岩手山(6)




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三ツ石山と網張







三ツ石山頂



 三ツ石山(1466m)は岩手山の西の端にあり、中腹に網張温泉を抱いています。

 ただし、賢治の当時の「網張温泉」は、現在国民宿舎がある場所ではなく、その奥にある「網張元湯」のことで、源泉の湧き出し口に小屋掛けをしただけの簡素なものでした。

 賢治は、中学生時代に「青柳教諭」とともに岩手山に登山した帰路、網張温泉に宿泊したことがあります。また、高等農林時代には、網張〜三ツ石周辺からの展望と思われる短歌を残しています。



∇ 関連記事(青柳教諭)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.6.24







地図 岩手山西部








現在の網張温泉

宮沢賢治の当時の「網張温泉」、つまり
現在の「網張元湯」は、うしろに見える
犬倉山の下の谷間にあります。




 青柳教諭をまじえた賢治たち盛岡中学校生の岩手山行は、1910年9月23-25日に、秋分の日の連休を利用して行なわれたことがわかっています(小沢俊郎氏らの調査研究により判明)。

 23日夜に「柳沢」で宿泊し、4合目で日の出を見、頂上の「御鉢」を1周してから、カルデラに下り、「御釜湖」「御苗代湖」「地獄谷」を経て「網張温泉」に宿泊。“前夜泊+1泊2日”の日程ですが、当時はこれがもっとも一般的な岩手山登拝のスケジュールでした。




「同行者は嘉助さん、阿部孝さん、私とも一人、外に青柳教諭五年の人々六名にて候へき。合計十一人にて登り私共嘉助さん共四人麓の小屋に宿り三合目迄たいまつにて登りこゝにて他の柳沢にとまれる人々は追付き日の出を四合目に見頂上に上り、御鉢参りをしてそれより網張口へ下り大地ごくの噴烟の所御釜噴火口御苗代等を経て網張に至り翌日小岩井をかゝりて帰舎仕り候。」

宮沢賢治書簡[1][1910年10月1日]宮澤政次郎宛 より。



 当時、盛岡中学校5年だった加藤謙次郎の回想文↓によると、当時、源泉・露天風呂の脇に小屋掛けがあるきりだった「網張温泉」は、夏季だけ有人の山小屋で、秋分には、寝具の設備もない無人小屋になっていました。

 交代で温泉に入って出ては焚火で温まり‥をくりかえして一夜を過ごした少年たちの中に、専門学校を出たばかりの「青柳教諭」も混じっていたのです。



「秋の彼岸にもなると
〔9月24日が秋分の日で、25日は日曜日だった―――ギトン注〕登山者も目立つて少なくなり、網張温泉の宿守も既に下つて寝具の布団もなかつた。温泉と焚火で寒い一夜を明かして下つて来た事は忘れ得ない。」
川原仁左衛門・編著『宮沢賢治とその周辺』,1972,p.32.





 賢治の短歌と詩には、“網張温泉での一夜”のことは直接書かれてはいないのですが、同行した青年教師から受けた強い印象と、同情を越える深い追慕の背景には、裸身で共に過ごした一夜の思い出が、きっとあったと思うのです。

 そう思って読んでみると、↓下の文語詩形は、とても印象深く胸に迫ってきます。これが、この詩の最終草稿なのです。〔下書稿(二)〕までにあった小岩井農場の風景や、同行した上級生とのやりとりなどをすべて削り落として、「青柳教諭」のおもかげだけに絞りこんだこの最終形は、けっして省略し過ぎなどではなく、純粋に、青年教師に向けられた中学生賢治の想いを、赤裸々に表白したものと言えるでしょう。



 瘠せて青めるなが頬は
 九月の雨に聖
〔きよ〕くして
 一すじ遠きこのみちを
 草穂のけぶりはてもなし


宮沢賢治『文語詩未定稿』から〔瘠せて青めるなが頬は〕〔下書稿(二)手入れ〕












乳頭山 
三ツ石山登山口付近から。
黄矢印:秋田駒ケ岳。赤矢印:乳頭山。




乳頭山 
三ツ石山登山口付近から。



 「にゅうとうざん」「にゅうつむりやま」2とおりの読み方があるようですが、これは秋田県側での呼称で、岩手県側では「烏帽子
(えぼし)岳」と呼ぶのがふつうです。たしかに、こちら側から見ると烏帽子の形に見える山頂は、向う側から見ると、なだらかに丸く盛り上がった頂部を背景にして、人の乳頭の形に見えます。

