キオート(3)




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京都をエスペラントで「キオート」と言います。

京都での宮沢賢治の足跡をたどります。






三条、東山





「帰途は裏に回って白川路を行くこととなりました。この道も京の方から来た巡礼姿の巡拝の女人に会ったほかは、誰にも会わず、淋しい道でありました。山を下る頃、既に黄昏
(たそがれ)になりまして

  
〔…〕

 水音のみの真暗い大原の町を過ぎ、京の出町柳から市電に乗って疲れた身体を三条小橋の布袋屋に投じました。」

(佐藤隆房『宮澤賢治』,第5版(改訂増補版),1970,冨山房,pp.70-72.)



 1921年の“比叡越え”では、宮沢父子は夜遅く「三条小橋の布袋屋」旅館に到着しています。

 地元の方の調査研究で明らかになったのですが、この「布袋屋」(正しくは「布袋館」)は、三条大橋西詰のスターバックス・コーヒーから数軒先の並びで、現在は「加茂川館」という大きな旅館がある位置に立っていたそうです。

 しかもなんと‥、あの『東海道中膝栗毛』で弥次喜多が泊ったとされる三条の「編笠屋」も、「加茂川館」「布袋館」と同じ場所に実在した旅籠なのだそうです…

 ここは、政次郎氏の京都での定番の宿だったそうで、たしかに昔も今も交通至便な地にあります。‥‥とは言っても、京都のどこに泊まったら便利か、などというのは、よほど来慣れないとわからないことでして、ギトンなどは最近ようやくちっとはわかるようになったくらいでw。


【参考】⇒:
《宮沢賢治の詩の世界》:
京都における賢治の宿(1)




 ちなみに、今回直木賞の『銀河鉄道の父』を読むと、そのへんのこともよく書かれています。この小説、フィクションの部分もありますが、大部分の筋は、これまでの研究で明らかになった事実に立脚しています。政次郎氏の京都での行動など、ずいぶんよく情報を集めて書いているのに驚かされます。



 三条に下りて来るまでの父子の旅程↓

∇ 参考記事⇒:比叡(4)

∇ 参考記事⇒:比叡(5)

∇ 参考記事⇒:《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(2)







旅館「布袋屋」跡 
現「加茂川館」
三条小橋(木屋町三条)きわ







三条大橋

左上は三条大橋西詰にある弥次喜多像。
左下は三条大橋の擬宝珠。橋の下は鴨川。

1590年豊臣秀吉が石柱の橋に改修し、
江戸時代は東海道の西の起点でした。
現在の橋本体は1950年建造ですが、
擬宝珠などは江戸時代のもの。
宮沢賢治は、2回の京都訪問のさい、
この橋を渡ったことになります。




三条大橋






 さて、つぎに賢治が学生として参加した 1916年の盛岡高等農林学校の修学旅行の場合はどうでしょうか?



「一同此処を辞し去り北野神社に参拝し、それより電車に乗して旅館なる三条の西富家に向つた時に午后四時半日漸く西山に傾かんとしてゐた。」

(「農学科第二学年修学旅行記」「三月二十三日(原勝成執筆)」, in:『校友会会報』,第31号,1916年7月;『新校本全集』14巻・校異篇,p.20.)



 この「三条の西富家」も、やはり地元の方が粘り強い調査のすえに突きとめられました。しかも、↓こちらのサイトでは、じっさいに宿泊して、内部のようすなどをアップしておられます。


【参考】⇒:
《宮沢賢治の詩の世界》:
京都における賢治の宿(2)




 高等農林の学生たちが宿泊した 100年前は、学生などの団体向けの旅館だったはずですが、現在は「要庵 西富家」と名前も少し変って、ごく高級な料亭旅館になっています。しかし、同じ経営が継承されているようです。





旅館「要庵・西富家」 
六角富小路下ル骨屋之町



 ここも、三条大橋から歩いて行ける距離です。↑上のサイトで説明されていますが、「骨屋之町」とは、扇子の骨を作る職人が集まる街区だったので付いた地名だそうで‥、たしかに、伝統の扇子を売る店も目につく界隈でした↓




六角富小路付近で見つけた扇子屋








「午前九時に宿を立ち三十三間堂に行つた
〔…〕其れから松井先生の家の御墓の側を通つて近道から清水寺に登つた。旧都の市街は眼下に集り一々指示する事が出来る。〔…〕有名な清水の舞踏台の汚ないのと音に聞へた音羽の滝の貧弱なのとには驚いた。」
(「農学科第二学年修学旅行記」「三月二十七日(塩井義郎執筆)」, in:『校友会会報』,第31号,1916年7月;『新校本全集』14巻・校異篇,p.23.)




