比 叡(6)




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比叡山に宮沢賢治の足跡をたどります。




横 川
(よかわ)





 1921年4月はじめ、宮澤政次郎・賢治父子は、比叡山延暦寺を訪れました。午後3時に根本中堂に到着したあと、大講堂と鐘楼、無動寺・大乗院を廻って、「白川道」ないし「白河越の道」から京都へ下山しています。

 前回までにご紹介したように、↑この旅程では、“延暦寺3塔”のうち西塔にも横川にも行けてないわけですが、父子のタイトな日程では難しかったでしょう。西塔はともかく、横川にはぜひ行ってほしかった気がします。というのは、横川には、日蓮が修行した「定光院(じょうこういん)」があるからです。



∇ 参考記事⇒:比叡(4)

∇ 参考記事⇒:《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(2)









 そこで今回は定光院を訪ねてみました。行ってみると、定光院は横川でももっとも奥にありました。バス停から徒歩30分、駐車場には車が数台止めてありましたが、歩いてここまで来る人はほとんどいないようです。




定光院 





定光院 
日蓮像

入って正面に日蓮の銅像があります。
秀でた眉が特徴的ですね。この人は安房出身ですが、
もしかしてアイヌ系かなと思いました。当時の日本では
偉い人はみな(源氏の武将も)西国系の貴族顔。日蓮が、
あえて比叡山の中心部を避けて定光院で修行した理由が
わかるような気がします。




定光院 
本堂






 延暦寺の中で、ここ定光院だけは特別に、天台宗ではなく、日蓮宗が預って管理しているそうです。

 本堂の中から、ナンミョーホーレンゲーキョー…… という唱題と読経の声が聞こえてきました。森の若葉の樹々に沁みとおってゆくような、明るいテノールでした。聞いていて涙がこぼれました。

 「ナンミョーホーレンゲーキョー」を聞いて落涙したなどというのは生まれてはじめてです。ギトンは、ミヤケンのおかげで法華経や日蓮宗の知識は豊富になりましたが、信仰はまったくありません。信仰がないどころか、幼い時から刷り込まれた偏見が染みついていると思っています。「ナンミョーホーレンゲーキョー」という言葉じたいが条件反射的に侮りの気持ちをひきおこしてしまうのです。

 にもかかわらず、この時はたしかに涙が出てしまいました。『銀河鉄道の夜』の「黒い帽子の大人」のことばを思い出しました↓



「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考を分けてしまへばその実験の方法さえへきまればもう信仰も化学と同じやになる。」

『銀河鉄道の夜』〔第3次稿〕より。







定光院 
手水鉢
ほんとうに日蓮が使った物かどうかはわかりませんがw
見るからに古いものであることはたしかです。






 さて、まだ容量に余裕があるので、横川のほかの堂宇の画像も出しておくことにします。




元三大師堂(四季講堂)

まえからいちど横川へ行ってみたいと思っていた理由は
ミヤケンのほかにもう一つあって、元三大師堂の周りに
ブナが多いと山のガイドブックに書いてあったからです。
ところが、‥見あたらないのですねえ...




元三大師廟とブナ
(左)

ありました、ありました!
大師堂ではなく大師廟のほうでしたw ので行き直しました。
ここは、もとは「御廟
(みみょう)の森」と呼ばれ、
ブナの巨樹が鬱蒼と繁っていたそうです。
ところが、いま行ってみると細めのブナが数本
残っているだけ。巨樹はみな枯れたり台風で倒れて
しまったようです。残念ですねえ。。。





惠心堂

『往生要集』を著した浄土教の“元祖”恵心僧都
(源信)が住まっていたところ。こんな小さな
お堂で質素に暮らしていたんですねえ。。。





比叡山頂
では、ちょうど
シャクナゲが満開でした。





∇ つぎの記事⇒:比叡(7)


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