大沢坂峠




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大沢坂
(おさざか)





 岩手山の東南麓には、高原状の火山性台地がテーブルのように北上平野に張り出しています。大地の突端には、浸蝕し残された硬い岩塊が、丘や峠を造っています。「沼森」「石ヶ森」「燧掘
(かどほり)山」などはそうした残丘であり、残丘の間をぬって、「鬼越坂」「大沢坂(おさざか)峠」などの峠道が、平地に向かって下っています。


∇ 関連記事⇒:
【燧掘山と石ヶ森】





 大沢坂峠は、小岩井農場やその奥の集落から盛岡方面への出口として重要な交通路でした。

 宮沢賢治も、地質調査などの折にしばしばこの峠路を利用したと思われますし、いくつかの作品で、明示または暗示にこの峠を描いています。







大沢坂峠と道祖神

滝沢市大沢附近から大沢坂峠(矢印)を望む。
右の丘は、熊野神社。

ふもと側から見ると、
峠路は、扇頂の谷間へ向って
入っていきます。路傍に
庚申碑が並んでいました。









地図(岩手山東南麓)



 賢治童話『水仙月の四日』で吹雪に襲われる男の子は、小岩井農場の奥にある「姥屋敷」集落の住人で、盛岡方面から峠を越えて帰ってゆくところだったにちがいない―――との金子民雄さんの推定を、↓こちらの記事で、紹介しました。


∇ 関連記事⇒:【水仙月の四日】


 そして、男の子が吹雪に遭う峠道は、「大沢坂峠」ではないかと――これはギトンの推定ですが――考えてみたのでした。



「ひとりの子供が、赤い毛布
(けつと)にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。

 (そら、新聞紙
(しんぶんがみ)を尖つたかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。)ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。

 お日さまは、空のずうつと遠くのすきとほつたつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚きなさいます。

 その光はまつすぐに四方に発射し、下の方に落ちて来ては、ひつそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。

      
〔…〕

 雪童子
(ゆきわらす)は、風のやうに象の形の丘にのぼりました。雪には風で介殻(かひがら)のやうなかたがつき、その頂には、一本の大きな栗の木が、美しい黄金(きん)いろのやどりぎのまりをつけて立つてゐました。

 『とつといで。』雪童子が丘をのぼりながら云ひますと、一疋の雪狼
(ゆきおいの)は、主人の小さな歯のちらつと光るのを見るや、ごむまりのやうにいきなり木にはねあがつて、その赤い実のついた小さな枝を、がちがち噛じりました。木の上でしきりに頸をまげてゐる雪狼の影法師は、大きく長く丘の雪に落ち、枝はたうとう青い皮と、黄いろの心とをちぎられて、いまのぼつてきたばかりの雪童子の足もとに落ちました。

 『ありがたう。』雪童子はそれをひろひながら、白と藍いろの野はらにたつてゐる、美しい町をはるかにながめました。川がきらきら光つて、停車場からは白い煙もあがつてゐました。雪童子は眼を丘のふもとに落しました。その山裾の細い雪みちを、さつきの赤毛布
(あかけつと)を着た子供が、一しんに山のうちの方へ急いでゐるのでした。

 『あいつは昨日、木炭
(すみ)のそりを押して行つた。砂糖を買つて、じぶんだけ帰つてきたな。』雪童子はわらひながら、手にもつてゐたやどりぎの枝を、ぷいつとこどもになげつけました。枝はまるで弾丸(たま)のやうにまつすぐに飛んで行つて、たしかに子供の目の前に落ちました。

 子供はびつくりして枝をひろつて、きよろきよろあちこちを見まはしてゐます。雪童子はわらつて革むちを一つひゆうと鳴らしました。

 すると、雲もなく研きあげられたやうな群青の空から、まつ白な雪が、さぎの毛のやうに、いちめんに落ちてきました。それは下の平原の雪や、ビール色の日光、茶いろのひのきでできあがつた、しづかな奇麗な日曜日を、一そう美しくしたのです。

