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岩手山(2)




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柳沢、馬返し










地図 岩手山・柳沢登山道



 



 やまはくらし雪はこめたり谷のきざみわが影を引くすそのの夕陽

 雲きれてにはかに夕陽落ちたればこゝろみだれぬすゞらんの原

 野うまみなはるかに首あげわれを見つむみねの雪より霧湧き降るを

 霧しげき裾野を行けばかすかなる馬のにほひのなつかしきかな

『歌稿A』#242-245.





      ※

 夕霧の
 霧山だけの柏ばら
 かしはの雫降りまさりつつ。

      ※

 雲とざす
 きりやまだけの柏ばら
 チルチルの声かすかにきたり。
 
      ※
 
 こはいかに
 雪のやまなみ
 たちならぶ家々の影みなここにあり。
 
      ※
 
 雪くらく
 そらとけじめもあらざれば
 山のはの木々は宙にうかべり。

『歌稿B』#456,457,455,458.〔初期形〕



 たちならぶ家のうすかげ、をち山の雪のかゞやきみなわれにあり

 こはいかに雪のやまなみたちならぶ家々の影みなそとならず

『歌稿A』#454-455.




 「霧山岳
(きりやまだけ)」は、岩手山の別名です。「をち山」は、「遠くの山」という意味の“賢治語”。(『定本・宮澤賢治語彙辞典』)

 当時、岩手山へ登るもっともポピュラーなコースは、滝沢駅で降りて、柳沢の岩手山神社に参拝し、まっすぐに山頂をめざす表参道(柳沢登山道)でした。ふつうは、夕方に滝沢駅を出発して徹夜で登り、明け方に頂上で御来光(日の出)を拝みます。

 宮沢賢治も、登りはほとんどつねに、このコースでした。




柳 沢

杉の木立ちが、岩手山神社の叢林








 ↓こちらは、農学校の生徒たちを連れて登る途中、柳沢の少し手前で休憩しているところです。



   (かしはのなかには鳥の巣がない
    あんまりがさがさ鳴るためだ)

 ここは艸があんまり粗く
 ゆめのそらから空気をすひ
 おもひきり倒れるにてきしない
 そこに水いろによこたはり
 一列生徒らがやすんでゐる

   (かげはよると亜鉛とから合成される)

 それをうしろに
 わたくしはこの草にからだを投げる
 月はいましだいに銀のアトムをうしなひ
 かしははせなかを黒くかがめる
 柳沢の杉は寒天よりもなつかしく
 坊主の沼森のむかふには
 騎兵聯隊の灯も澱んでゐる

『春と修羅』「風林」【印刷用原稿】より。





柳 沢 
岩手山神社










      ※

 夜の柏ばら 
六首

      ※

 しらしらと
 銀河わたれるかしはゞら
 火をもて行けど
 馬もき馳せ来ず
 
     ※
 
 天の川
 しらしらひかり
 夜をこめて
 かしはゞら行く鳥もありけり。
 
     ※
 
 かしはばら
 うすらあかりはきたるなり
 みなみにわたる天の川より。
 
     ※
 
 あまの川
 ほのぼの白くわたるとき
 すそのをよぎる四ひきの幽霊
 
     ※
 
 かしはゞらみちをうしなひ
 しらしらと
 わたる銀河にむかひたちけり。

『歌稿B』#522-527.



      ※

 まひるのかしはゞら 
三首

      ※

 ましろなる
 やなぎの花のとぶすその
 のうまわれらをしたひつゞけり。
 
      ※
 
 ましろなる
 やなぎ花とぶ野のなかに
 傷つける手をいたはりて来る。

      ※

      ※
 
 手をひろげ
 あやしきさまし馬追へる
 すゞらんの原の
 はだかのをとこ。

『歌稿B』#531-533.