三十三間堂




大谷墓地 
遠景は清水寺

「松井先生の家の御墓の側を通つて近道」
をしたと『修学旅行記』に書いてあるのは、
おそらくこの道でしょう。
清水寺の三重塔と仁王門が見えます。



 高等農林の修学旅行は、各地の農事試験場や農学校、篤農家などを訪れて、文字どおりの“修学”をするのがメインの旅行ですから、寺社旧跡などは、型通りの“修学旅行名所”だけになってしまうのもしかたのないことだったでしょう。それにしても、三十三間堂に清水寺、嵐山、北野神社に金閣寺と‥、見ていて可哀想になってしまいます←

 旅行中の賢治の短歌を見ても、寺社旧跡を詠んだものはほとんどありません。御所・紫宸殿の「右近の橘」の実を詠んだものと、奈良の鹿を詠んだものが、各1首あるきりです。どちらも、史跡そのものへの関心からはほど遠いと言えます。↑上の「旅行記」を担当した塩井は、飾らずに正直に書く人のようですが、賢治も、ほかの学生たちも、型通りの名所めぐりにはうんざりしていたのではないでしょうか。。。

 そういうわけで、ギトンも清水の舞台まで行くのはやめて、仁王門の前で引き返しましたが、そのあとは一行の足跡をたどって南禅寺まで散策します(次回)。





 ところで、型通りの名所めぐりでは満足しない私たちは、三十三間堂のすぐ近くで、かっこうの“賢治史跡”を見ることができます。



「次の日の朝も早く宿を立ち、三十三間堂の近くにあった中外日報社を訪ねて行きました。それは聖徳太子の磯長の廟に行く道をたずねるためでした。」

(佐藤隆房『宮澤賢治』,第5版(改訂増補版),1970,冨山房,p.72.)


「第四日目、朝、三条の宿を出た二人は、七条大橋東詰下つたところの中外日報社を訪ねた。父がこの新聞の愛読者であつたことは前に記したが、訪問の目的は大阪府磯長叡福寺即ち聖徳太子の墓所への道を尋ねる為であつた。だから、社の玄関で社員にそれを教えられると、そのまゝ京都駅に向つたのである。」

(小倉豊文「傳教大師 比叡山 宮澤賢治」, in:『比叡山』,復刊第31號(通刊256號),天台宗務庁,1957. ⇒宮澤賢治の詩の世界:父子関西旅行に関する三氏の記述



 1921年の“父子巡礼”で、比叡山から下りて来て三条「布袋館」に泊まった宮澤父子は、翌朝、三十三間堂近くの「中外日報社」で、聖徳太子墓所(古墳)のある「叡福寺」への乗り換えを尋ねてから、京都駅へ向かったというのです。

 ただ、小倉氏が、中外日報社の当時の住所を「七条大橋東詰下ル」だと書いているのは誤りです。その事情は、↓こちらのサイトで地元の方が、たいへんよく調査されています。


【参考】⇒:
《宮沢賢治の詩の世界》:
「中外日報社」旧社屋は現存していた!




 小倉豊文という人は、実証的な賢治研究に先鞭をつけた大先輩なのですけれども、この場合に限らず、どうも信用できない点がありますね。史料批判というか‥、対象の立ち寄り先が、どの時点でどこにあったか、調べれば分かることなのに、十分に調べていない。そういう間違えが多いようです。「歴史学者」の肩書だけを見て信用してしまうわけにはいかないという――これは、よい例だと思います。



 なお、宮沢父子の「叡福寺」行き、じっさいには「叡福寺」に行くのをやめて法隆寺へ行ったことなど、↓こちらを参照:


∇ 関連記事⇒:太子の道(1)

∇ 関連記事⇒:太子の道(2)







中外日報社・旧社屋 
東山七条上ル妙法院前側町

現在は前庭の部分の植え込みが潰されて駐車場
になってしまったのは時代の流れでしょうか。
しかし、建物は、賢治の時代のまま残っており
(多少修築されているそうです)、奇跡としか
言いようがないですね……



 『中外日報』は、仏教系ジャーナリズムの魁となった新聞で、たとえば、のちに主筆となった三浦参玄洞は、宮沢賢治の死後ですけれども、同紙上で賢治の詩や童話を紹介する特集を組み、仏教界での賢治評価を高める上で大きな役割を果たしています。参玄洞は、全国水平社の部落解放運動を支持したり、小作争議を応援して檀家と対立したり…といった社会活動の面でも知られています。


【参考】⇒:
《宮沢賢治の詩の世界》:
賢治は三浦参玄洞とは会わなかった




 もっとも、最近、『宮澤賢治語彙辞典』を拾い読みしていたら、1915年に浄土真宗・改革派の暁烏敏
(あけがらす・はや)が女性関係を暴露されて改革派を退き、故郷の石川県に蟄居を余儀なくされた事件で、暴露攻撃の先頭に立ったのは『中外日報』だったという記事が、眼に飛びこんできました。暁烏と言えば、政次郎氏はじめ宮澤一族の人々が私淑していた開明派僧侶で、政次郎氏は、この暴露事件の後も暁烏から離れることはありませんでした。平和主義の見地から《シベリア出兵》に反対した暁烏に対して、強く支持する手紙を書き送るなどしています。

 『中外日報』に対して、政次郎氏がどんな気持ちを持っていたのか、気になるところですが、良くも悪くも影響力のあるメディアだったのでしょう。





∇ 次の記事⇒:キオート(4)

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