ちゃぐちゃぐ馬こ(2)




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盛岡市の年中行事・宮沢賢治関係






 「ちゃぐちゃぐ馬こ」は、岩手県盛岡市・滝沢市の年中行事で、「ちゃごちゃご」「ちゃがちゃが」「ちゃんがちゃんが」とも呼ばれます。これらは、行進する馬につけた鈴や“鳴り輪”の音です。

 宮沢賢治もこの行事が好きで、連作短歌を詠んでいます。いつかは見たいと思っていた「ちゃぐちゃぐ」を、今年ようやく見に行くことができました。






∇ 前の記事⇒:ちゃぐちゃぐ馬こ(1)


↑こちらからの続きです。









鬼越蒼前神社附近

行列を作って出発しました。
レッツゴー!! ちゃんが、ちゃんが‥‥‥




鬼越蒼前神社附近




 2018年 ちゃぐちゃぐ馬こ 実況

チャグチャグ(音声) 駒形蒼前神社附近 いななきあり








滝沢市役所附近


パカッ‥パカッ‥のんびりしたもんですねえ。
乗ってて眠くならないかな?w




 2018年 ちゃぐちゃぐ馬こ 実況

チャグチャグ(音声) 滝沢市役所附近 ひづめ音








夕顔瀬橋

北上川を渡って、盛岡城下町に入ります。
先頭を行くのは、市長さんはじめ役員の乗った馬。
陣笠をかぶっています。




夕顔瀬橋


馬が糞をするのは、しかたないですw




 2018年 ちゃぐちゃぐ馬こ 実況

チャグチャグ(音声) 夕顔瀬橋 ひづめ音高らか






「音だけじゃあ、つまらない」という人は、↓こちらを。

チャグチャグ(動画) 夕顔瀬橋〜中ノ橋








∇ 参考記事⇒:モリーオ(8):
材木町と夕顔瀬橋










 ところで、宮沢賢治の時代の“ちゃぐちゃぐ馬こ”も、現在と同じような行列だったのでしょうか?

 前回の連作短歌を見ていると、いくつか疑問の点が目についてきます。前回の短歌を、もう一度出してみます。

 ちなみに、この8首は、賢治の作った最初のヴァージョンで、ここから4首を選んで『歌稿A』に収録し、さらに改作して『歌稿B』に収録しています。






      ちゃんがちゃがうまこ

 □夜
(よ)の間(ま)がら ちゃんがちゃんがうまこ
  見るべとて 下
(しも)の橋には いっぱ 人立つ

 □夜明には まだはやんとも 下の橋
  ちゃんがちゃがうまこ 見さ出はた人

 □下の橋、ちゃんがちゃが馬こ 見さ出はた
  みんなのなかに おとゝもまざり

 □ほんのぱこ 夜あげがゞつた雲の色
  ちゃんがちゃがうまこは 橋わだて来る。

 □中津川ぼやんと しいれい藻の花に
  かゞった橋の ちゃがちゃがうまこ

 □はしむっけの やみのながゞら 音がして
  ちゃんがちゃがうまこは 汗たらし来る

 □ふさつけだ ちゃがちゃがうまこ はせでげば
  夜明けの為か 泣くたよな 気もする

 □夜明方 あぐ色の雲は ながれるす
  ちゃがちゃがうまこは うんとはせるす

(大正6年6月中)   

『アザリア』,1号,1917年7月. より。 






 疑問点は、つぎの3つにまとめることができます:



@ まず、時刻です。“夜が明けかかった雲の色”という時刻に、チャグチャグ馬コが、盛岡市内・中津川にかかる「下の橋」を渡って来るというのです。

  現在のチャグチャグ馬コが中津川を渡るのは、午後1時頃です。↑さきほど夕顔瀬橋から市内に入った時点で、すでに正午を過ぎていました。

  もし、賢治の時代の馬コが鬼越から来るのだとしたら、真夜中に出発しなければならないでしょう。


A 次に、経路と方向です。現在のチャグチャグ馬こは「中の橋」で中津川を渡って、旧・盛岡城下の下町に入ります。しかし、賢治の時代には「下の橋」を渡っています。しかも、賢治が“馬コが橋を渡って来る”と言うのですから、賢治の下宿とは対岸の下町のほうから、賢治の下宿と盛岡城のあるほうへ渡って来ると思わなければなりません。そのまま行き過ぎれば、中央通りから滝沢方面へ向かうことになります。