 賢治は、秋田県側から見たことはなかったはずですが、“乳頭”という名前を好んだようで、もっぱら「乳頭山」と呼んでいます。かたわらに見える丸い頂部も、女性とすれば“貧乳”ですが、男性の胸とすれば、ちょうどよい大きさと形です。男女にかかわらず、賢治は薄くふくらんだ広い胸を愛したのだと思います。

 こんな呼び方にも、彼の“聖人君子”ではない同性愛エロスが感じられます。







三ツ石山頂
から
大深岳(黄矢印)、源太ヶ岳(赤矢印)へとつづく稜線。




      ※

      ※

 雲ひくき峠越ゆれば
(いもうとのつめたきなきがほ)
 丘と野原と。
 
      ※
 
 草の穂は
 みちにかぶさりわが靴は
 つめたき露にみたされにけり。
 
      ※
 
 あけがたの
 皿の醤油にうつり来て
 黒き桜の梢顫へり
 
      ※
 
 すゞかけの木立きらめくこの朝を
 乳頭山
(にゅうつむりやま)
 雪刷きにつゝ。
 
      ※
 
 いたゞきに
 いささかの雪を刷きしとて
 乳つむり山
 いとゞいかめし

 
      ※
 
 蜘蛛の糸
 ながれて
 きらとひかるかな
 源太ヶ森の
 碧き山のは。

『歌稿B』#370-375.〔推敲形〕



 ↑この短歌群は、前回の記事⇒:岩手山(5) でも扱いましたが、その時は雲が多くて、乳頭山も源太ヶ岳もよく見えなかったので、今回あらためて晴れの日の写真を撮りました。

 「雲ひくき峠」が、どのあたりを指すかわかりませんが、東岩手山(御鉢)のほうから来ると、三ツ石山まで、ゆるやかな丘状の頂きや峠を何度も越えて行きます。たしかに、あたりは、スケールの大きな高原の「丘と野原」と言えます。(前回記事の写真を参照)

 「源太ヶ森」は、源太ヶ岳のことでしょう。たしかに、大深岳からつづく尾根の端が切れ落ちる処が源太ヶ岳で、「碧き山のは」が印象的です。





源太ヶ岳 
三ツ石山頂から。






三ツ石山頂
から東岩手山を望む。

手前から奥へ向かって、右下に「三ツ石小屋」
(三ツ石湿原)、「大松倉山」のスロープ、
「犬倉山」「姥倉山」「黒倉山」の峰々、
西岩手カルデラの奥に、左が高くなった
東岩手山「御鉢」火口と
その最高点「薬師岳」が見えます。






三ツ石湿原

うしろの山が三ツ石山頂方面。



 この湿原は、ギトンには遠い思い出があります。

 高校生の時に、運動靴に麦藁帽子のヒッチハイクで盛岡まで来て、たまたま網張の奥へ行くトラックに乗せてもらって、この山に迷いこみ、真夜中に山の上に達すると、眼の前がぽっかり開けて、この湿原に出会ったのでした。

 湿原のほとりの小屋も、当時できたばかりの真新しい建物で、こんな山の中で夢のような快適な夜を過ごしたのです。そのあとは松川温泉に下りて、八幡平では湯治場の小屋に只同然で泊めてもらったり、大学生のオートバイの後ろに乗せてもらったりして、竜飛崎まで行きました。

 ほんとうに何十年ぶりかで、この湿原に行ったのですが、夜と昼間の違いもあって(小屋は、騒々しい団体のハイカーで、ごったがえしていました)、むかしの記憶はまったくよみがえりませんでした‥‥w






∇ ひとつ前の記事⇒:岩手山(5)




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