多摩ゼミナール-9-

桜ヶ丘と東府中の負担がなくなり、時間的にも体力的、精神的にもずいぶん楽になった。
残った3つの教室はもともとあまり手間のかからない教室だった。
浅間町には文、理の人気講師佐藤と長谷、後にこの教室を任せることになる河上もいた。
ここは万全の体制で、私の出る幕がないほどに充実していた。
押立は室長の栂坂に任せておけば間違いなかった。
その上、セクの三上さんは気の利く肝っ玉おばさんで、完全に生徒達を掌握していた。
ここも電話連絡だけ密にしていれば何も問題はない。

むしろ分倍河原が手薄になった。
落合がいなくなった上に彼の補佐として後藤と倉木も桜ヶ丘に出してしまったから、講師は私以外皆大学生になってしまった。
学生講師で一番困るのは欠勤。
分倍だけで12、3人の大学生講師がいたが、1人でも休むと代わりはいない。
同じ日に2人休むこともあって、結局私がクラスを掛け持つことになる。
慣れてはいてもどうしても片方はいい加減な授業になる。
当時は完璧主義者だったから、納得のいかない授業のまま生徒を帰すのは負けだと思っていた。

少し多目に講師を採用して4人ずつのグループを作り、お互いの欠勤を埋め合わせするようにした。
グループごとに月一で集まるように指示して、それが授業の様子や生徒の情報を交換する場になった。
定期テストで担当した生徒の成績が著しく良くなったグループは表彰して金一封と食事券を進呈した。
講師同士の仲も良くなり、若干の競争意識もはたらくようになって分倍校は活気のある教室になっていった。

こんな風に塾は少々困っても、すぐにいいアイディアが浮かぶ。
問題なのはガイズン。
赤字の解消には思い切った改革が必要で、大ナタを振るう必要があった。
先輩の会計さんからは「お前が悪役にならなきゃ赤字解消なんてできないよ」って言われるけれど、5人兄妹の真ん中、争いごとを避けてっていうより争いを丸く収めながら生きてきた。
今更悪役とか無理だし。
だいたい 若輩のど素人が大ナタを振るったら嫌われるだろ。
嫌われたくない。
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