ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

青 森(1)




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三本木原、野辺地





 東北本線
(現・青い森鉄道)で八戸を過ぎると、列車は三本木原の起伏のある平野部を駆け抜けます。

 宮沢賢治は、生涯に3度、北海道方面への旅行の途次、この鉄路を往復しています。







 こんなやみよののはらのなかをゆくときは
 客車のまどはみんな水族館の窓になる

    (乾いたでんしんばしらの列が
     せはしく遷つてゐるらしい
     きしやは銀河系の玲瓏レンズ
     巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

 りんごのなかをはしつてゐる
 けれどもここはいつたいどこの停車場
(ば)〔…〕
宮沢賢治『春と修羅』より「青森挽歌」




りんご 
花巻市山の神






「闇夜の野原を行く列車。銀河系の玲瓏レンズや巨きな水素のりんごは、島宇宙の形の的であり、これらは銀河空間をかける列車のイメージにつながっていく。」

ますむらひろし「時刻表に耳を当てて『青森挽歌』の響きを聞く」, in:『宮沢賢治』,洋々社,13号,1995年,p.19.



 1923年7月31日、宮沢賢治が花巻駅で青森行き東北本線803列車に投じたのは午後10時59分。サハリンへの長旅の出発でした。


 尻内
(現・八戸)  2:38
 下田      2:57
 古間木
(現・三沢) 3:13
 沼崎
(現・上北町)  3:30
 乙供      通過
 千曳      通過
 野辺地     4:11


 夜明け前の深夜の時間帯には、列車は、八戸から乙供までの《三本木原》の平地帯を走っていました。



 「巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる」

 「りんごのなかをはしつてゐる」



 とあるので、青森県の名産のリンゴ畑の中を走っていると思うかもしれませんが、リンゴの栽培が多いのは県の西半分でして、ここ三本木原ではほとんど作っていないそうです。じっさい、行ってみるとリンゴ畑は見あたりませんでした。

 「りんご」は、現場のイメージではなく、この旅全体の印象から来ていると言えます。



∇ 本記事はこちら⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.6








小川原
(こがわら)駅 



 




 けれどもここはいつたいどこの停車場
(ば)
 枕木を焼いてこさえた柵が立ち

    (八月の よるのしづまの 寒天凝膠
(アガアゼル)

 支手のあるいちれつの柱は
 なつかしい陰影だけでできてゐる
 黄いろなラムプがふたつ点
(つ)
 せいたかくあほじろい駅長の
 真鍮棒もみえなければ
 じつは駅長のかげもないのだ

     
〔…〕

 わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに
 ここではみなみへかけてゐる
 焼杭の柵はあちこち倒れ
 はるかに黄いろの地平線
 それはビーアの澱
(おり)をよどませ
 あやしいよるの 陽炎と
 さびしい心意の明滅にまぎれ
 水いろ川の水いろ駅

   (おそろしいあの水いろの空虚なのだ)

 汽車の逆行は希求の同時な相反性
 こんなさびしい幻想から
 わたくしははやく浮びあがらなければならない

     
〔…〕

 あいつはこんなさびしい停車場を
 たつたひとりで通つていつたらうか
 どこへ行くともわからないその方向を
 どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを
 たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか

  (草や沼やです
   一本の木もです)
〔…〕
宮沢賢治『春と修羅』より「青森挽歌」



 「真鍮棒」は、この当時、単線区間の安全確保のために駅ごとに機関士と駅長の間で受け渡されていた「通票」であり、のちの「タブレット」(真鍮円盤)にあたるものです。ただ、深夜で対抗列車がない時間帯には、通票の受け渡しを省略することもあったそうです。





「駅に電燈やラムプだけが点き、駅長も誰もいない光景は、白鳥の停車場そっくりだ。そして作中で賢治によって想像された妹の行動は、まるでジョバンニの前に降りて行った人たちの行動のように見えてくる。

 列車から降りて、ひとりさびしく停車場を通り、どこかの世界に消えていく。

 青森に向かう汽車に乗っていた賢治が、さびしい停車場を見て、『死んだ妹が、汽車から降りて、死者の停車場を通り、向こうの違った世界に消えていった』という幻想を浮かべた時、それは《鉄道列車から降りる死者》を想像した瞬間でもあり、《死者の乗る列車》にもつながっていく。」

ますむらひろし「時刻表に耳を当てて『青森挽歌』の響きを聞く」,p.18.




∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.7









鈴木健司『宮沢賢治という現象』,p.145.






 上の「さびしい停車場」の情景は、童話『銀河鉄道の夜』の「白鳥停車場」の場面を想起させます。

 「白鳥停車場」では、車内がほとんどからになるくらい、おおぜいの乗客が降りて行ったのに、ジョバンニとカムパネルラが外に出てみると、駅には乗客も駅員も、誰ひとり人の姿がないのです:




「汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。

 さわやかな秋の時計の盤面
(ダイアル)には、青く灼かれたはがねの二本の針が、くっきり十一時を指しました。みんなは、一ぺんに下りて、車室の中はがらんとなってしまいました。

 〔二十分停車〕と時計の下に書いてありました。

 『ぼくたちも降りて見ようか。』ジョバンニが云いました。

 『降りよう。』

 二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。ところが改札口には、明るい紫がかった電燈が、一つ点いているばかり、誰も居ませんでした。そこら中を見ても、駅長や赤帽らしい人の、影もなかったのです。
〔…〕

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より。
(原文は旧仮名遣い) 






「これは白鳥の停車場に、ジョバンニとカンパネルラが降りた時のシーンだが、先に降りていった乗客たちが、誰もいなくなっているという静けさは気味が悪く、どこかさびしげで印象的だった。

 
〔…〕にぎやかだったみんながスッと消えてしまって、もう二度と会えないような錯覚にさせる怖さを、誰もが一度は味わったことがあると思う。

 
〔…〕白鳥の駅で降りた人たちには、ジョバンニの瞳ではもう会えない。この誰も居ない駅に、変に明るい紫がかった電燈がたった一つ点いている光景は、実に印象深いのだが、〔…〕
ますむらひろし「時刻表に耳を当てて『青森挽歌』の響きを聞く」,p.17.






「賢治の乗った汽車は、辺りが薄明るくなる直前の、地平線が『はるかに黄いろ』に観察されるほんの数分の時間帯に、或る『寂しい停車場』を通りかかったのである。私はそれを乙供駅と推定しているのだが、
〔…〕乙供・千曳の2駅は通過駅であった。

 
〔…〕汽車は『さびしい停車場』に停車したのではなく、通過した可能性が残されているのではないか。詩において、汽車は走っている状態としてのみ記述されている事実を見過ごしてはならない。〔…〕

 汽車は停車ではなく通過であったと考えることにより、そこが『さびしい停車場』であった必然も見出せるのではないだろうか。もとよりプラットホームに乗降の客がいないからである。

 
〔…〕詩の流れから考えるに、この駅は人影のない寂しい駅であることに全ての比重がかけられているように思う。だからこそ、『あいつはこんなさびしい停車場をたつたひとりで通つていつたらうか』と、妹とし子の死後の行方と自分の旅とを重ね合わせる幻想が成立したのである。」
鈴木健司『宮沢賢治という現象』,2002,蒼丘書林,pp.141-143.










乙供駅 





 『銀河鉄道の夜』の「白鳥停車場」の場面は、「青森挽歌」に描かれた 1923年夏のサハリン旅行の体験が、その下敷きにあることになります。

 そういえば、「白鳥停車場」にジョバンニたちの列車が入って行く時に「秋の時計の盤面
(ダイアル)」の「青く灼かれたはがねの二本の針」が「くっきり十一時を指し」ていたというのも、同じサハリン旅行中、サハリン・栄浜海岸での↓つぎのような描写が、もとにあると思われます。






  (十一時十五分、その蒼じろく光る盤面
(ダイアル)

 鳥は雲のこつちを上下する
 ここから今朝舟が滑つて行つたのだ
 砂に刻まれたその船底の痕と
 巨きな横の台木のくぼみ
 それはひとつの曲つた十字架だ
 幾本かの小さな木片で
 HELL と書きそれを LOVE となほし
 ひとつの十字架をたてることは
 よくたれでもがやる技術なので
 とし子がそれをならべたとき
 わたくしはつめたくわらつた

   (貝がひときれ砂にうづもれ
    白いそのふちばかり出てゐる)