柳沢登山道 
柳沢と馬返しの中間

賢治の詩や短歌を見ると、このへんは当時は
草原で、馬の放し飼いが行われていました。
現在は、自衛隊の演習地となって、“火入れ”や
伐採が行われなくなったために、森林化しています。








  (みんなサラーブレッドだな
   あゝいふ馬 誰行っても押へるにいがべが)
  (めんだうだ よっぽどなれたひとでないと)

 古風なくらかけやまのした
 おきなぐさの冠毛がそよぎ
 鮮かな青い樺の木のしたに
 何匹かあつまる茶いろの馬
 じつにすてきに光ってゐる

    (日本絵巻のそらの群青や
     天末の turquois
(タコイス)は稀でないが
     あんな大きな心相の
     光の環
(くわん)はごくまれだ。)

     
〔…〕

 水が光る きれいな銀の水だ

 (さああすこに水があるよ
  口をすゝいでさつぱりして往かう
  こんなきれいな野はらだから)

『春と修羅』「白い鳥」【印刷用原稿】より。



 柳沢の上、山道の登りが始まる「馬返し」には、現在でも「鬼又清水」という水場があります。たいへん水量の豊富な湧き水です。

 もっとも、上の詩には「くらかけやまのした」と書いてあるので、「馬返し」よりも西へそれた「春子谷地湿原」のあたりかもしれません。

 ともかく、「馬返し」から鞍掛山麓にかけては平坦な斜面がつづき、現在でも放牧場が広がっています。賢治の時代の馬に代って、現在はもっぱら食肉用の牛ですが。


∇ 参考画像(春子谷地湿原)⇒:
【小岩井農場略図(3)】











馬返し 
賢治歌碑
短歌 #550 が刻まれている。



      ※

 柏ばら
 ほのほたえたるたいまつを
 ふたりかたみに
 吹きてありけり

『歌稿B』#547.



 あけがたの琥珀のそらは凍りしを大とかげらの雲はうかびて

『歌稿A』#548.



      ※

 雲の海の
 上に凍りし
 琥珀のそら
 巨きとかげ
 群れわたるなり

      ※
 
 ましろなる
 火花とゞろに
 空は燃ゆる
 霧山岳の
 風のいたゞき
 
      ※
 
 岩手やま
 いたゞきにして
 ましろなる
 そらに火花の湧き散れるかも。

『歌稿B』#548-550.











鉾立 
柳沢登山道7合目




「さてまた、あけがたとなり、われわれは、はや七合目かの大きな赤い岩の下にたどりつき、つめたい赤い土に腰をおろし、東だか、北だかわからないそらを見れば、あゝこれは明るい冷たい琥珀の板で上手に張られ、またはこれは琥珀色の空間であって夢の様な中世代の大とかげらがうかびたち、

 また頂にいたり、一人の人は感激のあまり皮肉のあまりゲートルを首に巻きつけ、また強い風が吹いて来て霧が早く早く過ぎ行きわたくしの眼球は風におしつけられて歪み、そのためかまたはそうでなく本統にか白い空に灼熱の火花が湧き、すみやかに散り、風を恐れる子供は私にすがりついたのでした。
〔…〕
宮沢賢治書簡[94]〔1918年12月10日頃〕保阪嘉内宛て、より。



「盛岡と岩手山とを想ひ出します 岩手さんよかゞやく霧山岳の柏原、いたゞきの白い空に湧き散った火花よ。

 前にも書いたやうですがあの柏原の夜の中でたいまつが消えてしまひあなたとかはるがはる一生懸命そのおきを吹いた。銀河が南の雲のきれまから一寸見え沼森は微光の底に睡ってゐる。たいまつのおきはちいさな赤児のてのひらか夜の赤い華のやうに光り遠くから提灯がやって来た。

 『あなたがたは紀念館などを観に行くではありませんよ』なんて出鱈目なことを云ひながら谷へはいって往った。

 夜があけて黄色な真空のつめたい空にはおほとかげの雲中世代の灰色の動物が沢山うかび、

            やあもうやめます。
                  さよなら」

宮沢賢治書簡[164]〔1920年5月〕保阪嘉内宛て、より。







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〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【61】風林


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〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【62】白い鳥




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