噴火湾と駒ヶ岳




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噴火湾と駒ヶ岳





 内浦湾(別名・噴火湾)南端の森港から望むと、室蘭が正面に霞み、巨大な円周を描く海岸線は、死火山のカルデラのように見えます。

 宮沢賢治は、1924年のサハリン旅行の往復、1913年、24年の各修学旅行の往路に、ここを鉄路で通過しています。1913年の復路は室蘭から森港まで渡航して、汽車で大沼・函館へ、1924年の復路は、室蘭から船で青森へ渡っています。

 うち、作品を残しているのは、賢治単独のサハリン旅行の往き帰りです。







駒ヶ岳 
森駅付近・車窓から




1923-24年当時の鉄道と航路



 現在、函館から札幌への鉄道は、室蘭・苫小牧・千歳まわりが主流ですが、当時は、長万部と室蘭の間がまだつながっておらず、倶知安まわりの函館本線が唯一の鉄路でした。室蘭と森の間には、噴火湾を横断する連絡船が就航していました。連絡船の航路は、室蘭から森を経て、函館、青森まで延びていました。







森港の桟橋跡

森駅のホームのすぐ脇にあります。
室蘭〜函館航路の客船も、
ここに寄港していました。




森港の桟橋跡

桟橋の橋脚だった杭の列が、沖へ続いています(黄色線の上)。
森駅の跨線橋と、ホームに停車中の客車が見えます。




森駅
から噴火湾を望む





    噴火湾(ノクターン)

   
 稚
(わか)いえんどうの澱粉や緑金が
 どこから来てこんなに照らすのか

   (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)

 とし子は大きく眼をあいて
 烈しい薔薇いろの火に燃されながら

   (あの七月の高い熱……)

 鳥が棲み空気の水のやうな林のことを考へてゐた
 
   (かんがへてゐたのか
    いまかんがへてゐるのか)

 車室の軋りは二疋の栗鼠
(りす)

      
〔…〕

 フアゴツトの声が前方にし
 Funeral march があやしくいままたはじまり出す

   (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)

  《栗鼠お魚たべあんすのすか》

   (二等室のガラスは霜のもやう)

 もう明けがたに遠くない
 崖の木や草も明らかに見え
 車室の軋りもいつかかすれ
 一ぴきのちいさなちいさな白い蛾が
 天井のあかしのあたりを這つてゐる

   (車室の軋りは天の楽音)

 噴火湾のこの黎明の水明り
 室蘭通ひの汽船には
 二つの赤い灯がともり
 東の天末は濁つた孔雀石の縞
 黒く立つものは樺の木と楊の木
 駒ケ岳駒ケ岳
 暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる
 そのまつくらな雲のなかに
 とし子がかくされてゐるかもしれない
 ああ何べん理智が教へても
 私のさびしさはなほらない
 わたくしの感じないちがつた空間に
 いままでここにあつた現象がうつる
 それはあんまりさびしいことだ

   (そのさびしいものを死といふのだ)

 たとへそのちがつたきらびやかな空間で
 とし子がしづかにわらはうと
 わたくしのかなしみにいぢけた感情は
 どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ


『春と修羅・第1集』より「噴火湾」1923.8.11.






 ↑1923年サハリン旅行の復路、札幌・小樽方面から函館へ向かう夜行列車で森附近を通りかかった状況です。


「噴火湾のこの黎明の水明り
 室蘭通ひの汽船には
 二つの赤い灯がともり」


 と、室蘭-森-函館の連絡船の灯りを見ていますが、森駅から森港を見ているのでしょうか?

 ↓こちらに書きましたが、当時の時刻表を見ると、列車の森・停車時刻と、船の森港出航時刻は微妙に合わないのです。

 しかし、駅のプラットホームと、当時の波止場は非常に近い場所にありましたから(今回、行ってみてよくわかりました)、出航前に停泊中の船だとしても、出航したあと沖を走っている船だとしても、駅のホームからならば、よく見えると思います。

 森から函館へ向かう線路からは、海も港もあまりよく見えません。ただ、1か所、駒ヶ岳駅に近づいたあたりに沢の崖の上を走る場所があって、そこからは海が見えますが、遠すぎますし、室蘭航路の方向(森港から東方)ではありません。


∇ 関連記事(サハリン旅行:旅程の推定)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.6

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【74】噴火湾(ノクターン)




 たしかに、「車室の軋り」は、寝台車に乗っていたせいなのかもしれません。座席の客車に乗っていた「青森挽歌」では、このような音はまったく出てきませんから。

 しかし、急行・寝台車と、普通列車の客車座席のどちらだったとしても、この詩は、森駅から港を見たのでしょう。






「黒く立つものは樺の木と楊の木
 駒ケ岳駒ケ岳
 暗い金属の雲をかぶつて立つてゐる」


 たしかに、森駅を出て、駒ヶ岳の肩へ昇って行く線路の両側は、樺類、ヤマナラシ、カラマツなどが、自然状態で乱雑に生い茂る原生林です。

 駒ケ岳も、このへん、つまり“裏側”では、大沼公園のほうから眺めるのとは違って、荒々しい熔岩とスコリアの地肌を見せつけています↓





駒ヶ岳 
駒ヶ岳駅付近から




駒ヶ岳 
剣ヶ峯
駒ヶ岳駅付近から






       駒ヶ岳


 弱々しく白いそらにのびあがり
 その無遠慮な火山礫の盛りあがり
 黒く削られたのは熔けたものの古いもの

  (喬木帯灌木帯、苔蘚帯といふやうなことは
   まるっきり偶然のことなんだ。三千六百五十尺)

 いまその赭い岩巓に
 一抹の傘雲がかかる。

    (In the good summer time, In the good summer time;)

 《ごらんなさい。
  その赭いやつの裾野は
  うつくしい木立になって傾斜(スロープ)もやさしく
  黄いろな林道も通ってゐます。》

 「全体その海の色はどうしたんでせう。
 青くもないしあんまり変な色なやうです。」
 「えゝ、それは雲の関係です。」

 何が雲の関係だ。気圧がこんなに高いのに。


『春と修羅・第1集補遺』より「駒ヶ岳」〔1923.8.1.〕





駒ヶ岳 
駒ヶ岳駅付近




駒ヶ岳 
大沼公園から





 ↑こちらの詩は、サハリン行きの往路の情景。おそらく大沼公園の側(南側)から見ているのでしょう。森林や野原でおおわれた裾野の向こうに、尖った「赭い岩巓」が空に伸びあがっています。

 もっとも、当時は 1856年の安政大噴火から間もなかったので、いまよりも下のほうまで、草のない裸地が広がっていたかもしれません。賢治が来たあと、1929年にも泥流をともなうプリニー式大噴火が起きています。



 カッコつきの「In the good summer time」は、当時のアメリカのヒット曲。牧場の夏の労働を、情趣豊かに歌ったもの↓


∇ 関連記事(“In the Good Old Summer Time”)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.3.3

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【65】駒ヶ岳






 ↓こちらは 1924年の引率修学旅行。白藤教諭の日記に「大沼公園」の名が出ています。



「函館より小樽へ

 函館より夜行11時の列車に乗り夜の大沼公園を眺めいつしか深い睡りにおちいりその夜ををば夢の間に過ぎて夜のほのぼのと白む頃は北海の広野を汽車は走つてゐた」

『白藤慈秀日記』より。






∇ つぎの記事⇒:ニセコ

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