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ハームキヤ(11)




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花巻市内の『春と修羅』関係箇所



「ハームキヤ」とは、賢治語wで、花巻のことです。









花巻城
(無雪期)




 花巻城跡は、真冬のさなかに一度来ているんですが、一面の真白な雪では賢治詩のふんいきがよくわからない場所もあるので‥‥

 ようやく晴れた昼間に立ち寄る機会ができました。

 じつは、台風で⦅イギリス海岸⦆の減水がお流れになったせいで、時間がとれたのですよw



∇ 関連記事(雪の花巻城)⇒:
【ハームキヤ(2)】










西御門
(復元) 花巻城跡

本丸の西の入口。賢治の時代には、
この屋形門が取り壊された入口だけの状態でした。





本丸 
花巻城跡

現在は、草刈りの行き届いた
きれいな芝生が広がっていますが、
賢治の時代には、雑草や野花が
生い茂るままに放置されていました。







     どこからかチーゼルが刺し
     光
(くわう)パラフヰンの 蒼いもや
     わをかく、わを描く、からす
     烏の軋り……からす器械……

 (これはかはりますか)
 (かはります)
 (これはかはりますか)
 (かはります)
 (これはどうですか)
 (かはりません)
 (そんなら、おい、ここに
  雲の棘をもつて来い。はやく)
 (いゝえ かはります かはります)

     ………………………刺し
     光パラフヰンの蒼いもや
     わをかく わを描く からす
     からすの軋り……からす機関

『春と修羅』「陽ざしとかれくさ」


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【13】陽ざしとかれくさ







本丸 
花巻城跡
西御門と土手。

本丸の南側(左側)の縁は土手になっています。
賢治は、この土手によく寝転んでいました。



 そのきらびやかな空間の
 上部にはきんぽうげが咲き

  (上等の butter-cup
(バツタカツプ)ですが
   牛酪
(バター)よりは硫黄と蜜とです)

 下にはつめくさや芹がある
 ぶりき細工のとんぼが飛び
 雨はぱちぱち鳴つてゐる

  (よしきりはなく なく
   それにぐみの木だつてあるのだ)

 からだを草に投げだせば
 雲には白いとこも黒いとこもあつて
 みんなぎらぎら湧いてゐる
 帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
 ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
〔…〕

『春と修羅』「休息」より。


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【18】休息








      ※

 雲ひくし
 いとこしやくなる町の屋根屋根
 栗の花
 すこしあかるきさみだれのころ。

      ※

 城址
〔しろあと〕
 あれ草に卧てこゝろむなし
 のこぎりの音風にまじり来。

      ※

 しろあとの
 四っ角山につめ草の
 はなは枯れたり
 月のしろがね

      ※

 碧びかり
 いちめんこめし西ぞらに
 ぼうとあかるき城あとの草

『歌稿B』#172,176,181,182.


∇ 関連記事(四っ角山)⇒:
【ハームキヤ(9)】







本丸南側の土手 
花巻城跡



 風はそらを吹き
 そのなごりは草をふく
 おきなぐさ冠毛の質直
(しつぢき)
 松とくるみは宙に立ち

   (どこのくるみの木にも
    いまみな金
(きん)のあかごがぶらさがる)

 ああ黒のしやつぽのかなしさ
 おきなぐさのはなをのせれば
 幾きれうかぶ光酸
(くわうさん)の雲

『春と修羅』「おきなぐさ」


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【19】おきなぐさ










関徳也歌碑 
花巻城本丸
宮沢賢治の日蓮宗の同信者であり、
詩集出版の協力者であった関徳也氏の
歌碑が、本丸の一隅にあります。

↓下の歌が刻まれています。
空の雲が「花のごとく匂」うという
“共感覚”は、宮沢賢治と共通しています。



「わがこころ
  豊かなる
     日は
   ひとひらの
  雲さへ
   花のごとく
     匂へり

     関登久也」

関徳也・歌碑 










「早坂の黒杉」 
花巻城本丸から。

本丸の北側は崖になっており、下を瀬川(花巻温泉付近から
流れてきて、北上川に注ぐ)が流れています。宮沢賢治の時代
には、このあたりは杉がうっそうと茂って昼間も暗く、人が
寄りつかない場所でした。「早坂」と呼ばれていました。
「僻病院」(伝染病の隔離病棟)がありました。

本丸から早坂まで公園として整備された現在では、
“早坂の杉”もほとんど残っていません。わずかに
この一角にだけ叢林が残されています。



      ※
 
 日いよいよ白き日を燃したまひ
 ひかるは電信ばしらの瀬戸の碍子。
 
      ※
 
 銀のモナドを燃したまひ
 日輪そらに かゝります
 早坂の黒すぎ
 みだれごゝろをしづに立つ
 
      ※


『冬のスケッチ』2:1-2.



      ※
 
 たましひに沼気つもり
 くろのからす正視にたえず
 やすからん天の黒すぎ
 ほことなりてわれを責む。
 
      ※


『冬のスケッチ』17:2.



