の理解力が変わってくることがよくある。

ざっくり言っちゃうと、

その時の自分がプラスに働いているときは、
理解力や吸収力が高く、
その時の自分がマイナスに働いていれば、
理解力や吸収力は低くなる。


その代表例と考えているのが、

本、である。

本とか新聞とか、まあ文字の羅列があるもの全てにいえることだが、

本でいえば、心の余裕がないと単純にまず本を開く気になれない、という状態になる。

開いたとしても、上の空。

駅を電車が何本も停車しているのに、一向に乗ろうとしない状態に近い。
目の前をビュンビュンビュンビュン電車という文字が通過するだけで、文字に没頭できない状態だ。

しかし、自分の状態がいつ好転するか、それを待ちまくっても、果たしていつ好転するかなんて、時間の問題。
自分の状態基準はとにかく時間コストがかかる。


ここで、

当然自分の状態を変えればそのような問題は解決する、というのが1つの案ではあるが、
そもそも自分の状態が変わらないから問題になっている以上、

自分の状態、に対して焦点を当てること自体が誤っている。

自分の状態は、自分だけではつくることができない。
大方の場合、環境や状況が自分の状態をつくっている。


しかしだ。

この環境や状況は、他者によってつくられていると思いがちだが、

はなはだおかしい。

その環境も状況も、つまるところ、自分自身でつくりだしたものである。
その理由だが、
どんな環境状況であれ、今その環境状況に身を置いているのは、紛れもなく自分であり、
その自分がいない限り、その自分が今の環境や状況に身を置くことはできないからだ。これは当然の話。

また責任転嫁で環境状況に文句を垂れ流したところで、
その環境状況が文句で渦巻くカオス状態にしかならない。

要は、なんであれ、その環境状況を選んだのは、
自分であるということ。



そのため、環境や状況は、実は自分が作っているということをよくよく痛感しなければならない。


無論、
環境状況は、自分だけでなく人やモノなどを含む他者によって形成はされている。
その形成されている内訳のなかに、自分という存在は確実にある。

自分という存在がいて初めてその環境状況は成立する。

その証拠に、

自分は自分という存在がいない状態でのその環境状況の成立を証明することができない。
なぜなら、自分がそこにいない、からである。

自分がらそこにいる以上、その環境状況の成立は、自分が起因している。

つまり、
環境状況に影響される自分の精神状態もまた、自分が自分で作り上げた精神状態なのだ。

だからこそ逆説的に、
理解力や吸収力をあげたり自分の精神衛生面を良好にするためには、

自分の手で環境や状況を変えなければならない。そして、自分がいるから成立する以上、変えることは可能だ。

理解力や吸収力、自分の精神衛生状態、環境や状況。
この3種は全て密接に関わっている。

密接な以上、どれかの1種が変われば、紐づる式に他2種も変えることができる。

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