伊勢湾を越えて(6)




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伊勢・三河で宮沢賢治の足跡をたどります。





岬めぐりの憂愁






1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)
在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人
たちと伊勢・東海を旅しました。

今回は、この伊勢湾の船旅について落穂ひろいをしたうえ
1921年4月の東海道線・夜行列車の旅についても触れます。








豊浜港 
南知多町
右奥に篠島が見える。

賢治たちの乗った船は、伊勢・二見ヶ浦から
伊勢湾を渡って、まず、ここに寄港しています。



      ※

 そらはれて
 くらげはうかび
 わが船の
 渥美をさしてうれひ行くかな。

      ※

 明滅の
 海のきらめき しろき夢
 知多のみさきを船はめぐりて。

(『歌稿B』#261-262)



 前回‥2年以上前になりますが、↑この伊勢湾の足跡をたどった時には、賢治たちの船が運行した正確な航路を把握していませんでした。これまで、『全集』の年譜にも、各種の賢治研究書にも、船の航路についての説明はないのです。ただ、前夜の宿泊地である二見ヶ浦から愛知県の蒲郡まで船に乗ったとしか書かれていません。しかし、↑短歌には、「知多のみさきを船はめぐりて」とありますし、これらの歌の詠まれた状況を知るには、航路の詳しい探索が欠かせないはずです。

 そこで、東京に帰った後で図書館で当時の時刻表を調べたところ、当時営業していた遊覧船は1社のみ、しかも1日1便で、紀伊半島側の鳥羽港から→二見→神社港→、知多半島の豊浜→師崎→篠島→、渥美半島の福江→蒲郡港へ運航していました。詳しくは、前々回の記事↓に書いたとおりです。


∇ 関連記事⇒:伊勢湾を越えて(4)




 しかし、踏査した時点では、寄港地を知らなかったので、岬と海上の写真しか撮っていませんでした。

 今回、2年半ぶりに知多・渥美側を再訪したので、リベンジ写真を掲載します。なお、「二見」で乗船して最初の寄港地「神社港」には、まだ行っていませんが、伊勢市に近い海岸に、現在もその港があります。






地図 
伊勢湾、賢治らの航路




師崎
(もろざき)




篠島 
篠島渡船ターミナル付近
師崎・羽豆岬から撮影。
うしろの紅白の煙突は、
対岸・渥美半島の渥美火力発電所。




福江港 
田原市小中山町
右奥に渥美火力発電所の煙突が見える。

現在では、入り江の半分が堤防で潟湖化され
アサリの養殖場になっています。





福江港 
福江漁港
田原市小中山町






蒲郡港 
竹島から。

賢治たちの船旅の終着地











東海道線・天竜川鉄橋 
浜松市





     隼 人


 笛うち鳴りて汽車はゆれ   
 あかりつぎつぎ飛び行けば
 赭ら顔黒装束のその若者
 こゝろもそらに席に帰れり

 町うち覆ふ膠質の
 光や上に張り亘す
 夜の大ぞらを見入りつゝ
 若者なみだうちながしたり

 品川をすぎてその若者ひそやかに
 写真をいだし見まもりにけり

 げに一夜
 写真をながめ泪ながし
 駅々の灯を迎へ送りぬ

 山山に白雲かゝり夜は明けて
 汽車天竜を過ぐるころ
 若者やゝに面をあげ
 あたりはじめてうちまもり
 隣れる老いし商人の
 こと問ふまゝに息まきて
 田原の坂の地形を説けり

 赭ら顔黒装束のその隼人
 歯磨などをかけそめにけり

『文語詩未定稿』より「隼人」〔下書稿〕






 「田原の坂の地形を説けり」――熊本にある「田原坂」のことでしょう。ここは“西南戦争”の激戦地で、西郷隆盛率いる薩摩軍が防衛戦を敷いていました。この地で、薩摩軍は、明治政府軍の攻撃に頑強に抵抗したすえ破れたのです。この戦いでは、現地の地形が重要な意味を持ちました。⇒:ゆかりの地:田原坂を歩いてみた

 鹿児島出身の若者「隼人」が、隣席の乗客から問われるままに、思わず「息まいて」「地形」の説明をしたのは、そのためだったのです。東北のエゾが、古代朝廷に抵抗した“北方の修羅”だったとすれば、ハヤトは、近代における“南方の修羅”にほかなりませんでした。ちなみに、この戦いを唄う民謡「田原坂」には「美少年」が登場します。

 賢治が「隼人」と呼ぶこの若者は、“修羅”(アシュラ)の人物化だとする研究者が少なくありません。その関連で言えば、涙を流していた若者がふと我に返るのが「天竜」川を越える地点であるのも偶然ではないでしょう。賢治が、この“関西巡礼旅行”で見たと思われる奈良・興福寺の「赭ら顔」の「阿修羅像」は、「天竜八部衆」像のひとつだからです:

∇ 参考記事(興福寺・阿修羅像)⇒:
【奈良(1)】





 この文語詩形は、賢治晩年に書かれたものですが、そのもとになった短歌群は、1921年に父政次郎と伊勢神宮、比叡山延暦寺等をめぐった関西旅行への往路に書かれています↓



      ※ 旅中草稿

 父とふたりいそぎて伊勢に詣るなり、雨と呼ばれしその前のよる。

      ※

 赭ら顔、黒装束のそのわかものいそぎて席に帰り来しかな。

      ※

 コロイドの光の上に張り亘る夜の穹窿をあかず見入るも。

      ※

 品川をすぎてその若ものひそやかに写真などをとりいだしたるかも。

『歌稿B』#801-804.


∇ 関連記事(品川)⇒:
【トキーオ(17)】





 文語詩に改作された形でも、東京駅を発車して「品川」を過ぎ、「天竜」川を渡って名古屋へ向かう方向の夜汽車になっていますから、もとになった短歌群のシチュエーションと同じす。

 もっとも、東京→名古屋の汽車旅は、1916年の関西修学旅行の往路にもたどっていますが、その際は、興津で昼間下車して農事試験場を訪問していますから時間関係が異なります。


∇ 関連記事(農事試験場興津支所)⇒:
《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】もう咲くら?

∇ 関連記事(農事試験場興津支所)⇒:
《あ〜いえばこーゆー記》
【速報】おきつおされつ──興津の薄寒桜



 夜明けに天竜川を過ぎるという通過時間からすれば、1921年4月の“父子巡礼”の往路が、賢治の念頭にはあったと言えます。


∇ 本記事はこちら⇒:
《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(4)






 さて、賢治たちの“東海の旅”、この続きは、こちらで追いかけて行きます:

∇ 続記事はこちら⇒:駿河路(2)〜


∇ ひとつ前の記事⇒:伊勢湾を越えて(5)




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