ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

岩手山(3)




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柳沢登山道と大崩壊










岩手山 
御神坂登山道上部

御神坂登山道は、賢治の時代からありましたが、
道が険しいために、利用する人は少ないようです。
しかし、柳沢登山道は登山者の過使用で環境が変って
しまっているので、こちらのほうが当時の風景を
よくとどめているかもしれません。



 



 あぢさゐいろの風だといふ
 雲もシャツも染まるといふ
 ここらの藪と火山塊との配列は
 そっくりどこかの大公園に使へるといふ
 絵に描くならば、却って薮に花

   (ここで十分憩んで行かう間もなく谷になるからな)

 東で何かかけがねをかふ音がした
 それは騎兵の演習だらう
 いやさうでない盛岡駅の機関庫さ
 どうしてどうしてあれは盛岡銀行で
 金庫の錠をかふのだといふ
 フロックを着て金庫の前で
 最敬礼をやるのだといふ

   (こら! もっとしづかに草笛を吹け!)

 先生先生 山地の上の重たいもやのうしろから
 赤く潰れたおかしなものが出てくるといふ

   (それはひとつの信仰だとさ! ジェームスによれば!)

 ここらの空気は鉛糖のやう
 甘く重たくなるといふ
 うしろがまるで浮世絵風の
 雲の澱みに変るといふ
 月がおぼろな赤いひかりを送ってよこし
 遠くで柏が鳴るといふ
 それから先生鷹がどこかで磬を叩いてゐますといふ

   (ああさうか 鷹が磬など叩くとしたら
    どてらを着てゐて叩くでだらうな)

 月はだんだん明るくなり
 羊歯ははがねになるといふ

   (あゝあ 流れる風はわたくしで
    わたくしはまたその青い単斜のタッチの一片である
    しかも月
(ルーノ)
    あなたの鈍い銅線の
    二三はひとももって居ります)
   (あゝ それは
    あしたのひるかへしてください)
   (何と云ったか きみは いま)

 あっちでもこっちでも
 鳥はしづかに叩くといふ

『春と修羅・第2集』#152「林学生」1924.6.22.〔下書稿(二)〕




岩手山 
鬼ヶ城分岐
麓の夜景は、滝沢市〜盛岡市あたり。



 1924年6月といえば、賢治が『春と修羅』を自費出版した直後。高価な詩集でしたが、親か誰かが買ったのを回し読みした生徒たちもいたようです。童話のほうは、賢治自身が教室で読み聞かせていました。

 賢治作品で詠みかじった《心象スケッチ》の表現を、口の減らない生徒たちが、おもしろがって頻りに使っています。それを聞かされる賢治は、あまり楽しくなさそうですw なかば、やけになって、

「鷹が磬など叩くとしたら
 どてらを着て叩くだらうな」

 などと言い返しています。

 月を「ルーノ」と呼ぶのは、エスペラント語。





 いはて山かしはゞやしの霧の中よりふるひ来るはチルチルの声か

『歌稿A』#457.













柳沢登山道7合目 
登山口方面を俯瞰。

鬼又沢(赤矢印)が深い谷を刻んでいます。その右の
とがったでっぱりは、鞍掛山。



 巨なる人のかばねを見んけはひ谷はまくろく刻まれにけり。

『歌稿B』#74.







岩手山 
鬼又沢の下部から。

下から見上げると、谷の上部は深い崖になっています。
「大崩壊」と言います。
右に見える道は、馬返し付近の作業道。



 ↓この賢治童話に描かれた「楢渡り」は、岩手山南面の大崩壊だという説がありますが、鬼又沢だとしたら、描かれた崖のようすから見て、かなり上部でしょう。



「楢渡
(ならわたり)のとこの崖はまっ赤でした。

 それにひどく深くて急でしたからのぞいて見ると全くくるくるするのでした。

 谷底には水もなんにもなくてたゞ青い梢と白樺などの幹が短く見えるだけでした。

 向ふ側もやっぱりこっち側と同じやうでその毒々しく赤い崖には横に五本の灰いろの太い線が入ってゐました。ぎざぎざになって赤い土から喰
(は)み出してゐたのです。それは昔山の方から流れて走って来て又火山灰に埋(うづ)もれた五層の古い熔岩流だったのです。

