ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

ハームキヤ(13)




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花巻市内の『春と修羅』関係箇所



「ハームキヤ」とは、賢治語wで、花巻のことです。









イギリス海岸








 


北上川 
朝日橋から「イギリス海岸」方面を望む。






「夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。

 それは本たうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東の仙人峠から、遠野を通り土沢を過ぎ、北上山地を横截よこぎって来る冷たい猿ヶ石川の、北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
〔…〕
宮沢賢治『イギリス海岸』より。










「イギリス海岸」 
北上川対岸から



「イギリス海岸には、青白い凝灰質の泥岩が、川に沿ってずゐぶん広く露出し、その南のはじに立ちますと、北のはづれに居る人は、小指の先よりもっと小さく見えました。

 殊にその泥岩層は、川の水の増すたんび、奇麗に洗はれるものですから、何とも云へず青白くさっぱりしてゐました。

 所々には、水増しの時できた小さな壺穴の痕や、またそれがいくつも続いた浅い溝、それから亜炭のかけらだの、枯れた蘆きれだのが、一列にならんでゐて、前の水増しの時にどこまで水が上ったかもわかるのでした。

 日が強く照るときは岩は乾いてまっ白に見え、たて横に走ったひゞ割れもあり、大きな帽子を冠
(かむ)ってその上をうつむいて歩くなら、影法師は黒く落ちましたし、全くもうイギリスあたりの白堊の海岸を歩いてゐるやうな気がするのでした。

 町の小学校でも石の巻の近くの海岸に十五日も生徒を連れて行きましたし、隣りの女学校でも臨海学校をはじめてゐました。

 けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。ですから、生れるから北上の河谷の上流の方にばかり居た私たちにとっては、どうしてもその白い泥岩層をイギリス海岸と呼びたかったのです。
〔…〕
宮沢賢治『イギリス海岸』より。






「それに実際そこを海岸と呼ぶことは、無法なことではなかったのです。なぜならそこは第三紀と呼ばれる地質時代の終り頃、たしかにたびたび海の渚
(なぎさ)だったからでした。その証拠には、第一にその泥岩は、東の北上山地のへりから、西の中央分水嶺の麓(ふもと)まで、一枚の板のやうになってずうっとひろがって居ました。たゞその大部分がその上に積った洪積の赤砂利や壚坶(ローム)、それから沖積の砂や粘土や何かに被(おほ)はれて見えないだけのはなしでした。

 それはあちこちの川の岸や崖の脚には、きっとこの泥岩が顔を出してゐるのでもわかりましたし、又所々で掘り抜き井戸を穿ったりしますと、ぢきこの泥岩層にぶっつかるのでもしれました。

 第二に、この泥岩は、粘土と火山灰とまじったもので、しかもその大部分は静かな水の中で沈んだものなことは明らかでした。たとへばその岩には沈んでできた縞のあること、木の枝や茎のかけらの埋もれてゐること、ところどころにいろいろな沼地に生える植物が、もうよほど炭化してはさまってゐること、また山の近くには細かい砂利のあること、殊に北上山地のヘりには所々この泥岩層の間に砂丘の痕らしいものがはさまってゐることなどでした。さうして見ると、いま北上の平原になってゐる所は、一度は細長い幅三里ばかりの大きなたまり水だったのです。

 ところが、第三に、そのたまり水が塩からかった証拠もあったのです。それはやはり北上山地のへりの赤砂利から、牡蠣や何か、半鹹
(はんかん)のところにでなければ住まない介殻(かひがら)の化石が出ました。

 さうして見ますと、第三紀の終り頃、それは或
(あるい)は今から五六十万年或は百万年を数へるかも知れません、その頃今の北上の平原にあたる処は、細長い入海か鹹湖で、その水は割合浅く、何万年の永い間には処々水面から顔を出したり又引っ込んだり、火山灰や粘土が上に積ったり又それが削られたりしてゐたのです。その粘土は西と東の山地から、川が運んで流し込んだのでした。その火山灰は西の二列か三列の石英粗面岩の火山が、やっとしづまった処ではありましたが、やっぱり時々噴火をやったり爆発をしたりしてゐましたので、そこから降って来たのでした。〔…〕
宮沢賢治『イギリス海岸』より。










「イギリス海岸」 
1970年代か?

