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平 泉




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平 泉






 盛岡中学校4年次の修学旅行で、宮沢賢治は平泉を訪れています。
 並はずれた感性を持った少年の眼に、平泉はどんな印象を残したのでしょうか。







平泉・中尊寺 
経堂

奥州藤原氏が創建した中尊寺の堂宇の中で、
現在まで残っているものは、この経堂と、
有名な金色堂だけなのだそうです。
この経堂も、創建時そのままではなく、
創建時の古材を用いて再建されたものです。



      ※

 中尊寺
 青葉に曇る夕暮の
 そらふるはして青き鐘鳴る。

      ※

 桃青の
 夏草の碑はみな月の
 青き反射のなかにねむりき。

『歌稿B』,#8,9.



 鐘楼は、現在の中尊寺の寺域からはややはなれた北上川畔にあり、保存のため立入禁止となっています。⇒:世界遺産平泉 中尊寺鐘楼

 鐘が撞かれることもありませんが、賢治の時代には鳴らされていたのでしょうか。

 「桃青」は、松尾芭蕉の号のひとつ。「芭蕉」と言わずに「桃青」の号で呼んだことに、賢治の意図があります。


 夏草や 兵
〔つはもの〕どもが 夢の跡


 1689年に芭蕉が「おくのほそ道」の途上、この句を詠んだのは、義経の居館跡の丘「高館」においてでした。しかし、宮沢賢治が訪れた当時(1912年)、「高館」には句碑はありませんでした。

 当時から句碑があったのは毛越寺
(もうつうじ)で、江戸時代に建てられた2基の石碑が、当時も現在もあります。






芭蕉句碑「夏草や‥」 
平泉・毛越寺
18世紀に、芭蕉の甥・也寥禅師が建てたもので、
刻まれた字は芭蕉の真筆だと言われています。




芭蕉句碑「夏草や‥」 
平泉・毛越寺
1806年に地元の俳人・素鳥らが建てたもの。




浄土庭園 
平泉・毛越寺



 宮沢賢治の2首の短歌は、いずれも青ないし緑の色調に特徴があります。「青葉」、い〜んと尾を引く“青い”鐘の音、「桃青」「夏草」「みな月の/青き反射」。賢治が修学旅行でここに来た 5月29日(旧暦4月13日)は水無月(6月)ではありませんが、「みな月」は「水無月」でしょう。賢治は平泉に、乾いた印象、渇きを覚えるような印象をもったようです。↓下で見る文語詩「中尊寺[二]」の下書稿の中に、「青葉」を「乾葉」に直しているものがあります。暑い日だったのでしょうか。

 賢治少年の感じた平泉は、“乾いた青い世界”。じつに特異な感性だと思います。ギトンは実感することができません。

 砂漠のような焦燥感、また、「怒りの‥青さ」に通じるやり場のない憤りに捕らえられた気分なのでしょうか?



 


 みねのかた
 青き鐘なり
 白きそらいとも近きに
 この堂は青葉めぐらし
 義経の経笈を守る
 僧ひとり縁にうちゐて
 膨れたるうなじめぐらし
 にせものの像を指し
 さりげなくそらごと云へば
 白きそらいよよさびしき

『文語詩未定稿』「中尊寺[二]」〔下書稿(一)手入れ〕



 「笈
(きゅう)」は、辞書を引くと、「荷物や書籍を入れて背負う竹製の箱」「修験者・行脚僧が仏具・衣類などを入れて背に負う箱」などとあって、「書笈」は「書物を入れて背負う箱」。→「経笈」は、経巻を背負って旅するための箱でしょうか?

 ↑この詩の舞台は、中尊寺の寺域の中にある弁慶堂だと言う人もありますが、ギトンは、源義経が最期を遂げた「高館」の丘だと思います。「高館
(たかだち)」は、中尊寺の現在の寺域からは外れていますが、やはり寺域から離れた北上川畔にある「鐘楼」には近い位置です。もし、賢治の時代に鐘が鳴らされていたとすれば、「高館」からはよく聞こえたはずです。

 「高館」には「義経堂」があって、源義経の彩色木像が安置されていますが、顔が白く塗ってあって目鼻眉毛が書いてある彩色像は、古い仏像などと違って、けばけばしく、安っぽく見えます。「にせものの像」は、そういう義経像の印象を言っているのではないでしょうか。

 “袈裟が憎けりゃ坊主まで憎い”かなんかわかりませんがw、‥賢治は、説明をする僧侶にも反感を抱いたようです。約20年後に思い出して書いた文語詩ですが、少年時の体験を鮮明に記憶している人だったのだと思います。

 くりかえし描かれる「白きそら」にも、観光向けの紋切りの説明に感じたしらじらしさ、賢治ら学生たちの白けた気分が表れています。

 この文語詩「中尊寺[二]」は、中学時代の短歌2首(『歌稿』#8,9)に推敲加筆して成立しているもので、↑上の〔下書稿(一)手入れ〕は、『歌稿B』の余白に記入されているのです。つまり、作品の系譜関係が明らかです。

 そこで、文語詩から逆に遡って考えると、短歌 #8番の舞台は「高館」、#9番の舞台は毛越寺‥ということになるでしょう。





高 館

「青葉」の樹木と「夏草」が鬱蒼と茂る丘。
この丘の上、森の中に「義経堂」がある。

「金色堂」などのある中尊寺・寺域から近く、
中尊寺「鐘楼」にも近い位置にあります。




高 館 
義経堂
お堂の中央で、義経の彩色木像が
こちらを向いている。









 七重
〔じゅう〕の舎利の小塔〔ことう〕に、蓋〔がい〕なすや緑〔りょく〕の燐光。

 大盗は銀のかたびら、       おろがむとまづ膝だてば、

 赭
〔しゃ〕のまなこたゞつぶらにて、 もろの肱〔ひじ〕映えかゞやけり。

 手
〔た〕触れ得ず十字燐光、     大盗は礼〔らい〕して没(き)ゆる。

『文語詩稿一百篇』「中尊寺[一]」〔定稿〕



 ↑こちらの文語詩にも「中尊寺」という題名がついています。[一][二]は、同じ題名の作品を区別するために全集編集者がつけた数字です。

 しかし、[一]のほうは、短歌ではなく『冬のスケッチ』の一部から、推敲・改作されて成立しています。



 ぬすまんとして立ち膝し、
 その膝、光りかゞやけり

 ぬすみ得ず 十字燐光
 やがていのりて消えにけり。

『冬のスケッチ』6葉:1.



