青 森(4)




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平館
(たいらだて)灯台





 1988年に青函トンネルが開通するまでは、青森と函館の間は連絡船航路がつないでいました。

 宮沢賢治は、生涯に3度、北海道方面への旅行のために、この海峡を往復しています。







平館灯台


青森湾の出口・平館海峡の
津軽半島側にあります。初点灯は 1899年。
現在も大型LEDライトが稼働しています。




平館灯台 
灯台と霧笛






 青森〜函館間の海は、青森湾から外海(津軽海峡)に出るところで、西の津軽半島側に東の下北半島の尖端が迫ってきて、狭い海峡をつくっています。ここは「平館海峡」と呼ばれます。

 平館海峡の津軽側海岸には灯台と霧笛があって↑、夜間も霧の日も、往来の船に海峡の位置を知らせてきました。






 賢治が連絡船から見ていた「白い燈台」は、この平館灯台だったと思われます。



 さあいま帆綱はぴんと張り
 波は深い伯林青に変り
 岬の白い燈台には
 うすれ日や微かな虹といっしょに
 ほかの方処系統からの信号も下りてゐる。
 どこで鳴る呼子の声だ、
 私はいま心象の気圏の底、
 津軽海峡を渡って行く。
 船はかすかに左右にゆれ
 鉛筆の影はすみやかに動き
 日光は音なく注いでゐる。
 それらの三羽のうみがらす
 そのなき声は波にまぎれ
 そのはゞたきはひかりに消され

   (燈台はもう空の網でめちゃめちゃだ。)


『春と修羅・第1集補遺』 1923.8.1.「津軽海峡」





平舘海峡の海図 
函館市青函連絡船記念館

青函連絡船の航路は、いまの青函フェリーよりも
西に寄っており、平舘灯台のすぐ近くを
走っていました。






「五月十九日

      
〔…〕

      *

船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影は波にうつって黒い鏡のようだ。

津軽半島の方はまるで学校にある広重の絵のようだ。山の谷がみんな海まで来ているのだ。そして海岸にわずかの砂浜があってそこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている。少し大きな谷には小さな家が二、三十も建っていてそこの浜には五、六そうの舟もある。

さっきから見えていた白い燈台はすぐそこだ。ぼくは船が横を通る間にだまってすっかり見てやろう。絵が上手だといいんだけれども僕は絵は描けないから覚えて行ってみんな話すのだ。風は寒いけれどもいい天気だ。僕は少しも船に酔わない。ほかにも誰も酔ったものはない。

      *」


宮沢賢治『ある農学生の日誌』より。
(原文は旧仮名遣い) 



「津軽半島沿いに北上する連絡船。その津軽半島は『広重の絵』のような風情だという。じっさい、光があたって白くつづく道路と町なみの上におおいかぶさるような山々の緑と、さらにその上に重なる青い連山の風景は、まさに一ぷくの名画のそれにふさわしかった。

 『山の谷がみんな海まで来てゐる』

 ほんとうにそうだ。青森から蟹田の海岸までは、それでも、青森平野の延長で、沖積層がほそぼそとつづくが、その先となると、標高350〜500メートルの、粗粒玄武岩や流紋岩から成る新第三紀の小さな褶曲山脈が断崖をなして海に迫り、谷が、突然、海岸で切れているのだ。だから当然、『わずかの砂浜』しかない。

 『そこには巨きな黒松の並木のある街道が通っている』

 という。松前街道とよばれる『青函トンネル』の青森側の入口竜飛崎へ通ずる道だ。

 『少し大きな谷には小さな家が二、三十も建ってゐてそこの浜には五六そうの舟もある』

 その谷は、『地形図』をみると、どうやら湯沢川だ。河口には、せまいながらも扇状地が発達し、小さな部落をつくらせている。根岸とよばれる村で、津軽半島唯一の漁港だ。

 『さっきから見えてゐた白い燈台はすぐそこだ。』

 うたがいもなく、平館燈台。土色の断崖がつづく海岸に、ひときわ純白を誇る燈台だ。とりわけ、昔の連絡船は、いまよりもっと近く津軽半島の陸地沿いを通ったという。」

宮城一男『宮沢賢治との旅』,pp.33-34.







平館海岸の松林 
灯台附近
松前街道の両側に広がっています。




平館・根岸漁港

うしろに見える山は下北半島。
白い船が走ってるのが、見えますか?




湯ノ沢川 
河口
対岸・下北の山がよく見える。

晴れ上がって陽が出てきました。
天候次第で極端に表情の変わる海です。




湯ノ沢川 
上流を望む。
津軽半島の山々が海に迫っています。




湯ノ沢川 
河口

海鳥の種類がわかりませんが、
ウミスズメ?ウミガラス?



       ※

 うみすゞめ
 つどひめぐりて
 あかつきの
 青き魚とる 雲垂れ落つを


宮沢賢治『歌稿B』#752.






 1924年の修学旅行引率の際に書かれた↓こちらの「津軽海峡」(『春と修羅・第2集』所収)は、前年のサハリン旅行の際の「津軽海峡」よりも、明るくあざやかな色彩にみちているように思われます。おそらく、連絡船で海峡を通過した際に、ちょうど天候が良かったせいもあるのではないでしょうか?

 「東邦風の……結婚式」と呼びたくなるような、きらびやかな風景のなかで、自分の乗った船だけが、黒い煙を吐いて、「砒素鏡」の暗鬱な航跡をひきずってゆく―――そんな心象が受けとられます。



      水の結婚

 東には黒い乱積雲の椀ができて
 古びた緑青いろの半島が
 ひるの寂寥をたたえてゐる
 その突端と青い島とのさけめから
 ひとつの漁船がまばゆく尖って現はれる
 波は潜まりやきらびやかな点々や
 反覆される四部輪唱の水平や

   ……面映ゆい数々の正反射……

 あるひは海蒼と銀との縞を織り
 また錫病と伯林青
(プルシヤンブルー)
 水がその七いろの衣裳をかへて
 ひとびとに誇ってゐるときに

   ……東邦風のあかるく喧澄な結婚式……

 けむりはながれ
 水脉はさびしい砒素鏡になる


 わたくしは南に一つの天の氷河を見
 また竜巻の渦巻く黒い尾をのぞむ


『春と修羅・第2集』#116, 1924.5,19.「津軽海峡」〔下書稿(一)〕






∇ 関連記事⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【64】津軽海峡



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