時間の環状化

時間という貴重な財産は、生きている上で唯一と言ってもいいだろう、取り戻すことができない財産である。

しかし、

この時間という財産は、お金のように貯めることができない。
必ず1秒1秒使わなくてはならない。
お金に関連させるなら、1秒1秒が時間口座から引かれていくようなイメージ。


時間口座から時間を毎秒引かれたくないのが通常の気持ちだろうし、それが当然だ。


でも、これは皆が皆、過不足なく同じ時間支出を行なっている。
決して自分だけではない。

そして、時間という財産はできるだけ誰か他の人のために使うべきである。
この時間という財産は不思議なもので、自分のためだけに使うと、その時間を使われた自分はその自分が時間を使ってくれていることに感謝できないし、時間を使っている感覚はあっても時間を使ってくれている感覚はない。
それはなぜか?
時間を使う側も使われる側も自分だからである。

しかし、時間を使ってもらう側が自分とは違う他の誰か=相手であれば、時間を使ってくれているという感覚は受けることができる。

自分が相手に対し使ったその時間をどのような形で返してくれるかはわからないし、返ってこないことも可能性として充分ある。

だが、時間は貸し借りできない。
時間を返せ!!!
なんて日常でもドラマとかでもあったりするが、
当然、返すのは無理だ。


時間は取り戻すことができない。

時間は貸すのではなく与えるものである。

この、自分の時間を与えるという行為。
人間が普段何気なく行なっているこの行為は、
最も感謝される行為であることに自分では気づきにくい。逆も然り、自分が相手に対し最も感謝すべきことにもだ。
断っておくが、これは感謝という見返りを求める話ではない。見返りを求めている時点で、それは与えていない、貸しているだけだ。
必ず与えなければならない。

その理由について。

時間を与える、
これは、
取り戻すことができない財産を与えることだ。
これを無意識のうちに人間は痛感しているし、だからこそ、時間の出し惜しみもする。

だが、自分の時間は1日24時間。
どれだけフルスロットルで自分のために使っても、1日マックス24時間である。
全然足りていない。

足りない以上、
必ず誰かの時間を自分のために使ってくれないと、自分は生活できない。

自分が1日24時間という足りていない時間のなかで生活できているのは、
誰かの時間も同時進行で使っているからだ。
そうなると、当然誰かの時間を使いまくっている自分にも、時間の請求がくる。

その請求の支払は、例えるなら、
働くとか、手伝いとか、看病とか、相談にのるとか、
そういった誰かのためになること、だろう。
その支払を怠ると、どうなるか。


当然だが、いずれは自分のみであらゆる時間を1日24時間のみでやりくりしなければならなくなる。
そして恐ろしいことにその時間というのは、原理原則として、減る一方という性質がある。
減る一方の時間を自分だけでやりくりする。
時間の貸し借り不可、時間請求の支払もしていない以上誰かの時間を与えてもらうことも不可。

孤立無援状態である。




はっきり言って、自分にとって効率が悪すぎる。



時間がほしけりゃ、その欲しい時間を与えるべきである。

時間は環状化する作用を持っている。

その環状をどこかでとめると、欲しい時間が自分にやってこない。
電車でいうなら、環状線の電車がどこかで止まったままだと、いくらその電車を待っても自分のところへやって来ないのと同じ。


相手のために与える時間は、環状線作用で、結果的に相手が自分の時間のために使ってくれることになる。

「それ」が欲しいならまずは「それ」を与えることだ。


目に見えるお金や物などは、持っていなければ与えることができない。
たが、目に見えない時間などは、確実に持ってはいる。


目に見えるモノを与えられないなら、
目に見えないモノを与える。


そして何より大切なのが、


特に与える時間、与えられる時間は、


その人にとって取り戻すことができない財産であることを今一度肝に命じるべきである。








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