ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

疾翔大力




ランキングヘ







疾翔大力
(しっしょうたいりき)






宮沢賢治『二十六夜』は、花巻南郊の森と里が舞台です。
開発による侵食に脅やかされる森と鳥たち。

"童話"のふるさとを訪ねてみました。









「    ※

 旧暦の六月二十四日の晩でした。

 北上川の水は黒の寒天よりももっとなめらかにすべり獅子鼻
(ししはな)は微(ほの)かな星のあかりの底にまっくろに突き出てゐました。

 獅子鼻の上の松林は、もちろんもちろん、まっ黒でしたがそれでも林の中に入って行きますと、その脚の長い松の木の高い梢が、一本一本空の天の川や、星座にすかし出されて見えてゐました。

 松かさだか鳥だかわからない黒いものがたくさんその梢にとまってゐるやうでした。

 そして林の底の萱
(かや)の葉は夏の夜の雫をもうポトポト落して居りました。」

宮沢賢治『二十六夜』より。






 「獅子鼻」というのは、賢治の住んでいた下根子別宅
(『羅須地人協会』跡。「雨ニモマケズ」詩碑がある)の南にある東西に細長い丘で、その先端は北上川に突き出ています。




獅子鼻
下根子別宅(羅須地人協会跡)から望む。
遠景の森が「獅子鼻」。手前は、花巻東バイパスの銀河南大橋。

↑矢印の下で、獅子鼻が北上川岸にとび出て
崖を作っています。





獅子鼻 
北上川




∇ 参考記事(『羅須地人協会』跡)⇒:
【ハームキヤ(4)】









「その松林のずうっとずうっと高い処で誰かゴホゴホ唱へてゐます。

 『爾
(そ)の時に疾翔大力(しっしょうたいりき)、爾迦夷(るかゐ)に告げて曰く、諦(あきらか)に聴け、諦に聴け、善く之を思念せよ、我今汝に、梟鵄(けうし)(もろもろ)の悪禽、離苦解脱の道を述べん、と。〔…〕

 汝等審
(つまびらか)に諸の悪業(あくごふ)を作る。或(あるい)は夜陰を以て、小禽の家に至る。〔…〕汝等飛躍して之を握(つか)む。利爪(りさう)深くその身に入り、諸(もろもろ)の小禽、痛苦又声を発するなし。則ち之を裂きて擅(ほしいまま)に噉食(たんじき)す。或は沼田(せうでん)に至り、螺蛤(らかふ)を啄(ついば)む。〔…〕悶乱(もんらん)声を絶す。汝等之を噉食するに、又懺悔の念あることなし。

 斯
(かく)の如きの諸の悪業、挙げて数ふるなし。悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂に竟(をは)ることなし。昼は則ち日光を懼れ又人及および諸の強鳥を恐る。心暫くも安らかなるなし、一度(ひとたび)梟身(けうしん)を尽して、又新(あらた)に梟身を得(う)、審に諸の苦患(くげん)を被りて、又尽ることなし。』

 俄かに声が絶え、林の中はしぃんとなりました。たゞかすかなかすかなすゝり泣きの声が、あちこちに聞えるばかり、たしかにそれは梟
(ふくろふ)のお経だったのです。

 しばらくたって、西の遠くの方を、汽車のごうと走る音がしました。その音は、今度は東の方の丘に響いて、ごとんごとんとこだまをかへして来ました。

宮沢賢治『二十六夜』より。 






 宮沢賢治の『二十六夜』は、童話に分類されるのがふつうですが、難解な読み下し文のお経がテキストの大半を占めていることといい、またその内容の重苦しさといい、とても“童話”とは思えない物語です。それでは、小説なのか?…と言われると、やはりそうも言えないのですが。。。

 岩手県地方には、“旧暦7月26日の晩に、阿弥陀三尊が夜空に出現する”という言い伝えがあり、賢治の時代には、多くの人がその言い伝えを信じて、盛岡の岩山などの高処で夜を明かし、阿弥陀さまを見ようとしました。そして、じっさいに見たという人の話が、新聞に出たりしていたそうです。賢治の『二十六夜』は、この伝説に基づいて創作されたと思われます。