 崖のこっち側と向ふ側と昔は続いてゐたのでせうがいつかの時代に裂けるか罅
(わ)れるかしたのでせう。霧のあるときは谷の底はまっ白でなんにも見えませんでした。

 私がはじめてそこへ行ったのはたしか尋常三年生か四年生のころです。
〔…〕

 『さあ、見ろ、どうだ。』

 私は向ふを見ました。あのまっ赤な火のやうな崖だったのです。私はまるで頭がしいんとなるやうに思ひました。そんなにその崖が恐ろしく見えたのです。

 『下の方ものぞかしてやらうか。』理助は云ひながらそろそろと私を崖のはじにつき出しました。私はちらっと下を見ましたがもうくるくるしてしまひました。

 『どうだ。こはいだらう。ひとりで来ちゃきっとこゝへ落ちるから来年でもいつでもひとりで来ちゃいけないぞ。ひとりで来たら承知しないぞ。第一みちがわかるまい。』

 理助は私の腕をはなして大へん意地の悪い顔つきになって斯
(か)う云ひました。

     
〔…〕

  私たちは籠はそこへ置いたまま崖の方へ歩いて行きました。そしたらまだまだと思ってゐた崖がもうすぐ目の前に出ましたので私はぎくっとして手をひろげて慶次郎の来るのをとめました。

 『もう崖だよ。あぶない。』

 慶次郎ははじめて崖を見たらしくいかにもどきっとしたらしくしばらくなんにも云ひませんでした。

 『おい、やっぱり、すると、あすこは去年のところだよ。』私は言ひました。

 『うん。』慶次郎は少しつまらないといふやうにうなづきました。

 『もう帰らうか。』私は云ひました。

 『帰らう。あばよ。』と慶次郎は高く向ふのまっ赤な崖に叫びました。

 『あばよ。』崖からこだまが返って来ました。

 私はにはかに面白くなって力一ぱい叫びました。

 『ホウ、居たかぁ。』

 『居たかぁ。』崖がこだまを返しました。

 『また来るよ。』慶次郎が叫びました。

 『来るよ。』崖が答へました。

 『馬鹿。』私が少し大胆になって悪口をしました。

 『馬鹿。』崖も悪口を返しました。

 『馬鹿野郎』慶次郎が少し低く叫びました。

 ところがその返事はたゞごそごそごそっとつぶやくやうに聞えました。どうも手がつけられないと云ったやうにも又そんなやつらにいつまでも返事してゐられないなと自分ら同志で相談したやうにも聞えました。

 私どもは顔を見合せました。それから俄かに恐くなって一緒に崖をはなれました。

 それから籠を持ってどんどん下りました。二人ともだまってどんどん下りました。雫ですっかりぬればらや何かに引っかゝれながらなんにも云はずに私どもはどんどんどんどん遁
(に)げました。遁げれば遁げるほどいよいよ恐くなったのです。うしろでハッハッハと笑ふやうな声もしたのです。」

宮沢賢治『谷』より。



∇ 本記事はこちら(童話『谷』)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.12.3









鬼又沢第1砂防堰堤


鬼又沢の下部には、土石流の被害を防ぐために
防護施設が設けられています。




鬼又沢砂防堰堤 
現地の説明板













岩手山 
柳沢登山道8合目から。




      ※

 谷の上の
 はひまつばらにいこひしを
 ひとしく四人ねむり入りしか。

      ※

      ※

 めさむれば
 四人ひとしくねむりゐたり
 はひ松ばらの
 うすひのなかに。

『歌稿B』#528,529.







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