ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

剣舞(けんばい)のさと(3)




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 宮沢賢治の詩「原体剣舞連」は、岩手県江刺地方に伝わる“稚児剣舞”
(ちごけんばい。山間部の10代前半の少年たちが踊り子となり、夕刻〜夜間に里の村々に下りて演ずる)に取材したものです。


 詩のふるさとをたずねてみました。







岩谷堂、奥の正法寺
(しょうほうじ)







岩谷堂 
人首川
正面奥に岩谷堂城跡がある。

岩谷堂は、かつて平泉に進出するまで藤原清衡が根拠地と
していたところ。江刺郡の中心地であり、現在は、奥州市
の江刺総合支所があります。




 今日当地へ来ました。あしたから十日ぱかり歩きます。

 これから暫らく毎日御便り致します。今日はまだあまり気が進みませんからこれで失敬します。

〔…〕

二十八日 岩谷堂町ニテ 賢治拝  

宮沢賢治書簡[37] 1917年9月28日付 保阪嘉内宛て。



 ↑「あしたから十日ぱかり歩きます」は、江刺郡地質調査のこと。岩谷堂に集合して出発したことがわかります。






 
〔…〕コチラデハマダ雪ガ消エマセン。私ハ今ソノ消エナイ雪ノ上ヲ毎日毎日歩イテ居ルノデス。コノ辺ハ江刺ノ様二道ガアリマセン。

     
〔…〕

 江刺ノ山ハ実ニ明ルクユックリシテヰタデハアリマセンカ。私ハ正法寺ノ明方、伊手ノ薄月夜ノ赤垂衣、岩谷堂ノ青イ仮面、又阿原山ヤ人首ノ御医者サンナドヲ思ヒマス。コチラデハサッパリイケマセン。山ハ無暗ニコセツイテ意地悪ク、仲々十町位ノ所デモ道ガナカッタラ二時間モカカリマス。
〔…〕

宮沢賢治書簡[54] 1918年4月18日付 佐々木又治宛て。



 佐々木又治は、盛岡高等農林での宮沢賢治賢治の同級生で、1917年の「江刺郡地質調査」のメンバーの一人。↑これは、賢治が卒業後の助手勤務時代に、鉛温泉方面での地質土性調査の途上に書いた手紙。「コチラ」は、花巻西方の山々を指します。

 「伊手ノ薄月夜ノ赤垂衣」は上伊手剣舞、「岩谷堂ノ青イ仮面」は原体剣舞の思い出、「阿原山」は上伊手の南にそびえる山。「人首」では、当時町で唯一医院を開業していた医師と交流があったようです。いずれも、佐々木と共にした「江刺郡地質調査」でのこと。

∇ 関連記事(人首町)⇒:五輪峠(4)


 「正法寺ノ明方」とあることから、正法寺まで足を延ばして宿泊したことがわかります。

 「正法寺」は、水沢江刺駅の南方約 9km、前沢・平泉に近いところにある曹洞宗の古刹。蘇民祭で有名な黒石寺の奥にあります。









正法寺 
惣門
「奥の正法寺」と呼ばれ、1348年開創。
山門は礎石だけが残っており、現在あるのは
山門の外側の「惣門」。

門の下の石段は、蛇紋岩を並べて造られています。




正法寺 
惣門
石段の拡大。蛇紋岩特有の色と光沢。




正法寺 
境内の石段(蛇紋岩)
蛇紋岩特有の色と光沢。

惣門の石段ばかりでなく、境内の石段も庭石も、
すべて蛇紋岩や蛇紋岩質の岩石です。



 正法寺、黒石寺のある地域は「黒石
(くろいし)」と呼ばれ、「黒石」とは蛇紋岩のことです。この一帯には蛇紋岩が多いために、そう呼ばれるようになりました。

 現在では、道路の側面の崖はみなセメントで被覆されてしまっていますが、賢治らが訪れた当時は、蛇紋岩の露頭が豊富に見られたはずです。






 菩提樹皮
(まだかは)と縄とをまとふ
 気圏の戦士わが朋
(とも)たちよ

     
〔…〕

 蛇紋山地に篝
(かがり)をかかげ
 ひのきの髪をうちゆすり
 まるめろの匂のそらに
 あたらしい星雲を燃せ

    dah-dah-sko-dah-dah 
〔…〕 

『春と修羅』「原体剣舞連」より。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 4.14.1〜






      ※

 おゝ 蛇紋岩
(サアペンティン)のそばみちに
 そらは薄明のつめたきひとみ

      ※

 わが青き蛇紋岩
(サアペンティン)のそばみちに
 ことしの終りの月見草咲き。

宮沢賢治『歌稿B』#740,741.