渇水期には、泥岩層の川床が露出していました。




「イギリス海岸」 
花巻市小舟渡
川床の泥岩層

北上川の水量が増えたため、現在では川床を
見ることができません。護岸の法面に出ている
白っぽい地層は、泥岩層の一部でしょうか?
ここでだけ観察することができます。



「 イギリス海岸

 ここは、賢治さんにとって興味の尽きぬ場所で、思い立つと夜中でもここを訪れています。沢山の作品がこの情景をモチーフとして描かれています。

 川面を渡る風、ゆったり流れる北上川、青い空と白い泥岩に外国の風景を思い浮かべ、夜空の天の川と北上川の重なりから『銀河鉄道』のイメージを膨らませました。賢治さんにとって、ここイギリス海岸は身近に『異界』を感じるイーハトーブの入口なのです。
〔…〕
現地案内板より。



「渇水期には、長い期間の増水浸蝕作用により出来た、細長い溝状と壺穴状の泥岩層の背を見せます。

 ここから賢治は、生徒達とバタグルミの化石や第三紀偶蹄類の足跡を見つけました。」

現地案内板より。










「イギリス海岸」 
北上川西岸

現在は、このように、川床の泥岩層は、
完全に水没しています。波立っているのは、
泥岩層の浅い川床に水流がぶつかるためです。



「賢治さんは北上川の鈍く光る流れを、1秒9トンの針を流していると詩の中で詠んでいます。

 なるほど、川の流れは光る針の束が連なって南に流れているように見えます。」

「イギリス海岸」現地案内板より。



 野ばらの藪を、
 やうやくとってしまったときは
 日がかうかうと照ってゐて
 そらはがらんと暗かった
 おれも太市も忠作も
 そのまゝ笹に陥ち込んで、
 ぐうぐうぐうぐうねむりたかった
 川が一秒九噸の針を流してゐて
 鷺がたくさん東へ飛んだ

『春と修羅・第3集』より #1017「開墾」1927.3.27.〔下書稿(二)手入れ〕。







「さうして見ますと、第三紀の終り頃、それは或
(あるい)は今から五六十万年或は百万年を数へるかも知れません、その頃今の北上の平原にあたる処は、細長い入海か鹹湖で、その水は割合浅く、何万年の永い間には処々水面から顔を出したり又引っ込んだり、火山灰や粘土が上に積ったり又それが削られたりしてゐたのです。その粘土は西と東の山地から、川が運んで流し込んだのでした。その火山灰は西の二列か三列の石英粗面岩の火山が、やっとしづまった処ではありましたが、やっぱり時々噴火をやったり爆発をしたりしてゐましたので、そこから降って来たのでした。〔…〕
宮沢賢治『イギリス海岸』より。







 泥岩遠き
 むかしのなぎさ
 いま水増せる川岸に、
 風うち吹きて、
 ちらばる蘆や、
 波わが影をうち濯ふ、

 蛇紋の峯は、
 かしこに黒く、
 孤高はかなくほこれども、
 川しろじろと、
 峡より入りて、
 二つの水はまじはらず、


 風蒼茫と、
 草緑を吹き、
 あてなく投ぐるわが眼路に、
 きみ待つことの
 むなしきを知りて
 なほわが瞳のうち惑ふ

 尖れるくるみ、
 巨獣のあの痕、
 磐うちわたるわが影を、
 濁りの水の
 かすかに濯ふ
 たしかにこゝは修羅の渚
〔…〕
『文語詩稿五十篇』〔川しろじろとまじはりて〕〔下書稿(一)〕より。




北上川・猿ヶ石川合流点

「イギリス海岸」の約100m上流。
手前左から右に流れる北上川に、
左奥から猿ヶ石川が注いでいる。

たしかに、合流した2つの川の水は、
すぐには混じらず、並んで流れてゆく
ように見えます。波立ち方も違うようです。









 Tertiary the younger tertiary the younger
 Tertiary the younger mud-stone
 あをじろ日破
〔ひわ〕れ あをじろ日破れ
 あをじろ日破れにおれのかげ

 Tertiary the younger tertiary the younger
 Tertiary the younger mud-stone
 なみはあをざめ支流はそそぎ
 たしかにここは修羅のなぎさ

宮沢賢治「イギリス海岸の歌」



 生前から、農学校の生徒や家族知人に教えて歌わせていました。賢治の死後に、家族知人が記憶によって採譜しました。そこで、歌詞の発音は明らかなのですが、「日破れ」を「罅破れ」と書いているテキストもあります。






「18,9のころ、宮沢賢治の作品をはじめて読んだ。その頃どうしても
〔ギトン注―――『イギリス海岸の歌』の〕英語の部分の意味がわからなかった。学校仲間に訊ねても、やはりよくわからない。〔…〕

 ところが、ある時、『ユリア ペムペル わたしの親しい友達よ』
〔『小岩井農場』の詩句。正確には『ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ』。「ユリア」はジュラ紀、「ペムペル」はペルム紀とする解釈説がある―――ギトン注〕とか、『白亜紀砂岩の層面に』〔『春と修羅』「序」の詩句―――ギトン注〕とかいう、うろおぼえの宮沢賢治の詩の言葉が、口をついてでてくるうちに、はっと地質学と宮沢賢治との繋がりに思いいたった。〔…〕そこで“tertiary”という言葉は、『第三紀層』という概念にあたるはずだと気がついた。そうであれば、“tertiary the younger mud-stone”は、『第三紀新生泥岩層』というほどの意味〔※〕になるだろう。この解釈がついたとき、じつはかなり嬉しかったことを覚えている。〔…〕東北の盆地の町へ住みついたばかりの田舎高工生としては〔著者は米沢工業高専卒―――ギトン注〕、それ相当に苦心した〈発見〉であった。