  陥りくらむ天の椀から
  黒い木の群落が延び

    その枝はかなしくしげり
   すべて二重の風景を
  喪神の森の梢から
 ひらめいてとびたつからす
〔…〕

『春と修羅』「春と修羅」より。


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【9】春と修羅



 ↑本丸跡の草原とともに、“早坂の杉”は、賢治の詩想の源泉となっていたことがわかります。くろぐろと聳立する杉林のスケッチから、“天から逆さまに延びる「黒い木の群落」”など、さまざまな詩的形相が生み出されました。



 ↓下の晩年の口語詩にも、「城あとのまっ黒なほこ杉」が顔を出しています。





 熊はしきりにもどかしがって
 権治と馬を待ってゐる
 麻もも引のすねを二とこ藁でくくって
 小束な苗をにぎりながら
 里道のへりにつっ立って
 ほとんどはぎしりしないばかり、
 水のなかではみんなが苗をぐんぐん植える
 権治が苗つけ馬をひいて
 だんだんゆらゆら近づいたので
 隈はすばやく眼をそらし
 じっと向ふのお城の上のそらを見る

     
〔…〕

 隈はもどかしいのをじっとこらえ、
 ふし眼にブリキの水を見る
 城あとのまっ黒なほこ杉の上には
 雲の白髪がはげしく立って
 燕もとび
 ブリキいろの水にごみもうかぶ
 田植の朝にすっかりなった


宮沢賢治『口語詩稿』〔熊はしきりにもどかしがって〕より。



 ↑この詩は、下根子の賢治別宅(羅須地人協会)の近くに住んでいた「クマ」というアダ名の人物を描いたもののひとつです。部落の顔役のような髭づらのおやじなのですが、賢治は、この人物をたいへん嫌っていたらしく、どの詩でもくそみそに描き、また作者の怒りをぶつけています。

 この詩では、田植えの人手が足りないために、人びとに酒をふるまって手伝わせようと必死のていだが、自分はいっこうに働こうとしない、いつも他人の労力を当てにして自分から汗を流そうとは決してしない・この男に対する心底からの嫌悪を述べています。

 「城あとのまっ黒なほこ杉」は、作者の「クマ」に対する道徳的な怒りの表れです。










旧・瀬川 
花巻城跡
本丸の北側の崖下を流れています。
現在では、河川改修で流路が変って
しまいましたが、賢治の時代までは、
そのまま城址の下を流れて北上川に注いでいました。



 水こぼこぼと鳴る
 ひぐれまぢかの笹やぶを、
 しみじみとひとりわけ行けり。
 
      ※
 
 隔離舎のうしろの杉の脚から
 西のそらが黄にひかる

 
      ※
 
 雨がふり出し
 却って雪は光り出す
 
      ※
 
 雪融けの洪水から 杉は
 みんな泥をかぶった。
 それからつゞいてそらが白く
 雪は黄色に横たはり
 鷹は空で口をあけて飛び
 からすはからだをまげてないた。
 
      ※


『冬のスケッチ』24:1-4.



 東のそらが苹果林
(りんごばやし)のあしなみに
 いつぱい琥珀をはつてゐる

 そこからかすかな苦扁桃
(くへんたう)の匂がくる
 すつかり荒
(す)さんだひるまになつた
 どうだこの天頂の遠いこと
 このものすごいそらのふち
 愉快な雲雀
(ひばり)もたうに吸ひこまれてしまつた
 かあいさうにその無窮遠の
 つめたい板の間
(ま)にへたばつて
 瘠せた肩をぷるぷるしてるにちがひない
〔…〕

『春と修羅』「真空溶媒」より。


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 2.1.11


 






 城のすすきの波の上には
 伊太利亜製の空間がある
 そこで烏の群が踊る
 白雲母のくもの幾きれ

    (濠と橄欖
(かんらん)天蚕絨(びらうど)、杉)

 ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの
 七つの銀のすすきの穂

     
〔…〕

 屋根は矩形で傾斜白くひかり
 こどもがふたりかけて行く
 羽織をかざしてかける日本の子供ら

     
〔…〕

 蘆の穂は赤い赤い

   (ロシヤだよ、チエホフだよ)

 はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ

   (ロシヤだよ ロシヤだよ)

 烏がもいちど飛びあがる
 稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ
〔…〕

『春と修羅』「マサニエロ」より。



 花巻城の内濠と杉、常緑樹、本丸跡のススキ、北側の瀬川沿いの芦とハコヤナギ、群がるカラスが詠みこまれています。

 羽織を羽根のように広げた子どもたちが駆け下りてゆく坂は、本丸北側の斜面を下る↓この坂と思われます。丘の上(城址南側)にある花城小学校から下校する小学生でしょう。



花巻城跡 
西御門外からイトーヨーカドー方面へ下る坂



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【56】マサニエロ






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