∇ 参考記事(岩山)⇒:
【モリーオ(6)】



 もっとも、“旧暦26日の夜明かし”は、庚申信仰にもとづく“宵待ち”行事として、古くから各地にありました。「二十六夜山」という名前の山が―――東京の近くでは、山梨県都留市に―――あるのは、そのなごりです。

 賢治の物語では、「二十六夜」に「獅子鼻」のフクロウたちが、宵待ちのために集ります。そこでは、フクロウの僧侶が説教を行ないます。しかし、その説教によれば、フクロウの種族はみな、他の鳥や虫を襲って喰う「悪業」の鳥であり、生まれながらに原罪を負った生き物なのです。

 説教と並行して、とりわけ信心深いフクロウの子供が、人間に捕らえられて理不尽な虐待を受け、死んでしまうという、救いようのないストーリーが進行します。

 フクロウの僧侶は、それもまた原罪のゆえであって、殺されても恨まずに甘受しなければならないと言いきかせるのです。

 この物語は、フクロウに場を借りた人間社会のパロディ、もしくは仏教信仰に対する風刺とも言えるでしょう。










疾翔大力 
由水常雄・作
宮沢賢治記念館・玄関前


 「疾翔大力」は、賢治が創作した鳥の“仏さま”。『賢治記念館』前にあるガラス像はフクロウの姿をしていますが、この物語によると、もとはスズメだったという設定です。

 フクロウの坊さんが読んでいるお経も、賢治が、いかにもお経らしく創作したものです。いわば、仏典のパロディです。









「林の中は又しいんとなりました。さっきの汽車が、まだ遠くの遠くの方で鳴ってゐます。

     
〔…〕

 声がしばらくとぎれました。林はしいんとなりました。たゞ下の北上川の淵で、鱒か何かのはねる音が、バチャンと聞えただけでした。

 梟
(ふくろふ)の、きっと大僧正か僧正でせう、坊さんの講義が又はじまりました。

 『さらば疾翔大力は、いかなればとて、われわれ同様賤しい鳥の身分より、その様なる結構のお身となられたか。結構のことぢゃ。ご自分も又ほかの一切のものも、本願のごとくにお救ひなされることなのぢゃ。さほど尊いご身分にいかなことでなられたかとなれば、なかなか容易のことではあらぬぞよ。疾翔大力さまはもとは一疋の雀でござらしゃったのぢゃ。南天竺
(なんてんぢく)の、ある家(や)の棟(むね)に棲まはれた。

 ある年非常な饑饉が来て、米もとれねば木の実もならず、草さへ枯れたことがござった。鳥もけものも、みな飢ゑ死にぢゃ人もばたばた倒れたぢゃ。もう炎天と飢渇
(きかつ)の為に人にも鳥にも、親兄弟の見さかひなく、この世からなる餓鬼道ぢゃ。その時疾翔大力は、まだ力ない雀でござらしゃったなれど、つくづくこれをご覧じて、世の浅間しさはかなさに、泪をながしていらしゃれた。〔…〕』」

宮沢賢治『二十六夜』より。 







獅子鼻 
獅子鼻の杉林地

「獅子鼻」の上は、賢治の時代には松林だったようですが、
現在では、植林された杉が大きく育っています。
林地の中には、戦国時代の城跡があります。



「十二丁目城(獅子ヶ鼻城)跡

 かつてこの地に、稗貫氏の重臣十二丁目氏の居城(平城)があった。

 天正18年(1590)稗貫氏の滅亡と共に十二丁目氏も滅び文禄元年(1592)にはその城も破却されたと伝えられている。」
現地案内標より。







獅子鼻 
林地の内部






「ところがこのとき、さっきの喧嘩をした二疋の子供のふくろふがもう説教を聴くのは厭きてお互にらめくらをはじめてゐました。そこは茂りあった枝のかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いてゐましたので、ぎろぎろ燐を燃したやうに青く光りました。そこでたうとう二疋とも一ぺんに噴き出して一緒に、

 『お前の眼は大きいねえ。』と云ひました。

 その声は幸
(さいはひ)に少しつんぼの梟(ふくろふ)の坊さんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振り向きました。

 兄弟の穂吉といふ梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもぢもぢしながら頭だけはじっと垂れてゐました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるやうにしながら、