 子どもは、やどりぎの枝をもつて、一生けん命にあるきだしました。」

『注文の多い料理店』「水仙月の四日」より。






 「雪童子」が、「象の形の丘」の上から、下に広がる平野を俯瞰したけしきを、


「白と藍いろの野はらにたつてゐる、美しい町をはるかにながめました。川がきらきら光つて、停車場からは白い煙もあがつてゐました。」


 と書いています。

 これは、高原台地の突端から盛岡市と北上川を眺めた風景を想像させます。



「この童話を、先入観を持たず、丁寧に読んでいってみると、『ひっそりした台地の雪』『下の平原の雪』『丘も野原も新しい雪』という表現がある。これらを総合すると、なだらかな山の裾野を引いた台地状の平原や野原のイメージが浮び上がってくる。これは岩手山麓と小岩井農場の北を彷彿とさせるものがある。姥屋敷という部落は、ちょうどこんな真中に位置している。」

金子民雄『山と森の旅』,1978,れんが書房,p.53.



「ともかく、この子は昨日の土曜日に橇に木炭を積んで親兄弟のだれかと町へ行き、砂糖を購ってもらって、ひとり先に家に帰ってくる途中だった。」

『山と森の旅』,p.48.



「天気のよい日、ここの東側の斜面からはるか東南方面を眺めると、盛岡郊外の町並が姿をのぞかせる。雪童子のように空から見たら、一望の下にあったろう。だから、文中にある『美しい町』とは盛岡を指し、『川』は北上川で、『停車場』は盛岡駅と考えてまず間違ってはいないと思う。
〔…〕

 また別の個所で、『峠の雪の中に』子供が吹雪で倒れた、とある。この峠は、きっと盛岡方面から姥屋敷に一直線に通じる鬼越坂
〔…〕を指していたのであろう。〔…〕赤毛布をかぶった子供が、〔…〕町に木炭を運ぶ家族と別れて帰って来たこと、それが二日がかりであり、峠を越えるとなると、その町は盛岡となり、峠は鬼越あたりの峠道を考えて無理ではあるまい。」
『山と森の旅』,pp.54-55.






 金子さんは、この峠路の舞台として「鬼越坂」を考えているのですが、しかし、「鬼越坂」は、真冬でもそれほど雪は深くはないのです。雪上タイヤの自動車ならば、楽に通過できます。坂の北側に連なっている丘が、雪や風をさえぎっているのだと思います。

 ギトンは、『水仙月の四日』の峠路はむしろ、その南にある「大沢坂峠」だと思うのです。こちらは、平坦な台地の突端に、峠のピークがとび出していて、北西季節風がまともにぶつかることになるため、非常に雪が多いのです。しかも、「姥屋敷」のほうから下りて来ると、峠の手前がゆるやかな窪地で、深い雪が溜まっています。【水仙月の四日】の記事に書いたように、冬の探索行では、雪が深すぎて峠に近づくことすらできませんでした。






 ところで、雪童子が盛岡の町を眺めた「象の形の丘」ですが、大沢坂峠に登って行く谷間の入口に、↓まるい形の丘があります。平野側が神社と墓地になっていますが、これが「象の形の丘」なのではないか?‥という気がします。

 ↓写真で見るように、現在では杉の叢林の背が伸びていますが、賢治の時代にはそれはまだ無かったとすると、象が頭を下げて伏せた形に見えなくはありません。

 「熊野神社」は古くからある神社で、現在の社殿は 1934年改築とのこと。宮沢賢治(1933年没)の時代には、古い社殿があったことになります。

 【参考】⇒:滝沢市・熊野神社



 「象の形の丘」は、下で引用しますが、他の賢治童話にも登場する特徴のある風景です。人の生死にかかわる場面の前兆に現れるので、《異界》(死後の世界)との境界を示す標識だという解釈もあります。大沢坂峠路の「熊野神社」は、墓地の中にあることや、1792年の山火事の後で、「焼死した大蛇の骨が累々と残存した」という言い伝えなど、賢治童話の「象の形の丘」のモデルとして、ふさわしい条件をもっていると言えます。



滝沢市大沢附近 
熊野神社

黄色で輪郭をなぞった丘の上に
現在は熊野神社があり、
斜面は市の公共墓地
になっています。





 ここからは、盛岡方面がたいへんよく眺望できます。手前で視界を遮っている建物も、賢治の時代には無かったでしょうし。。。




熊野神社
から盛岡方面の眺望

遠方の、ひときわ高い山は早池峰山。




熊野神社
から盛岡方面の眺望

矢印は、高洞山。



∇ 参考記事(高洞山)⇒:
【モリーオ(6)】








 「象の形の丘」は、童話『ひかりの素足』にも出てきます。『ひかりの素足』の舞台も、『水仙月の四日』とよく似ていて、雪におおわれた峠みち、そして、峠に登って行く入口に、象の形をした丘があります。