 やうやく乾いたばかりのこまかな砂が
 この十字架の刻みのなかをながれ
 いまはもうどんどん流れてゐる

『春と修羅』「オホーツク挽歌」より。



 これも、死者が他界へ旅立って行ったかのような舟の漕ぎ出た痕を見て、幼い頃の妹の思い出にふけっています。

 栄浜のほうの「蒼じろく光る盤面」は、砂浜に時計台があったのか、賢治の腕時計なのかは不明ですが、サハリンのはずれの海岸に時計台があるとは考えにくいです。こちらは腕時計かもしれません。

 ともかく、この時計の印象が、「白鳥停車場」のシーンの下地になっていると考えることはできるでしょう。


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 9.3.7






 ところで、「青森挽歌」にある「さびしい駅」は、


「水いろ川の水いろ駅/(おそろしいあの水いろの空虚なのだ)」


 とも書かれています。

 また、近くには、


「 (おゝおまへ
(オーヅウ) せわしい(アイリーガー)みちづれよ(ゲゼルレ)

   どうかここから急いで去らないでくれ
(アイレドツホニヒトフォンデヤステルレ)


 という詩句もあり、これはスイス民謡『水の周遊』の一節です:



    【ギトン訳】
 水の周遊

  花たちが波に言った
  「おお、きみ、せわしい若者よ、
  せわしくその場を去ってゆくなよ!」
  しかし、波はそれに答えて言う
  「私は下の国々へ行かねばならない
  この大河に保証されてどこまでも
  さいごは海で水浴びして若返るため;
  だがそのあと青空から降りて来よう
  ふたたび雨となって君たちの上に」



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.12








 賢治はここで、通過した駅を「水いろ川の水いろ駅」と呼び、ドイツ語詩『水の周遊』――じつは、賢治が 1916年夏に通った東京神田の『独逸学協会』の講習テキストの一節――を思い出しているのですが、これも、鈴木健司氏によれば、《三本木原》の車窓の風景に触発されたものでした:



「なぜ賢治はドイツ語教本のフレーズを思い浮かべたのか
〔…〕そのひとつの推定として、汽車が乙供駅の手前で鉄橋を渡った事実を指摘しておきたい。乙供駅の4,5キロメートルほど手前に比較的川幅の広い高瀬川(七戸川)が流れている。この高瀬川はそのすぐ東側に広がる小川原湖に注いでおり、もう少し南の小川原駅・上北町駅間でも砂土路川が小川原湖に注いでいる。〔…〕《川》の存在とその《川》が大きな湖(海)に注ぎ込んでいるという事実が、『Des Wassers Rundreise』(水の周遊旅行)の一節への連想を導き出したと考えられないだろうか。」
鈴木健司『宮沢賢治という現象』,pp.146-147.






小川原
(こがわら)湖 









 仮睡硅酸の溶け残ったもやの中に
 つめたい窓の硝子から
 あけがた近くの苹果の匂が
 透明な紐になって流れて来る。
 それはおもてが軟玉と銀のモナド
 半月の噴いた瓦斯でいっぱいだから
 巻積雲のはらわたまで
 月のあかりは浸みわたり
 それはあやしい蛍光板になって
 いよいよあやしい匂か光かを発散し
 なめらかに硬い硝子さへ越えて来る。

     
〔…〕

 「太洋を見はらす巨きな家の中で
 仰向けになって寝てゐたら
 もしもしもしもしって云って
 しきりに巡査が起してゐるんだ。」
 その皺くちゃな寛い白服
 ゆふべ一晩そんなあなたの電燈の下で
 こしかけてやって来た高等学校の先生
 青森へ着いたら
 苹果をたべると云ふんですか。
 海が藍靛に光ってゐる
 いまごろまっ赤な苹果はありません。
 爽やかな苹果青のその苹果なら
 それはもうきっとできてるでせう。
宮沢賢治『春と修羅・第1集補遺』「青森挽歌 三」





青い森鉄道 
 狩場沢付近の車窓から。




 野辺地を過ぎて、列車が海の近くを走るようになるのは午前4時過ぎ。もう日の出(4時29分)はまぢかです。






∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.79


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.1.87




∇ 次の記事⇒:青 森(2)




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