 つまり、現在とは方向が、ほとんど逆なのです。




「下の橋」
(左)
右は、保阪嘉内ゆかりの「下の橋教会」。
その向って左のほうに賢治の下宿があった。






 盛岡の地理を知らない方には、説明がわかりにくかったかもしれません。こちらの関連記事↓を参考にしてみてください。ともかく、“現在とは、行列の進む方向が逆だ”ということを、頭に入れていただければよいです。



∇ 関連記事⇒:
モリーオ(5):中津川、下の橋


∇ 関連記事⇒:
モリーオ(4);盛岡下町・鉈屋町






B 疑問点の第3は、賢治の時代のチャグチャグ馬コは、全速力で走っているということです。子どもを乗せて、のんびりとパッカリパッカリ進んでくる現在の馬コとは、およそ状況が違うように思えます。“橋の向こうの闇の中から音がして、馬が汗を垂らしてやってくる”“ちゃがちゃがうまこは うんと走ります”

 『歌稿B』ヴァージョンには、↓つぎのような歌もあります:



 いしょけめに
 ちゃがちゃがうまこはせでげば
 夜明げの為が
 泣くだぁぃよな気もす。

『歌稿B』#539.



 馬が汗を垂らして、一所懸命に走ってゆくのを見ていると、なんだか悲しくなってしまうと言うのです。

 ここには、賢治独特の家畜への同情心が表れていますが―――『フランドン農学校の豚』を思い出しましょう!!―――それよりもここで注目すべきことは、馬の置かれた状況の、昔と今の違いです。

 今のチャグチャグ馬コは、あんまりゆっくりと、しずしず歩かされるので、強い馬は力があまってしまって、時々いなないたり、暴れだしたりします。綱執りのおじさんたちは、「どう!どう!」と抑えるのに必死です。

 しかし、賢治の時代のチャグチャグ馬コは、全速力で走らされていたように見えます。競走馬ではなく、農耕馬なのに、早駆けで汗だくになって走らされるのです。賢治が思わず涙をこぼしたのは、「夜明け」でまだ眠かったせいだけではないでしょう。。。。






 そういうわけで、賢治の時代のチャグチャグ馬コは、今とはかなり違う行事だったのではないかと、考えられてきます。時刻と進む方向の問題はまだ解決していませんが、これらも何か、行事の性格の違いと関係があるように思われます。


 そこで、少し文献を拾ってみましょう↓





「近年は着飾った馬に子どもを乗せて行進する観光行事的性格が強いが、もともとは馬の守護神である駒形神社蒼前社への『蒼前
(そうぜん)参りの馬』と称される参詣行事で、馬産地南部ならではの馬の神『馬櫪神(ばれきじん)』信仰の祭事。大正末までは『大駆け』と言って旧暦5月5日の端午の節句の早朝、都南村方面から盛岡市内を抜けて滝沢村鵜飼の駒形神社まで、若者によって参詣の朝の早駆けを競ったと言う。盛岡市内の『下(しも)の橋』では藩政時代の馬飼農民の馬神への『投げ銭』が行なわれ、朝もやの中からチャグチャグと聞こえてくる鈴・鳴輪〔なりわ〕の音に子どもたちは興奮したと言う。」
『定本・宮澤賢治語彙辞典』「ちゃんがちゃが馬こ」






「駒形神社から盛岡八幡宮まで行進するようになったのは、昭和5年(1930)に秩父宮雍仁親王が来盛された折、盛岡八幡宮で馬揃えを見せてからだとされている。

 『蒼前さま』は馬の神様で、もともとは端午の節供に行われていた早朝の『お蒼前参り』が原形とされ、この日は仕事を休んで、蒼前さまに馬を引いて無病息災と五穀豊穣を願うのが習わしだった。現在は『チャグチャグ馬コ』といえば滝沢市の駒形神社だが、かつては盛岡市玉山区芋田の駒形神社も『お蒼前参り』で知られており、石川啄木の『渋民日記』にその情景が記されている。

