ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

仙人峠と釜石(2)




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仙人峠





 昭和はじめまで、岩手県内陸部から太平洋岸・釜石へ、鉄道や自動車で行くことはできませんでした。遠野と釜石の間には 仙人峠という難所があり、ここは徒歩で越えるほかはなかったのです。

 花巻に住む宮沢賢治も、その生涯の間に2回だけ、 仙人峠越えの旅をしています。 









仙人峠(地形図)

仙人峠西麓の「仙人峠」駅と、東麓の「大橋」駅の間は、
貨物用の索道
〔ロープウェイ〕だけで、鉄道は無く、
乗客は徒歩で峠を越えていました。






仙人峠路 
遠野側(西側)


 ↑仙人峠駅跡から登りはじめました。山路ですが路幅は広く、人と馬が行き交っていた往時は、しっかりとした歩きやすい峠路だったことがしのばれます。






仙人峠路 
遠野側(西側)


 路傍には石灰岩の露頭や転石がめだちます。持ち帰って、クエン酸水溶液で試したところ、純度の高い良質の石灰岩でした。

 以前に実験した秩父の石灰岩は、クエン酸溶液が不純物で真白く濁りましたが、今回は泡が出るだけで、液は透明なまま。秩父産よりも、よほど純度が高そうです。

 石灰岩といえば、鉄の精錬に無くてはならぬもの。峠の釜石側の鉱山(鉄鉱石)とともに、釜石の製鉄を立地させた地下資源だったのでしょう。


∇ 参考記事(秩父の石灰岩)⇒:
荒川の碧き流れに(29)











仙人峠 
887m

遠野伝説で、治癒神の仙人を祀ったとされる
「仙人堂」が、当時はありました。
生えている樹木はダケカンバのようです。





     
〔…〕

 冷たい風が、
 せはしく西から襲ふので
 白樺はみな、
 ねぢれた枝を東のそらの海の光へ伸ばし
 雪と露岩のけはしい二色の起伏のはてで
 二十世紀の太平洋が、
 青くなまめきけむってゐる
 黒い岬のこっちには
 釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド

    ……そこでは叔父のこどもらが
      みなすくすくと育ってゐた……

 あたらしい風が翔ければ
 白樺の木は鋼のやうにりんりん鳴らす

『春と修羅・第2集』#358,1925.1.9.「峠」〔下書稿手入れ〕より。



 宮沢賢治は、1925年1月に八戸から宮古を経て釜石までの三陸海岸を徒歩と船で旅しています。この詩は、日付や内容から見て、釜石から花巻へ戻る途中のスケッチと思われます。

 この詩の風景は、仙人峠から釜石方面を望んだものだと言われているのですが、‥‥たしかに、ダケカンバが多いことや、詩のふんいきは、ここから太平洋岸への展望を思わせます。

 しかし、仙人峠と釜石は約 16km 離れており、あいだには、仙人峠の高さに匹敵する山々が連なっています。ほんとうに、仙人峠から釜石湾が見えるのだろうか? ……ギトンは、まえまえからその点を疑問に思ってきました。

 今回仙人峠へ行ったのは、それを自分の眼で確かめることが、ひとつの目的でした。






仙人峠


ダケカンバの木の間越しに海側を撮してみました。
地図で見ると、白矢印の下が釜石の位置なのですが、
どうでしょうか?

もっと晴れた日でも、釜石湾が見えるとは思えません。




仙人峠 
ダケカンバ

賢治は、ダケカンバなどを含めて、
おおざっぱに「シラカバ」と呼んで
いたようです。ともかく、この峠には多い。
亜高山帯の樹木なので、この峠より
低い場所には生えません。




仙人峠 
マルバダケブキ

マルバダケブキとトウゲブキ(エゾタカラコウ)が、
峠付近にだけ生えていました。
亜高山帯の道具立てがそろっていますね。



 けっきょく、賢治の詩「峠」の舞台については、仙人峠にまちがえなさそうです。

 しかし、釜石湾が見えるのは、この峠の付近ではありません。

 したがって、「二十世紀の太平洋が、」以下はフィクションだと言わざるをえません。たとえば、この前日に、釜石の高台から眺めた港のけしきの像を、仙人峠の風景に“はめこんだ”のではないでしょうか?

 たしかに、「黒い岬のこっちには/釜石湾の一つぶ華奢なエメラルド」と書いているように、釜石湾の中央に一つだけ小さな島(中根岩礁)があります。そこに灯標
(小型の灯台)が設置されたのは 1930 年で、賢治が来た時にはまだありませんでしたが‥


 なお、その前の行の「雪と露岩のけはしい二色の起伏」もフィクションでしょう。仙人峠の周辺に露岩はありませんでしたから。








中仙人茶屋・跡 
水槽
大橋側(東側)峠路の中腹にある。

江戸時代の 1805年に、釜石の佐野忠義が全長
600mの木樋を設置して沢水を引き、人馬に
飲み水を提供したのがはじまりとされます
(釜石市教育委員会『大橋高炉跡・釜石鉱山
・旧釜石鉱山事務所解説パンフレット』,2016
による)

飲用水を貯めた水槽のほか、石の祠と山神碑
の残骸が積み重なっていました。



 仙人峠と登り口との標高差は、西側が約 330m、東側が約 630m。東側(海側)は2倍近いのです。釜石側からの登りは、とくに難儀だったことがわかります。

 なお、現在、この峠を紹介したブログを見ますと、「らくに登れる」「ハイキング気分だ」などと、みなさん書いておられますが、それは重い荷物をしょっていないからでしょう。交通路としてこの峠路が使われていた当時は、手ぶらの旅人などというものはいないし、はきものも登山靴ではなく、滑りやすい革靴やワラジだったことが思われます。






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