※「そばみち」:山道のこと。



 まちなみのなつかしい灯とおもつて
 いそいでわたくしは雪と蛇紋岩
(サーペンタイン)との
 山峡をでてきましたのに
 これはカーバイト倉庫の軒
 すきとほつてつめたい電燈です 
〔…〕

『春と修羅』「カーバイト倉庫」より。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.5.1〜










正法寺 
蓮華の池

まるで、仏典に描かれた浄土のようです。



 蛇紋岩だけではありません。市街地から遠く離れた別世界のような谷間に、茅葺き屋根の閑静な堂宇が並んでいます。盛岡の報恩寺にもまさる森閑とした禅宗寺院のふんいきは、宮沢賢治の好みにぴったりだと思いました。

 ギトンが訪れた日、本堂ではたまたまお葬式が執り行われていましたが、浄土世界を謳いあげるような読経のコーラスと鉦の音は、胸に沁みわたるようでした。

 ↓本堂の前のカシワの老樹も、賢治を魅了したにちがいありません。




正法寺 
本堂と柏の木
開祖・無底禅師の“お手植え”の木と伝えられる
カシワの巨樹。うしろの本堂は、現在日本一の
大きさの茅葺き屋根。





    夜の柏ばら 六首
 
      ※
 
 しらしらと
 銀河わたれるかしはゞら
 火をもて行けど
 馬も馳せ来ず
 
      ※
 
 天の川
 しらしらひかり
 夜をこめて
 かしはゞら行く鳥もありけり。
 
      ※
 
 かしはばら
 うすらあかりはきたるなり
 みなみにわたる天の川より。
 
      ※
 
 あまの川
 ほのぼの白くわたるとき
 すそのをよぎる四ひきの幽霊
 
      ※
 
 かしはゞらみちをうしなひ
 しらしらと
 わたる銀河にむかひたちけり。

宮沢賢治『歌稿B』#522-527.



 (おい かしは
  てめいのあだなを
  やまのたばこの木つていふつてのはほんたうか)

    
〔…〕

 (おい やまのたばこの木
  あんまりヘんなおどりをやると
  未来派だつていはれるぜ)

『春と修羅』「一本木野」より。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.11.11〜







 蛇紋岩とカシワ。正法寺を訪れたことは、賢治の詩的モチーフの形成に大きな寄与をしたかもしれません。

 正法寺泊の数日後、伊手郵便局で投函された保阪宛て葉書↓には、蛇紋岩の露出する山の斜面が描かれています。




宮沢賢治の保阪嘉内宛て葉書

1917年9月2日伊手局消印。

「[英語]分散系(分散媒――空気 分散質 H2O)」
「かなしめるうま」「蛇紋岩ノ露出」
「[英語]岩屑の堆積[デブリ]」
「[英語]あなたには容易に想像できるように、
これらは松の木である。」






銚子山 
岩明から。

↑上の保阪宛て葉書に描かれているのが、どこの山か
については諸説あるそうですが、伊手の西方、下伊手
にある銚子山も、その候補のひとつ。



 銚子山の全体の形は、葉書の“蛇紋岩の山”に似ていないようです。

 当時は、赤金鉱山の精錬のために、伊手付近の山々は、みな禿山になるほど伐採されていたと言います。銚子山に限らず、賢治は、たまたま見かけた丸い形の丘を描いたのではないでしょうか? 岩石の露頭が多く、地質調査に好適な斜面だったのでしょう。そして、伐採で山が荒れているのを、放牧の馬が悲しんでいるように思われて、描きこんだのでしょう。






∇ ひとつ前の記事⇒:剣舞のさと(2)




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