トキーオ(20.4)






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 宮沢賢治は、童話の中では東京を「トケイ」「トケウ」「トキーオ」などと呼んでいました。「トキーオ」は、エスペラント語で東京のことです。


 東京での賢治の足跡をたどります。






川 崎





 さて、つぎの訪問先は、川崎です。

 佐藤惣之助(1890-1945)は、川崎出身の詩人で、宮沢賢治が詩作・創作をしていた当時、詩壇でもっとも活躍していた詩人のひとりでした。

 賢治死後の 1934年以後は、流行歌の作詞でも有名になり、作曲家の古賀政男と組んでラジオ放送隆盛の波に乗り、一世を風靡しました。

 ↓こんな曲は、21世紀の皆さんでも、ご存知ではないでしょうか?

【参考】⇒:「人生劇場」(youtube)




佐藤惣之助・生家跡 
川崎区砂子2丁目11
佐藤惣之助のレリーフと「青い背広で」詞碑



      青い背広で

 青い背広で
  こゝろも軽く
 街へあの娘と
  行こうじやないか
 紅い椿で
  ひとみも濡れる
 若い僕らの
  いのちの春よ

    ⇒:「青い背広で」(藤山一郎,テイチク・レコード)






 1924年に宮沢賢治が『春と修羅』を自費出版した時、佐藤は、いち早くこの詩集の価値を認めて絶賛しました:



「僕の云ひたいのは、渡辺渡と宮沢賢治である。
〔…〕『天上の砂』と『春と修羅』はあまりに読まれてゐない。〔…〕

 それに『春と修羅』。この詩集はいちばん僕を驚かした。何故なら彼は詩壇に流布されてゐる一個の語葉も所有してゐない。否、かつて文学書に現はれた一聯の語藻をも持ってはゐない。彼は気象学、鉱物学、植物学、地質学で詩を書いた。奇犀、冷徹、その類を見ない。以上の二詩集をもって、僕は十三年の最大収穫とする。」

佐藤惣之助「十三年度の詩集」,in:『日本詩人』,第4巻12号,1924年12月1日発行.



 佐藤惣之助は、東海道・川崎宿砂子の本陣を預かる家柄で、旧東海道をはさんで本陣跡と向い合う生家に住んでいました。




佐藤惣之助・生家跡 
川崎区砂子2丁目4,11
中央の道路が旧東海道。
道路右側が惣之助の生家(現・川崎信用金庫本店)
道路左側に旧本陣・跡がある。




      色と影

 僕はこの四月の村村の谿と濕地をつくる
 いきいきしたものの色と影との反射を
 洗ひたての肉體いつぱいの楯をもつて彩らう
 うつくしい力とほのほとの自然の竈
(かまど)から
 ふきぬけいづる情感と愛戀との
 きよき爽かさにみちわたるこの名づけやうのない深いもの陰を
 霧のやうなあたらしい水の智慧をもつて
 あるひは夜の青みがもてる匂ひと隈をもつて
 僕の中に滴るいのちの思ひの深い濕りとしよう。


佐藤惣之助『季節の馬車』(1922年)より。



 ↑躍動する自然の中にほとばしるエロスと言ったらよいのでしょうか、……賢治とは、表現のしかたが大きく異なるものの、内容的には、共通するものを自然風景から受けとっているように感じられます。



 ところで、宮沢賢治の惣之助宅訪問については、堀尾青史・編の「年譜」に↓つぎの記載があるばかりで、憶測の域を出ません。時期は、やはり 1926年12月の上京の際です。



「12月〔推定〕 12月の滞京中に
〔…〕高村光太郎を訪問したと推定。なおまた、川崎の佐藤惣之助のもとも訪れたか。」
『新校本宮澤賢治全集』「年譜」1926年の項.



 推定の根拠すら示されていないため、まったく手がかりがないのですが。。。




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