南湖と大津(4)




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琵琶湖をクジャクに喩えると、鳥の首のように
細長くなっている南端部を「南湖」と言うそうです。

大津と琵琶湖畔での
宮沢賢治の足跡をたどります。








瀬田の唐橋、粟津、石場浜







冠雪の比良山系 
琵琶湖遊覧船ミシガン号より。



 鳰
(にほ)の海、石山行きの、小蒸気に、陽はあかあかと、山なみの雪。
宮沢賢治短歌。『校友会会報』,第32号,1916年11月25日. より。






 この日(1916年3月26日)修学旅行の一行は、京津電車の「札ノ辻」駅から三井寺を参詣して、大津港(浜大津)で汽船に乗り、湖岸を周航して瀬田川を石山寺まで下っています。瀬田川は、琵琶湖から流れ出る唯一の川で、宇治・桃山付近で淀川になり、大阪湾に注いでいます。

 石山寺を見たあとは、ふたたび和船で瀬田川を遡り、晴嵐(現在の石山駅付近)で船を降りて、粟津ヶ原にあった滋賀県立農事試験場を訪問しました。

 農試から京都三条への帰路は、2隊に別れて、1隊は大津電車(現在の京阪・石山坂本線)で浜大津に戻り、和船で琵琶湖疎水を遊覧して京都・南禅寺へ。


∇ 関連記事⇒:キオート(9)


 もう1隊の経路は不明ですが、↓こちらで推定したように、石山駅から官営鉄道で旧・山科駅または稲荷駅まで行き、大石内蔵助・旧跡や伏見稲荷大社、また「山科のタケノコ畑」を見て、京都へ戻ったのではないかと思います。


∇ 関連記事⇒:キオート(8)







地図 
南湖・大津



「八時宿を出で京津電車にて大津に向ふ。山科の辺を過ぐ。大石良雄に有名たり名所旧跡亦多し追分け過ぎて大津に着く。

 歩して数町三井寺に詣づ。
〔…〕

 其れより汽船にて一時間半石山に至る。途中膳所粟津瀬田を過ぐ又勝地古跡たり。石山寺に詣づ
〔…〕

 再び和船にて湖に浮ぶ唐橋の下晴嵐の辺りより船を棄てて農事試験場を訪ふ。

 滋賀県立農事試験場参観

 船の内から遥に赤い屋根の建物が見える此れが滋賀県立農事試験場である、」

(「農学科第二学年修学旅行記」「二十六日(三木敏明執筆)」, in:『校友会会報』,第31号,1916年7月;『新校本全集』14巻・校異篇,pp.21-22.)







瀬田川 
石山寺付近から下流を望む。




瀬田の唐橋 








滋賀県立農事試験場・跡 
粟津が原

この道は、旧・東海道。道の左側――現在は
工場の敷地になっている場所に、農事試験場の
2ヘクタールあまりの試験田が広がっていました。




滋賀県立農事試験場・跡 
粟津中学校と農試の案内碑

現在の粟津中学校は、試験場跡地とは
旧・東海道をはさんで向かい側になります。
中学校の塀の一角に、農事試験場のあった
ことを示す小さな案内碑があります。



「農業試験研究発祥の地付近

 明治28年4月1日、この旧東海道の向いに広がっていた粟津が原(旧膳所村別保)に滋賀県農事試験場が開設以来百年を迎えるにあたり、これを記念して建立(平成7年3月)。

   ――――――――――――――――

 植物ウィルスが、昆虫の媒介によって伝染されることを発見した世界的な研究や、日本稲作史上はじめて人工交配により新しい品種(近江錦)を育成、実用化に成功したことなどで農業の発展に貢献した幾多の試験研究がこの地で行われた。」

碑文より。






「滋賀県立農事試験場参観

 船の内から遥に赤い屋根の建物が見える此れが滋賀県立農事試験場である、当場は28年の創立田2町畑4反余化学種芸園芸種畜の各部を有して居る。陳列場を見ながら暫らく休息する。稲麦の標本が多く殊に珍らしい大粒種があつた。其れから場長の懇切なる講話があつて益する処が少なくなかつた其の儘に書う。

 
〔…〕当県は米作地なる故従つて本場も種芸部に重きをおき即ち品種の改良に早く着手し大正元年米純系の分離を初めた。〔…〕なほ当場の病害部は有名なもので稲の萎縮病の媒介が褄黒横這〔ツマグロヨコバイ〕に依ると云ふ発見も当場のもので連年なほ試験を続けて居る事や野鼠チブス菌の配布は5千町歩に及んで効果の偉大な事等を付け加へて話された。〔…〕其れから試験地の大麦純糸栽培炉土試験の案内を受けて此の処を辞す。

 帰りは二途に別れた。吾々は電車で大津に其れから和船で疎水を下つた。」

(「農学科第二学年修学旅行記」「二十六日(三木敏明執筆)」, in:『校友会会報』,第31号,1916年7月;『新校本全集』14巻・校異篇,p.22.)








 さて、ここで、1921年4月初めの宮沢政次郎・賢治“父子巡礼”の足跡も見ておきたいと思います。

 堀尾青史氏によれば、父子は伊勢方面から官営鉄道・大津駅(馬場駅。現在の膳所駅)まで来て、「石場浜」で湖南汽船に乗船し、「下坂本」で上陸して表参道を比叡山に向ったとされます:



「第三日、二見駅より京都行(草津線経由)にのり大津駅下車。琵琶湖岸石場浜から湖南汽船にのり船中食事、下坂本に下船。これより比叡登山約四粁。午後三時ころ根本中堂に詣で、更に進んで大講堂へ。」

堀尾青史『宮澤賢治年譜』,1991,p.134.



 当時は、浜大津〜坂本間の電車はまだありませんでしたから、船で坂本へ行くのは自然な経路です。しかし、大津駅(馬場,現・膳所)〜浜大津間の電車はすでに開通していました
(↓下の“ミステリー”を書いた時は、見落としていましたが...)

 したがって、大津(現・膳所)で官営鉄道を降りた後は、大津電車(現・京阪電車)で「石場」まで行き、「石場浜」で乗船したのが、もっともありそうな経路です。「石場」駅と「石場浜」港のあいだは徒歩数分です。

 堀尾氏は、「石場浜から湖南汽船にのり」と、政次郎氏からの聞き書きでしょうけれども書いており、じっさいに当時の時刻表でも湖南汽船は「石場浜」に寄港しているのですから、この記述を疑う必要はないと思います。
(ただし、伊勢の「二見」で乗車したというのは不正確。詳しくは↓こちらで考察しました。)


∇ 本記事はこちら⇒:
ギトンのあ〜いえばこーゆー記
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(2)








石場浜 
琵琶湖上から。

かまぼこ屋根の白い建物は
滋賀県立芸術劇場「びわ湖ホール」。




石場浜港・跡

ここは「びわ湖ホール」の裏手です。
「常夜燈」と彫られた大きな石造の
灯籠があるので、この付近が港の跡
と思われます。





∇ ひとつ前の記事⇒:南湖と大津(3)




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