 ただ、『ひかりの素足』には、場所の地名が出てきます。それは、盛岡ではありません。兄弟の子供たち(一郎と楢夫)が峠越えの道に出発する場面で、父親が、こう言うのです↓



「お父さんが二人に言ひました。

 『そいでぁうなだ、この人さ随ぃで家さ戻れ。この人ぁ楢鼻
(ならはな)まで行がはんて。今度の土曜日に天気ぁ好がったら又おれぁ迎ぃに行がはんてなぃ。』

 あしたは月曜日ですから二人とも学校へ出るために家へ帰らなければならないのでした。」

宮沢賢治『ひかりの素足』より。



 兄弟は、土曜日に山奥の谷川にある炭焼き小屋に行って泊ったあと、月曜は学校があるので、「峠」を越えて家に帰ろうとしているのです。父親は、炭焼きのために、家から離れて谷川の小屋に滞在しています。できた木炭を馬に載せて「楢鼻」まで運んで行く人がいるので、送ってもらえというわけです。

 「楢鼻」は、稗貫郡・内川目村の部落で、現在は、花巻市大迫町内川目。2万5000分の1地形図の早池峰ダムの下に、「楢花」という集落の表示があります。そうすると、舞台は、盛岡の近くではなく、早池峰山に通じる深い谷間、大迫
(おおはざま)の奥の山間部だということになります。

 ところが、別の箇所で父親が楢夫をなだめることばの中に、


「『泣ぐな。な、泣ぐな。春になったら盛岡祭見さ連つれでぐはんて泣ぐな。な。』」


 とありますから、やはり盛岡の近くのようでもあるのです。



 おそらく、この童話の舞台は、『水仙月の四日』と同じ大沢坂峠を考えているのでしょう。ただ、『水仙月の四日』よりさらに厳しい雪嵐になるので――吹雪の中で「楢夫」は凍死してしまいます――、もっと険しい山奥の早池峰方面のイメージを合わせているのではないでしょうか。






「みちはいつか谷川からはなれて大きな象のやうな形の丘の中腹をまはりはじめました。栗の木が何本か立って枯れた乾いた葉をいっぱい着け、鳥がちょんちょんと鳴いてうしろの方へ飛んで行きました。
〔…〕

 みちはだんだんのぼりになりつひにはすっかり坂になりました
〔…〕

 
〔…〕来た方を見ると路は一すぢずうっと細くついて人も馬ももうのかげになって見えませんでした。いちめんまっ白な雪〔…〕がなだらかに起伏しそのところどころに茶いろの栗や柏の木が三本四本づつちらばってゐるだけじつにしぃんとして何ともいへないさびしいのでした。けれども楢夫はそのの自分たちの頭の上からまっすぐに向ふへかけおりて行く一疋の鷹を見たとき高く叫びました。

 『しっ、鳥だ。しゅう。』

 一郎はだまってゐました。けれどもしばらく考えてから云ひました。

 『早ぐ峠越えるべ。雪降って来るぢょ。』

 ところが丁度そのときです。まっしろに光ってゐる白いそらに暗くゆるやかにつらなってゐた峠の頂の方が少しぼんやり見えて来ました。そしてまもなく小さな小さな乾いた雪のこなが少しばかりちらっちらっと二人の上から落ちて参りました。

 『さあ楢夫、早ぐのぼれ、雪降って来た。上さ行げば平らだはんて。』一郎が心配さうに云ひました。

      
〔…〕

 だんだんいたゞきに近くなりますと雪をかぶった黒いゴリゴリの岩がたびたびみちの両がはに出て来ました。

      
〔…〕

 けれどもまだその峯みちを半分も来ては居りませんでした。吹きだまりがひどく大きくなってたびたび二人はつまづきました。

      
〔…〕

 雪がどんどん落ちて来ます。それに風が一そうはげしくなりました。二人は又走り出しましたけれどももうつまづくばかり一郎がころび楢夫がころびそれにいまはもう二人ともみちをあるいてるのかどうか前無かった黒い大きな岩がいきなり横の方に見えたりしました。