 名称の由来とされる『チャグチャグ』と鳴る鈴が付けられた特徴的な馬装束は、参勤交代の小荷駄
(こにだ)装束に由来するといわれている。戦前までは腹当てや鳴り輪をつけた程度の簡素なものだった」
もりおか歴史文化館・編『馬のいた風景』,2014. より。






 これらの文献によると、チャグチャグ馬コが、滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市へ行進する行事になったのは 1930年ころのことであったようです。宮沢賢治が上の短歌(『アザリア』ヴァージョン)を書いた 1917年や、『歌稿B』に収録した 1921年ころには、盛岡の南郊・都南村から出発して、鬼越蒼前神社への“朝参り”をする行事で、早駆け競争として行われていたのです。

 つまり、@夜明け前に都南村を出発する早朝の行事で、A今とは逆に、都南→盛岡市内→滝沢市鬼越 という方向に、B全速力で馬を走らせたのです。



 これでようやく、賢治の短歌の意味がわかってきました。。。



 最後に、古写真で、1930年以前のチャグチャグ馬コの状況を確認しておきたいと思います。




チャグチャグ馬コ 
1918〜1932年
もりおか歴史文化館『馬のいた風景』より

乗り手は凛々しい若者。
馬装束も、今と比べるとよほど簡素なものです。



 ↑残念ながら、確実に 1930年以前だと断言できる写真が見つからないのですが、だいたい 1930年以前と言える写真が、これです。

 早駆け競争の騎手は、やはり子どもではなく、りっぱな若者でした。

 汗だくで走る馬に対して、自然と湧き上がってしまう同情心、しかしその一方で、馬上の凛々しい“若武者”に対する、これまた抑えようもなく湧き上がる憧れ。賢治の心中には、どんな葛藤が巻き起こっていたのか? この短歌群を、もっともっと追究してみたい気がしてきました‥‥







下ノ橋 
1932-33年ころ
下ノ橋を早駆けで渡るチャグチャグ馬コ。
もりおか歴史文化館『馬のいた風景』より

いまののんびりしたパレードとは大違い。
当時のチャグチャグ馬コは早駆け競争だった。



 ↑この写真は 1930年以後のものですが、「下の橋」を早駆けで渡っています。馬が互いに競走しているようでもあります。

 しかし、ちょっとふに落ちないのは、時刻と、進んでいる方向です。この写真は、どう見ても昼間です。少なくとも夜明けよりは後です。そして、↑上の、現在の「下の橋」の写真と比べてほしいのですが、賢治の下宿と盛岡城のある方向(写真の対岸)から、下町・都南の方向(写真の手前)に向って走っています。

 1930年以前の、賢治の時代に想定される渡橋時刻は、夜明け前で、渡橋方向は、都南から盛岡城への方向でした。これは、どうしたことでしょう?

 考えられるのは、この写真はやはり 1930年以後なので、賢治の時代とは、すでに若干、行事のやり方が異なってきているのではないかということです。つまり、戦後のチャグチャグ馬コのようになっていく途中の、過渡的状態なのではないか?

 おそらく、この 1932年ころには、すでに、朝方に蒼前神社に参拝して、お昼ごろ盛岡に着くという現在の時刻と方向になっていたのでしょう。しかし、早駆け競走まで、いっぺんに廃止することはできなかったのでしょう。楽しみにしている若い騎手たちや観客たちがまだいたからです。そこで、盛岡に着いた後で、こうして早駆け競走を行なったのではないでしょうか?



 ともかく、今回書いたことは、まだ予備考察の段階です。

 チャグチャグ馬コの歴史についても、宮沢賢治の短歌群の意味についても、これから調べて考えてゆくとっかかりを得たというところでしょう。しかし、この分野の奥深さに興味が湧いてきませんか?

 みなさんのなかでも、もし興味が湧いたら、自分で調べてみてほしいと思います。市史、村史の類、岩手日報などの古い記事、古写真等々、資料はたくさんあるはずです。

 そして、もし何かわかったら、ぜひギトンにもお知らせいただきたいとお願いしておきましょう‥






∇ ひとつ前の記事⇒:ちゃぐちゃぐ馬こ(1)




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