右手のプシュケ - 2 -

土曜日に隠岐が見舞いに来た。
隠岐は現役で文Iに合格し、在学中に司法試験に受かった秀才。
幼稚園からの幼なじみでもある。
「山本匡っていただろ?」
挨拶もそこそこに尋ねた。
「うん、色の白い…
「あいつ、どうしてる?今。弁護士とか?同窓会名簿いつも空欄だから何してんだかわかんなくて」
「大学は中退したけど司法試験は受けてないはずだよ。たぶん法曹には関係してないと思う」
司法試験に特化する学生の中には試験に受かって大学をやめてしまう者もいる。
山本は中退したけれど司法試験には受かっていないようだ。
「駒場の一般教養を残したりしてたから単位不足で中退したんじゃないかな。ゼミは国際法だったからゼミの友達に訊いてみようか?どうしてるか」
「うん、頼むわ、連絡先とかわかったら訊いてきてほしい」
「なんかあったの?山本君」
私はネット囲碁の経緯を話した。
「プシュケか、らしいと言えばらしいね」

一週間ほどして隠岐からLINEが来た。
" 残念だけど山本君は亡くなってるみたいだ。でも腑に落ちない点があるからもう少し調査?して水曜か木曜に行くよ"
亡くなったって?腑に落ちないってなんだろう?じゃあプシュケは誰?
考えてもわかるはずがなかった。

隠岐は水曜の夜、面会時間のぎりぎりにやってきた。
「どうだった?」
「うん、彼、ゼミではかなり孤立してたみたいだね、親しい友人もいなくて。みんな存在すら忘れてたって感じなんだ。ゼミリーダーは亡くなったらしいって言うし。
らしいっておかしいだろ?」
「みんなには知られずにっていうこと?」
「うん、そうしたら一人だけ女性で山本君とちょっと親しそうなゼミ生がいたっていうから昨日、その人に会って話を聞いてきたんだ。プリードの鷹村 芽生さん。時々、テレビでコメンテーターなんかやってる」
鷹村 芽生はよくわからなかったが、プリードは最大手の弁護士事務所だ。
「旧姓は柿沼さん。目立つ人だったから僕もよく覚えてる。教養学部の授業を取ってたから週一で駒場に通っててね、午後がサブゼミの日だったから山本君と一緒にお昼を食べて本郷に戻って来てたらしい。面白い人だったって言ってたよ。文系の勉強って全部後付けで理屈を探るばっかりでつまんないとか、法律は外から人間を拘束する規則で人間の内なる部分を無視してるとか、文系の勉強が合わないみたいだったって…」
「受験の時も文系科目は好きじゃないみたいなこと言ってたからね」
「でも山本君、鷹村さんに励まされてなんとか単位は取れそうなとこまでいってたみたいなんだ。ところが3年の正月明けくらいから山本君とまったく会わなくなった。駒場でも本郷でも全然見かけない。おかしいと思ってゼミの教授に聞いてみたら退学したって言われたって。そんな話、本人から全然聞いてなかったから彼女、山本君の家に電話をしてみたらしい。そしたら今度は入院してるって」

「どこが悪いんですか?」
芽生は電話に出た母親に尋ねた。
「ええ…やっぱり…心臓なんですよ…
母親は明らかに考えてからそう言った。
やっぱりって?息子の病気を考えて答える母親に不審をおぼえた。
「どちらの病院でしょうか? お見舞いに伺いたいんですが…
「あの〜…面会できないんですよ、ちょっと難しい状態で…
「はあ、そうなんですか。あれなんですね、大学お辞めになったって。上野先生から伺ったんですけど」
「ええ、続けるのは…え〜…無理だろうと思いまして…」
どうも歯切れが悪い。
嘘をつき慣れていない人の咄嗟に思いついた作り話のように思えた。
それに病気になってから退学の決断までが早すぎる。
長くても2カ月くらいだろう。病気になって2カ月足らずで退学の判断をするだろうか。
それとも完治が見込めないほど病状が悪いとか。
電話を切ると、芽生は行動派の弁護士並みのすばやさで動いた。
ゼミの名簿にある住所を頼りに山本の自宅を訪ねたのだ。
家は井の頭線浜田山駅から徒歩7〜8分ほどの住宅街にあった。
敷地はそれほど広くはないが、レンガの素材を生かした南欧風の堂々とたる二階屋だった。
インタフォンにはすぐに反応があった。
「先ほどお電話差し上げた柿沼芽生と申します。匡さんの様子を…
みなまで言う前に
「あっ…はあ…お待ち下さい…
音もたてずにドアが開いた。
ドアから顔を出した母親は疲れ切った老婆のように見えた。
家の中から線香の香りが漂ってくる。
憔悴しきった様子の母親…線香…はっとした。
「違っていたらごめんなさい、松本君…亡くなったんですか?」
母親は肯定も否定もせず顔を伏せたまま、ドアを大きく開けた。
「…メイさん…ですね…匡からお名前は聞いていました。どうぞ、お上りください」
10畳の和室に案内された。
黒檀の堀座卓に白い布に包まれた骨箱が置かれ香炉から一筋の煙がまっすぐ天井に向かってのびている。
母親は座布団を勧めると小さな声で独り言のように話し始めた。
「私達が匡を追い込んだの。私達よ、匡を死なせたのは…それは無理、これも無理、そっちはだめ、こっちよって。何一つやりたいことをさせてあげなかった…匡の人生を私と主人で決めてしまったの」
大きめのため息をついてから続けた。
「八木山橋ってご存知?」
なぜ突然そんな地名が出てきたのか理解できなかった。
「いいえ、わかりません」
「滝ノ口渓谷も聞いたことない?」
「ええ、どこなんですか?それ」
「仙台、東北大学の近く。何であんなとこに…
東北大学で思い当たることがあったけれど黙って次の言葉を待った。

少し春を含んで柔らかくなった西日が部屋の中ほどまで差し込んで、畳の上にくっきりと軒先の影を映していた。






















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