 『おい、もう遁げて遊びに行かう。』
 『どこへ。』
 『実相寺の林さ。』
 『行かうか。』
 『うん、行かう。穂吉ちゃんも行かないか。』
 『ううん。』穂吉は頭をふりました。

     
〔…〕
宮沢賢治『二十六夜』より。





地図
(花巻市南郊)




実相寺 
東北本線・山の神跨線橋から

「実相寺」は、「獅子鼻」のすぐ近くにある地名で、
賢治の時代までは、うっそうとした森でした。
現在では、住宅地の中に、島のようにとりのこされた
林地が点在しています。



 現地を踏んでみて思ったのですが、このあたりは賢治の時代にも、すでに農地がモザイク状に、森と沼沢地で構成された自然の中に入りこんでいたと思われます。まだ自然破壊というほどではなかったでしょうけれども、フクロウなどの棲む森と沼沢地の生態系が、徐々に人間の開発によって脅かされていたと思うのです。

 『二十六夜』で、「穂吉」が人間の子供から受ける残酷な取り扱い
(↓このあとの引用部分で展開します)も、また、捕食者としてのフクロウの生態を“原罪”のように見なして重苦しく糾弾する「坊さん」の説教も、人間ないし農業民の営みや、その考え方の侵入という“意味状況”に置き直して見ると、この物語も、また違った読み方ができるのではないかと思います。









 さて、↑上の引用パッセージに登場していた「穂吉」という、まじめで信心深い子供のフクロウは、そのあと人間に捕らえられ、両足を折りとられた無残な姿で森に帰って来ます:



「     ※

 旧暦六月二十六日の晩でした。

     
〔…〕


 獅子鼻の上の松林には今夜も梟の群が集まりました。
〔…〕

 『傷みはどうぢゃ。いくらか薄らいだかの。』

 あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊ねました。穂吉は何か云はうとしたやうでしたが、たゞ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答へました。

 『折角こらへてゐるやうでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞いたしたいといふやうでございましたので。もうどうかかまはずご講義をねがひたう存じます。』

 梟の坊さんは空を見上げました。

 『殊勝なお心掛けぢゃ。それなればこそ、たとへ脚をば折られても、二度と父母の処へも戻ったのぢゃ。なれども健かな二本の脚を、何面白いこともないに、捩
(ねぢ)って折って放すとは、何といふ浅間しい人間の心ぢゃ。』

 『放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べませう。あの萱原かやはらの中に落ちてひいひい泣いてゐたのでございます。それでも昼の間は、誰も気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。』

 『うん。尤
(もっとも)ぢゃ。なれども他人は恨むものではないぞよ。みな自らがもとなのぢゃ。恨みの心は修羅となる。かけても他人は恨むでない。』

  穂吉はこれをぼんやり夢のやうに聞いてゐました。子供がもう厭
(あ)きて『遁(に)がしてやるよ』といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さへ高くなったり低くなったりわくわくゆれてゐるやう、みんなの声も、たゞぼんやりと水の中からでも聞くやうです。ああ僕ぼくはきっともう死ぬんだ。こんなにつらい位ならほんたうに死んだ方がいゝ。それでもお父さんやお母さんは泣くだらう。泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだらうか、あゝ痛い痛い。穂吉は声もなく泣きました。〔…〕
宮沢賢治『二十六夜』より。




実相寺付近の東北本線 
山の神跨線橋から



 『二十六夜』の場面場面には、遠くから聞こえる汽車の通過する音が挿入されています。それは、「獅子鼻」の近く、「実相寺」あたりを通過する東北本線の列車と思われます。

 しかし、この汽車の音は、なにか象徴的な意味をもっているようです。

 それは人間の乗り物であって、フクロウたちのあいだで起きているできごとにはまったく無関心な、非情な世界を象徴するようにも思われます。

 その一方で、フクロウたちの住む、救いのない重苦しい世界を貫いて、外部の“開かれた”世界とのあいだを往き来しているようでもあります。

 いずれにせよ、これは賢治童話でしばしば繰り返される“挿入句”のひとつと考えることができます。たとえば、『四又の百合』では、


 「正徧知
(しょうへんち)はあしたの朝の七時ごろヒームキャの河をおわたりになってこの町にいらっしゃるそうだ」


 という、誰のものかもわからない呟きが、場面の区切りごとに繰り返されます。誰がつぶやき、誰がそれを聞いたのか?‥‥物語は、ただ、


「こう言う語がすきとおった風といっしょにハームキャの城の家々にしみわたりました。」


 としか説明しないのです。まるで、風が運んで来る異世界のコトバのようです。

 あるいは、『革トランク』では、


 (こんなことは実に稀れです。)


