ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

ハームキヤ(9)




ランキングヘ




花巻市内の『春と修羅』関係箇所



「ハームキヤ」とは、賢治語wで、花巻のことです。









ミヤケンのグルメ・スポット




 なぜか最近“賢治グルメ”がはやりなので、↑特集してみました。










JR花巻駅東口

「風の鳴る林」

宮沢賢治ファン向けには「賢治の詩と童話のイメージ」、
新渡部稲造ファンには「新渡戸と花巻のイメージ」」と
説明されています。何だかよくわからないモニュメントは
便利なものですw



 最初のスポットは、花巻駅です。ここでは「賢治弁当」という駅弁を売っていますが、もちろん、賢治が生きていた時には、そんなものはありませんでしたw









地図(旧・花巻川口町)







岩手軽便鉄道・花巻駅・跡
ホテル・グランシェール脇

JR花巻駅のすぐ近くにあります。当時の軽便鉄道
の線路は、ここから町を横切って、北上川べりを
走っていました。駅から北に向かう現在のルートは、
国鉄釜石線になってから付け替えられたものです。









照井菓子店 
花巻市・大通り2丁目

「賢治もなか」を売っているのは、ここではありませんw

ここは、賢治の時代には「大正活版所」という小さな
印刷所でした。建物は当時のままだそうです。
宮沢賢治の最初の著書『心象スケッチ 春と修羅』は、
ここで印刷されました。






 ところで、案内板によると、この印刷所は、『銀河鉄道の夜』でジョバンニがアルバイトをする印刷所のモデルだという説があるそうです。

 その根拠は、『銀河鉄道の夜』の↓つぎの一節にあります:




「けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました。
〔…〕

  家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口の計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは靴をぬいで上りますと、突き当りの大きな扉をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついてたくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけたりした人たちが、何か歌うやうに読んだり数えたりしながらたくさん働いて居りました。」



 「輪転器がばたりばたりとまわ」っている「大きな活版処」という童話のイメージは、↑上の写真の小さな建物とはだいぶ違います。




「田舎町の印刷屋のことであるから手刷の小さな機械しかなく、」


 と小倉豊文氏が書いているように
(「『春と修羅』初版について」 in:天沢退二郎・編『「春と修羅」研究I』,p.174)、自動式輪転印刷機などは「大正活版所」には無かったはずです。

 しかし、ここがジョバンニのアルバイト先だという根拠は、小学校の門を出てから「町を三つ曲って」印刷所に到着するという部分にあります。

 ↑上の地図を見るとわかるように、賢治の母校でもある「花城
(かじょう)小学校」から「大正活版所」へ行くには、すぐ近くなのに角を3つ曲がらなければなりません。学校の門を出てから最初と次の角は、もともと花巻城の中の道であり、敵の来襲を防ぐために道がカギ形になっているそうです。

 賢治は、小学生のときから、この迷路のような道がおもしろくて、後年に童話を書いた時にも、その思い出を生かしたのでしょう。




花城小学校・跡











やぶ屋総本店



 ↑ここは、賢治お気に入りの第一級グルメです。老舗の蕎麦屋ですが、農学校の同僚教諭とよく立ち寄ったと言います。お気に入りのメニューは:


● てんぷらそば と サイダー のセット

● うな重


 とくに、うな重は高価で、当時は独身の高給取りか、金満家でもなければ手が出なかったそうですが、宮沢賢治は、これが大好物でした。「雨ニモマケズ」のイメージで見ている人には意外かもしれませんが、この人、食べ物に限らず非常にカネ使いが荒いのですw

 当時、ソバ屋と言えば、酒を飲む場所でもありました。ただ、同僚は飲んでも、賢治は飲酒しなかったようです。











花巻城・鐘楼

花城小学校跡の近くに、花巻城・二ノ丸にあった鐘楼が
移されています。




花巻城・二ノ丸 
「四っ角山」跡(赤矢印)
遠景にある土手と木立ちの向うは本丸。
土手と、雪の積もったグランド(旧・二ノ丸)との間には堀がある。

↑上の鐘楼は、もとは、この写真の赤矢印の位置にあったのですが、
賢治の時代にはすでに移設されて、鐘楼の台だった四角い土盛りが
残されていました。この土盛りを、「四っ角山
(しっかくやま)
と呼んでいました。

下の賢治作品にあるように、「四っ角山」には、シロツメクサ
などの雑草や蔓草が生い茂っていたようです。






      ※

 しろあとの
 四っ角山につめ草の
 はなは枯れたり
 月のしろがね

      ※

 碧びかり
 いちめんこめし西ぞらに
 ぼうとあかるき城あとの草

『歌稿B』#181,182.




「城あとのおほばこの実は結び、赤つめ草の花は枯れて焦茶色
(こげちゃいろ)になって、畑の粟は刈りとられ、畑のすみから一寸顔を出した野鼠はびっくりしたやうに又急いで穴の中へひっこむ。

 崖やほりには、まばゆい銀のすすきの穂が、いちめん風に波立ってゐる。

 その城あとのまん中の、小さな四っ角山の上に、めくらぶだうのやぶがあってその実がすっかり熟してゐる。

 ひとりの少女が楽譜をもってためいきしながら藪のそばの草にすはる。

 かすかなかすかな日照り雨が降って、草はきらきら光り、向ふの山は暗くなる。

 そのありなしの日照りの雨が霽
(は)れたので、草はあらたにきらきら光り、向ふの山は明るくなって、少女はまぶしくおもてを伏せる。〔…〕




 童話に描かれた風景と、その題材になった場所を比べてみると、たしかにこの場所にはちがいないのですが、まるで別世界のようなまばゆさ、光と影のコントラストの生々しさに圧倒される思いです。

 しかしそれを、「幻想」「修飾」などと言ってすませられないところが、賢治作品の賢治作品たるゆえんだと思います。どんなに非現実的に見えようとも、それらはみな、現実世界に存在する景物のたゆまぬ観察の積み重ねから成り立っています。そして、それゆえにこそ、圧倒的な存在感をもって迫ってくるのだと言えます。

 賢治作品は、この世界とは別の世界――"天上世界"のようなもの――を描いているのではなく、この世界の“本質”を描こうとしているのだと思います。作品の中で、"天上世界"、あるいは"地獄の世界"が描かれる場合でさえ、それらは、本質化された・この現実世界にほかならないのです。

 賢治が深く影響された『法華経・如来壽量品』には、"天上"とは、この世界のことであり、"地獄"とは、この世界のことにほかならないとの教えが説かれていました。

 あらゆる物や生き物が、それぞれの“本質”をあらわにして、生き生きと脈打つ姿で描かれた・この世界―――最終的には、世界のそのような本質を描き切ることに、賢治が生涯を賭けた《心象スケッチ》の目標があったのだと思います。





∇ 関連記事(吉本隆明が語る『マリヴロンと少女』)⇒:
【吉本隆明】の宮沢賢治論(6)


∇ 関連記事(吉本隆明が語る『マリヴロンと少女』)⇒:
【宮沢賢治】「みんな」と独我とアイドルと崇拝者




∇ 参考記事(法華経・如来壽量品)⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.16.6








 さて、‥ついつい食べ物以外の話題が多くなってしまいましたが、“ぐるめぐり”は次回もつづきます。




∇ ひとつ前の記事⇒:ハームキヤ(8)

∇ 次の記事⇒:ハームキヤ(10)




.

トピックス

ブログランキング

人気のブログテーマ記事

テーマ:反抗期ってあった?