比 叡(5)




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比叡山に宮沢賢治の足跡をたどります。







桜茶屋からの下山路







地図B 
比叡山西南面






「帰途は裏に回って白川路を行くこととなりました。この道も京の方から来た巡礼姿の巡拝の女人に会ったほかは、誰にも会わず、淋しい道でありました。山を下る頃、既に黄昏
(たそがれ)になりまして

  
〔…〕

 水音のみの真暗い大原の町を過ぎ、京の出町柳から市電に乗って疲れた身体を三条小橋の布袋屋に投じました。」

(佐藤隆房『宮澤賢治』,第5版(改訂増補版),1970,冨山房,pp.70-72.)



「彼らは『白河越』の道を京都を目ざしてひたいそぎにいそいだ。
〔…〕根本中堂から大乗院、七曲がりの嶮を経、地蔵谷から銀閣寺の裏手の白川村の降り口まで一里三十余町ある。」
(小倉豊文「傳教大師 比叡山 宮澤賢治」, in:『比叡山』,復刊第31號(通刊256號),天台宗務庁,1957. ⇒宮澤賢治の詩の世界:父子関西旅行に関する三氏の記述






 1921年4月はじめ、宮澤政次郎・賢治父子は、比叡山延暦寺を訪れました。午後3時に根本中堂に到着したあと、大講堂と鐘楼、無動寺・大乗院を廻って、「白川道」ないし「白河越の道」から京都へ下山しています。

 前回までにご紹介したように、↑この旅程でほぼまちがえないと思われるのですが、「白川道」ないし「白河越の道」とは、いったいどの道のことなのか、はっきりしないのです。

 無動寺(大乗院,弁天堂)方面から京都へ下りる道は、↑上の地図に書いたように、主なものだけで6本あります。そのうち、オレンジ色で書いた A、C はハイキングコースで、当時からあった古い道ではありません。@ も、一部がハイキングコースです。そこで、これらは除いた B、D、E のうち、B と E は古くからある参道です。行ってみると、石造の鳥居や燈籠、江戸時代の道標が残っています。

 結論を言いますと、宮澤父子は、B、Eのどちらかを通って、京都・北白川へ下りたと推定します。探索の詳しい話は、のちほど《あ〜いえばこーゆー記》のほうで書きますが、とりあえずは路程の風景を見ていただきましょう。



【後記】この時は、たしかに↑こう考えたのですが、その後調査を重ねた結果、結論は大きく変わりました。結論は↓こちらに書きました。

∇ 本記事はこちら⇒:
《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】旅程ミステリー:近畿篇(10)






∇ 参考記事⇒:比叡(4)


∇ 参考記事⇒:《あ〜いえばこーゆー記》
【宮沢賢治】旅程ミステリー:東海篇(2)









無動寺・弁天堂

根本中堂方面から「白川道」へ向かう参道が、
建物の間を通り抜けてゆくようになっています。
頭を下げないで走り抜けると怒鳴られます(汗)




桜茶屋・跡

宮澤父子が通った時も、ここにはまだお茶屋があったと
思われます。今は空き地に石鳥居だけが立っています。

大乗院に寄って、ここまで来た路は、
まちがえないでしょう。北白川方面へ
抜ける道は、ほかにありませんから。
しかし、この先で道は6本に岐れます。







白川道Bの途中 
音羽谷

桜茶屋のすぐ先で右へ折れると、音羽谷を下る
Bの道は、ゆるやかな坂道で、もっとも楽な下山路です。
現在では、大鳥居までは自動車道路になっています。
途中には、古い道標や、石造の大鳥居↓があります。




白川道Bの途中 
「大鳥居」

広い道が鳥居の向って右へ続いて
いますが(Aの道)、鳥居をくぐ
る道は、地蔵谷へ下りて行きます。
古くからある道は、地蔵谷のほうでしょう。




白川道Bの途中 
地蔵谷

「大鳥居」から下の道は、現在は廃道化しており、
ごらんの通り、川と区別がなくなっています。
花崗岩が風化した真っ白い砂は、比叡山では
どこに行っても見られます。






 DとEの道は、比叡山ドライブウェイの開通とともに使用されなくなり、現在は廃道化しているので、上部からたどってみることができません。

 しかし、Eの道は、下のほうに参道入口の燈籠と道標が残っています。Eは、燈籠の地点で志賀峠越えの旧道(京都と滋賀県を結ぶ古い交通路)に合流し、山中町を経て地蔵谷入口(地蔵温泉)でBと合流します。




白川道Eの途中 
燈籠
志賀峠越え道との分岐点にあります。

燈籠の奥の道は完全に廃道化していますが、
かつては無動寺・弁天堂を経て延暦寺・根本中堂
方面への重要な参道だったと思われます。



 向って右の燈籠脇にある石造の道標には、



「左□□ 辨才天女/不動明王 是より/三十六丁

 (裏面)文政十二年己丑九月吉日」



 と彫られています。文政12年は1829年。文政年間は、将軍徳川家斉の時代で、異国船打払令、シーボルト事件などがありました。

 延暦寺への参道として、江戸時代から使われていたことがわかります。




 


山中町 
西教寺

山中町は志賀越え道の途中にある集落ですが、
神社仏閣が多く、延暦寺に至る参道の町の
たたずまいを見せています。
町の中を水量豊富な清流が流れていて、集落に入って
から出るまで、水音がずっと響いていました。



 ↑山門の前、向って右に「蓮如上人御舊跡」と刻んだ石碑が立っており、表札には「親鸞聖人/蓮如聖人 旧跡地 西教寺」とあります。

 向って左の石仏像については、大津市教育委員会の案内板が設置されていました:



「大津市指定文化財
   彫  刻

 石造阿弥陀如来坐像 一躯

 この石仏は、平安時代から京都と大津を結ぶ街道として利用された山中越
(やまなかごえ)(志賀の山越(やまごえ))に面して安置されています。

 花崗岩一石に彫り出した一石独尊像で、
〔…〕鎌倉時代末期の作風を良く伝えています。京都白川派の石工の作によると考えられています。

 
〔…〕山中越を利用した旅人の目標として『一里塚』とも呼ばれ、また地元では、『薬師さん』として信仰を集めています。」
現地案内板説明文より。







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