 風がまたやって来ました。雪は塵のやう砂のやうけむりのやう楢夫はひどくせき込んでしまひました。

 そこはもうみちではなかったのです。二人は大きな黒い岩につきあたりました。」

宮沢賢治『ひかりの素足』より。



 楢夫が、「象の頭の形の丘」を越えて飛んでゆく鷹を見て、「鳥だ。しゅう。」と叫ぶシーンは、まもなく遭難死することになる運命を想わせます。賢治の詩や童話では、鳥は、しばしば《異界》とこの世を往復する存在として登場するのです。

 なお、大沢坂峠には岩はありません。「黒い大きな岩」は、《異界》に入りこんだために現れたのか、それとも、どこか大沢坂峠以外の峠道の風景なのか?‥‥今後さらに探索してみたいと思っています。







 さて、「象の形の丘」が登場する・もう一つの童話は『若い木霊』。こちらは雪ではなく、早春の野原で、ゆるやかな丘と窪地が交代する原野の風景。岩手山のふもとかもしれませんが、北海道かサハリンのような感じもします:



「その窪地はふくふくした苔に覆われ、所々やさしいかたくりの花が咲いていました。若い木だまにはそのうすむらさきの立派な花はふらふらうすぐろくひらめくだけではっきり見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せわしくあらわれては又消えて行く紫色のあやしい文字を読みました。

 『はるだ、はるだ、はるの日がきた、』字は一つずつ生きて息をついて、消えてはあらわれ、あらわれては又消えました。

 『そらでも、つちでも、くさのうえでもいちめんいちめん、ももいろの火がもえている。』

 若い木霊
〔こだま〕ははげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押えながら急いで又歩き出しました。

 右の方の象の頭のかたちをした灌木の丘からだらだら下りになった低いところを一寸越しますと、又窪地がありました。

 木霊はまっすぐに降りて行きました。太陽は今越えて来た丘のきらきらの枯草の向うにかかりそのななめなひかりを受けて早くも一本の桜草が咲いていました。
〔…〕
宮沢賢治『若い木霊』より。
(原文は旧仮名遣い) 



 「象の頭のかたちをした灌木の丘」を通り過ぎた後、「木霊」は、「鴇」――鳥です!!――に出会い、「鴇」に誘われて怪しげな《異界》に入って行こうとしますが、危険を感じて引き返すのです。









新鬼越池
から南を望む。
黄矢印:「鬼越坂」。赤矢印:「大沢坂峠」。
中央の丘は「燧掘(かどほり)山」




大沢坂峠




大沢坂峠 
賢治詩碑

峠道は現在整備中で、
詩碑も、ごらんのとおり
これから台などを整えて
きれいにするのでしょう。



 眠らう眠らうとあせりながら
 つめたい汗と熱のまゝ
 時計は四時をさしてゐる

 わたくしはひとごとのやうに
 きのふの四時のわたくしを羨む
 あゝあのころは
 わたくしは汗も痛みも忘れ
 二十の軽い心躯にかへり
 セピヤいろした木立を縫って
 きれいな初冬の空気のなかを
 石切たちの一むれと
 大沢坂峠をのぼってゐた


宮沢賢治『疾中』詩集より〔眠らう眠らうとあせりながら〕〔下書稿(二)〕



 ↑1928年以後の病床で書かれたものですが、回想の「二十の軽い心躯」で「大沢坂峠をのぼってゐた」頃――20歳とすれば、ちょうど↓下の短歌群が書かれた 1916年にあたります。

 下の短歌群は、同年7月の地質調査の際に書かれていますが、回想で「石切たちの一むれ」と峠を登ったと云うのは、燧掘山のほうへ行く石工のグループと、峠道でいっしょになったのでしょうか?






 大沢坂峠

 大沢坂の峠も黒くたそがれのそらのなまこの雲にうかびぬ

『歌稿A』#341.



      ※ 大沢坂峠

 大沢坂の
 峠は木々も
 やゝに見えて
 鈍き火雲の
 縞に泛べり

      ※ 同 まひる。

 ふとそらの
 しろきひたひにひらめきて
 青筋すぎぬ
 大沢坂峠。

『歌稿B』#341a342,342.



 上の2つの歌は、夕暮れに麓のほう――鵜飼・大沢方面から峠を見上げているようす。3つめは、おそらく翌日の真昼ですが、峠に登って行くところかもしれません。




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