小 樽 (1)




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北の大地に宮沢賢治の足跡を追っていきます。




小樽商大と小樽公園






 小樽は、道央・札幌の海への出口として、またサハリン・沿海州方面への航路の中継点として、重要な港町でした。現在小樽観光の目玉になっている運河沿いの赤レンガ倉庫群は、その名残りです。1905年に、函館-札幌-旭川間の鉄道(のちの函館本線)が開通して以後は、内陸交通路の要衝でもありました。

 宮沢賢治も、1923年のサハリン旅行の往復、1913年、24年の各修学旅行の往路は、函館本線で小樽に下車、または通過しています。







小樽へ向う函館本線 余市町西崎山




「       *

 いま小樽の公園に居る。高等商業の標本室も見てきた。馬鈴薯からできるもの百五、六十種の標本が面白かった。

 この公園も丘になっている。白樺がたくさんある。まっ青な小樽湾が一目だ。軍艦が入っているので海軍には旗も立っている。時間があれば見せるのだがと武田先生が云った。ベンチへ座ってやすんでいると赤い蟹をゆでたのを売りに来る。何だか怖いようだ。よくあんなの食べるものだ。

        *」

宮沢賢治『或る農学生の日誌』より。
(原文は旧仮名遣い) 







小樽公園 
見晴台

賢治の引率した修学旅行生が
小樽湾を望んだ場所はここと
思われますが、現在は、高い
ビルや公園の樹木にはばまれて
海まではよく見えません。




小樽港の眺め 
旭展望台から。




 ゆでた「赤い蟹」は、小樽だけでなく、当時北海道のどこの港でも売り歩いていたのではないでしょうか。「函館公園」の詩にも出ていました。

 ちなみに「函館公園」に出ていた“バナナの森”も、立ち売りのバナナから発想したかもしれませんね。小樽公園でバナナも立ち売りしていたことが、賢治の↓『修学旅行復命書』のほうには書かれています。



∇ 参考記事⇒:
【函 館】






 湾内に停泊中の軍艦が見えたようです。「時間があれば見せるのだがと武田先生が云った。」とありますが、“はしけ”で市民を寄せて参観させていたことが、↓下で引用する『復命書』に書かれています。

 ちなみに、この 1924年当時、日本軍はまだ《シベリア出兵》にともなう北サハリン占領を続けていました。ロシア革命に対する干渉をやめられず、《ニコライェフスク(尼港)事件》1920年3-5月 の補償を要求するための占領という名目です。

 軍艦が小樽にいたのは、その関係だったと思われるのです。


∇ 関連記事⇒:《あ〜いえばこーゆー記》
【シベリア派兵史】派兵と住民と若者たち






「函館より小樽へ

 函館より夜行11時の列車に乗り夜の大沼公園を眺めいつしか深い睡りにおちいりその夜ををば夢の間に過ぎて夜のほのぼのと白む頃は北海の広野を汽車は走つてゐた 9時に小樽につき直ぐ人員検査して高等商業学校参観を願出づると早速に承諾を与へられた

 高等商業、

 化学室、商品参考室、銀行 郵便局 実習室 講堂等の案内を得て校庭に出づれば学生が競技の猛練習最中なるもをり又堤の芝生に読書せるもあつた、

      
〔…〕

 小樽公園

 稍高く全市を眼下に眺め遥か湾内に大小幾多の船舶輻輳し黒煙濛々港の真景を一眸の中に収めて快を叫んだものもあつた

 背後の広場に小学校青年会の聯合運動会が催されてあつた、

 出発

 11時出発札幌に向つた」

『白藤慈秀日記』より。







小樽商科大学 
正門
旧・小樽高等商業学校。
門柱以外はすっかり新しくなっていますが、
場所は当時と同じです。

北海道で唯一、文科系の高等教育
機関でした。国際港であった小樽
にふさわしく、外国語教育が
さかんなことで知られ、修学旅行
生の見学も多かったのです。実業家
だけでなく著名な文学者も輩出しており、
それは次々回に述べるでしょう。




小樽公園 
啄木歌碑

戦後に建てられたものですが
啄木が新聞社勤務時代に詠んだ
↓下の歌が刻まれています。



「こころよく
 我にはたらく仕事あれ
 それを仕遂げて
 死なむと思ふ」

石川啄木『一握の砂』より






「小樽市

 午前九時小樽駅に着、直ちに丘上の高等商業学校を参観す。案内に依て各室を順覧せり。中にタイプライター練習室と、並びに取引実習室の諸会社銀行税関等の各金網を繞らせる小模型中に於る模擬紙幣による取引など農事実習と対照して甚生徒の興味を喚起せり。商品標本室にては粗なる農産製造品と精製商品との連絡に就て参考となるべきもの多く殊に独乙の馬鈴薯を原料とせる三十余種の商品標本、米国の各種穀物を炙熬膨張せしめたる食品等に就て注意せしむ。

 十時半同校を辞し丘伝ひに小樽公園に赴く。公園は新装の白樺に飾られ北日本海の空青と海光とに対し小樽湾は一望の下に帰す。且つは市人の指す処、一隻の駆逐艦と二の潜水艦港内に碇泊し多数交々参観に至れるを見る。茲に四十分間解散す。大なる赤き蟹をゆでて販るものあり。青き新らしきバナナを呼び来るあり。身北海の港市に在るの感を深む。生徒等バナナの価郷里の半にも至らざるを以て土産に買はんなどと云ふ。零時半小樽市一瞥の了り再び汽車に上る。

 銭函付近 海色愈々勝る。南方丘陵地に美しく須具利
〔すぐり〕を栽へたる耕地あり。今正に厩肥を加い耕耡行はる、農具、操作共に郷土に異り興多し。車中に軍人数名あり。何処の生徒かなど問ふ。生徒等校歌集を贈り順次に各歌を合唱す。客切に悦ぶ。」
宮沢賢治『修学旅行復命書』より。



 「小樽公園」からの港の眺めについて、賢治のほうは、白藤教諭よりも詳しく、停泊中の軍艦について書いています。

 この『復命書』は、花巻農学校を県立に昇格させる運動のために、県に提出されたものでしたから、軍国教育も怠らずにやってます‥‥という趣旨で、あえて特筆しているのかもしれません。

 しかし、『白藤日記』には、軍艦がいたということさえ書かれていません。この時点での賢治が、尊軍意識を持っていたことは否定できないでしょう。浄土真宗の僧侶であった白藤教諭のほうが、より平和主義者だったと言ってよいのです。当時、多くの真宗僧侶が、《シベリア出兵》に反対の意見を公にしていました。





小樽市 銭函海岸
小樽市域の最も札幌寄りで、
ここから鉄道は石狩平野に入ります。

いまでは都市化が進んでしまって、
花巻農学校生が修学旅行で来た頃の
おもかげはありません。




「海色愈々勝る」 
余市町フゴッペ海岸






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