 という句が繰り返されます。「斉藤平太」という、まったく低能でありながら、偶然に幸いされて出世し、当然のことながら大失敗をして落ちぶれる人物の行く先々で、この挿入句がト書き文の中で繰り返されます。それは、「斉藤平太」の行動と、出会う事態とを物語る作者の声というよりも、もうひとつ背後にある者の声のように聞こえるのです。



 これらの、賢治童話に特徴的な挿入句に着目したのは、吉本隆明氏でした。吉本氏は、これらの挿入句のコトバが、どこからやって来るのか?‥作者からだとすれば、作者の内部のどんな層から発して来るのかを問題にされました。

 挿入句の出てくる層は、作品ごとに異なるのですが、吉本氏によれば、それは作者の“幼児的な”層であったり、あるいは逆に、幼児性を批判する“大人の意識”の層であったりします。

 しかし、そのように発達心理的に見てしまうと、せっかく捉えかけた問題が矮小化されてしまうようにも思われます。もっと開け放した態度で、広く見ることはできないものか?‥‥それが、いまギトンの考えていることです。

 スト−リーを物語る宮沢賢治の、もうひとつ背後にいて、ともすれば作中人物の動きに振り回されがちなストーリー・テラーとしての自分をも、批判的に見つめながら、冷たい眼差しで一切を了解している人物―――唯一神、あるいは如来のような存在が想定できるのかもしれません。吉本氏が別の場所で述べている言葉を借りれば、


「どこかに作品を統御しながら、登場者のすべて、登場する風や雲や樹木や鳥や景観のすべてを、あたかも水槽のなかに見透しているような装置の<眼>」


 なのです。

 それはちょっと飛躍があるとしても、この“繰り返される挿入句”から、私たちは、宮沢賢治という作者の、いわば複合的な“構造”を見ることができます。その意味で、これは、“宮沢賢治”を解明するための重要なとっかかりになるのではないかと思っています。



∇ 本記事はこちら⇒:
《あ〜いえばこーゆー記》
【吉本隆明】の宮沢賢治論(4)









「俄かにみんなは息がつまるやうに思ひました。それはそのお月さまの船の尖った右のへさきから、まるで花火のやうに美しい紫いろのけむりのやうなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるやうな紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立ってゐます。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見てゐます。衣のひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめたやうな立派な瓔珞をかけてゐました。お月さまが丁度その方の頭のまはりに輪になりました。

 右と左に少し丈の低い立派な人が合掌して立ってゐました。その円光はぼんやり黄金
(きん)いろにかすみうしろにある青い星も見えました。雲がだんだんこっちへ近づくやうです。

 『南無疾翔大力、南無疾翔大力。』

 みんなは高く叫びました。その声は林をとゞろかしました。雲がいよいよ近くなり、捨身菩薩
(しゃしんぼさつ)のおからだは、十丈ばかりに見えそのかゞやく左手がこっちへ招くやうに伸びたと思ふと、俄に何とも云へないいゝかをりがそこらいちめんにして、もうその紫の雲も疾翔大力の姿も見えませんでした。たゞその澄み切った桔梗(ききゃう)いろの空にさっきの黄金(きん)いろの二十六夜のお月さまが、しづかにかかってゐるばかりでした。

 『おや、穂吉さん、息つかなくなったよ。』俄に穂吉の兄弟が高く叫びました。

 ほんたうに穂吉はもう冷たくなって少し口をあき、かすかにわらったまゝ、息がなくなってゐました。そして汽車の音がまた聞えて来ました。

宮沢賢治『二十六夜』より。







∇ 関連記事(「永訣の朝」と獅子鼻周辺の蓴菜)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜《補論》【3】




.

トピックス

ブログランキング

人気のブログテーマ記事

テーマ:反抗期ってあった?