※ 正しくは、「新第三紀泥岩」または「第三紀後期の泥岩」と思われます。


 ところが、この歌曲についた宮沢賢治の自作の曲の方は、簡単なものにおもえたが、まったくわからなかった。夏休みに帰京したとき、工業学校の音楽好きのクラスメイト・Nに、この方は、どういうことになるか訊ねた。かれは、出だしのところを2,3度〈フフフーン〉というようにハミングしたあとで、すぐに歌いだした。単調で沈みこむだけの、でも強いて意味づければ『修羅のなぎさ』のイメージがよくわかるようにおもえるメロヂィだった。東北の風物は、みなそういうようにおもえる、といった象徴がこめられているともみえた。現在でも、私は前半部の"Tertiary the younger tertiary the younger Tertiary the younger mud-stone"のところだけは、うろおぼえだが、唱うことができる。
〔…〕

 あまりに早熟の天賦の才能がそうであるように、宮沢賢治も死にいたるまで〈幼児性〉を保存していた。農学校の応援歌を作詞作曲し、空なる童話を沢山のこした。いわば、その成熟には〈幼児期〉から連続した曲線があり、断絶による成熟、過去の棄却による成熟の面は、背後にかくれることになっている。『あをじろ日破れ あをじろ日破れ あをじろ日破れに おれのかげ』『なみはあをざめ 支流はそそぎ たしかにここは 修羅のなぎさ』も、表現としていい度胸である、というほかない。こういう言葉の高い幼児性の調子に、照れることなく耐えるということは、ただ、天賦の才能にだけ許された特権であるようにおもえる。」


吉本隆明「イギリス海岸の歌」, in:『全集』第12巻,pp.446-448.



 吉本氏は「高い幼児性の調子」と評していますが、ギトンには、“縄文人の歌謡の響き”のように聞こえます。賢治が教えた花巻農学校の後身・花巻農業高校の鹿踊り部の上演を見たときに、そう思いました。



∇ 本記事はこちら⇒:⦅あ〜いえばこーゆー記⦆
【吉本隆明】の宮沢賢治論(1)






 さて、ここで賢治自作のメロディをつけて、「イギリス海岸の歌」を聞いてみたいと思います。

 @は、ソプラノ歌手がクラシック歌曲として歌ったもの。

 Aは、ボカロイドを使った"冗談音楽"です。


【参考@】⇒:イギリス海岸の歌(中村初恵)


 なるほど‥、と思われませんでしたか? 現代音楽のカプリッチョだと思って歌えば、この曲も十分鑑賞に堪えるんですねw


【参考A】⇒:イギリス海岸の歌(+おおキャロル:冗談音楽)


 そのカプリッチョーソを極端にまで追求したのが、↑こちらの音源でしょう。アレンジャーの解説⇒:宮澤賢治の詩の世界


 このメロディ、「幼児性」かどうかはともかく、恥ずかしげもなく歌うためには一工夫必要だ、ということは、まちがえなさそうですw

 そこで、ちょっと思いついたんですが、チンドン屋ヴァージョンとか、酔いどれ放歌ヴァージョンとか‥‥ 作ってみたいですね。いつかお目にかけられるかもwww










北上川の旧河道
(地図)
「イギリス海岸」現地案内板より。



「イギリス海岸の成り立ち

 現在の北上川の流れは、江戸時代初期に花巻城が洪水により崩壊の危険に陥るようになったため、新たに河道を開削して出来たものです。

 このため、イギリス海岸の河床には新生代新第三期鮮新世の地層と見られる泥岩層が現れ、オオバタグルミや獣の足跡などいろいろな化石が発見されています。」

現地案内板より。



 「イギリス海岸」周辺の北上川は、江戸時代初期の工事で開削された人工河道なのだそうです。

 戦国時代までは、北上川は西へ大きく蛇行して、花巻城本丸の北側を洗っていました。本丸北側の「早坂」の崖は、北上川の浸蝕でできたものです。

 開削工事によって、北上川は真直ぐ南へ流れるようになり、蛇行部分の旧河道が(旧)瀬川になりました。

 その後の北上川の浸蝕によって、「イギリス海岸」の河床が掘り下げられ、地下にあった新第三期泥岩層が露出しました。泥岩層は、風化を受けていないために、青白いきれいな色をしており、ポットホール(甌穴)もできやすく、また化石や生痕化石が良く保存されているわけです。



∇ 参考記事(花巻城、瀬川)⇒:
【ハームキヤ(11)】


∇ 参考記事(花巻城、北側の崖)⇒:
【ハームキヤ(2)】






∇ ひとつ前の記事⇒:ハームキヤ(12)




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