 ↑この『冬のスケッチ』断片は、前の部分が失われているらしく、これだけでは何のことか分かりません。しかし、『冬のスケッチ』には、夜の街灯の光で長く延びた自分の影(あるいは電柱の影)を“脚の長い旅人”と見なした章句があり、それはさらに“家に忍び込もうとする盗人”とされて『春と修羅』収録詩「ぬすびと」に生かされています↓



∇ 参考記事⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 【7】ぬすびと 1.7.3




 そうすると、↑上の断片のほうは、影ではなく街灯の光か朝日の光が、道の雪に反射しているさまを、“銀のかたびらを着た人”と見なす描写から続いていたのかもしれません……



 ところで、一般には、この文語詩の「七重の舎利の小塔」は、「中尊寺」という詩の題名から、平泉・中尊寺の金色堂だと解釈されています。だれもがそう言っていて異論を見ないのですが、…ギトンは、その点に疑問をもっています。

 金色堂は、藤原4代のミイラ
(泰衡は頭部のみ)を床下に収めた仏堂で、内外総金箔貼りの堂内に3セットの阿弥陀三尊像を安置して、極楽浄土のさまを表現しているのだとされています。

 これに対して、「舎利塔」は、文字通りシャカの骨を――または代用として経典を――収めた塔で、仏像を収める場所でも人の墓所でもありません。つまり、「金色堂」と「舎利塔」は似ても似つかないのです。

 いったい、「七重の舎利の小塔」とは何でしょうか?‥中尊寺にはありませんが、そういう名前のものは実際に存在します。それは、「法隆寺・百万塔」の一部です。

 奈良時代後期、恵美押勝の乱に勝利した称徳天皇が、戦死者を弔い国家鎮護を祈願して作らせた 100万個の舎利小塔が「法隆寺・百万塔」で、高さ 20cm ほどのロクロ細工の木製の塔です。100万個の小塔の各内部に、「百万塔 陀羅尼」という経典が、一部ずつ収められています。「百万塔 陀羅尼」は、これ自体が日本最古の印刷物です。

 「百万塔」は三重の塔の形をしていますが(三重小塔)、そのほかに、1万基ごとに「七重小塔」(一万節塔)を、10万基ごとに「十三重小塔」(十万節塔)を作らせています。これらの小塔は、興福寺,薬師寺,東大寺,西大寺,法隆寺など、奈良の10箇所のお寺に分置されましたが、そのうち法隆寺の 4万数千基だけが現存しているわけです。

 つまり、「七重の舎利の小塔」は、奈良時代には 100個あったのです。そのうちの1個が、何かのひょうしに、平安末期の奥州平泉に伝わらなかったとは断言できないでしょう。奥州藤原氏は、領内から豊富に産出する金を持ち込んで、畿内方面で宝物を買い集めていたといいますから、その中に「百万塔」や「一万節塔」の1個や2個あってもおかしくはありません。

 過去の或る時代に、あるいはもしかしたら現在も、中尊寺に「七重の舎利の小塔」が伝わっているかもしれない‥ この詩は、宮沢賢治のそういう想像力の産物ではないかと思うのです。

 一般の賢治解釈では、「七重の舎利の小塔」は「金色堂」だということになっていますから、詩にある「大盗」も、源頼朝ではないかと言われたりします。奥州を平定した頼朝が、中尊寺の宝物を手に入れようとする「大盗」に比せられるわけです。

 しかし、この詩に描かれた「大盗」の服装も行動も、武士の棟梁である頼朝とはあまりにも違います。

 頼朝らしくない点は、まず、「銀のかたびら」です。辞書を見ますと、「かたびら」とは、「ひとえの着物」、つまり裏地のない一枚だけの布でできた着物です。それが銀でできていると言うのです。ヒジもヒザも外に出ていますから、貫頭衣のようなものでしょう。つまり、この人は一枚の銀箔を身につけているだけ……ほとんどハダカです。宮沢賢治の描く天人の服装――羅
(うすもの)と瓔珞だけを身にまとった――とよく似ています。そういうハダカの人が、「七重の舎利の小塔」を持ち去ろうとして、まず、うやうやしく拝んでいます。

 キラキラ光る銀をまとった「大盗」に対して、「小塔」のほうは、金むくだとは書いてないし、輝いてもいません。見た目は古びた木製の塔にすぎないです。「大盗」にとって、「小塔」の価値は宝物の価値ではないことになります。歴史的に由緒あるとか、ありがたいお経が入っているとか、そういった次元の価値なのです。

 ただ、その古びた木製の「小塔」は、天蓋のような「緑の燐光」「十字燐光」にとりまかれているのです。現世的な価値ではなく、宗教的・天上的な神秘に彩られている―――それゆえに、手を触れることさえできない存在なのです。これは、「大盗」=頼朝という“現実的”な解釈を、大きく超え出ているのではないでしょうか?

 ここでギトンの独断を言いますと、この「大盗」は、賢治自身ではないかと思います。この詩の〔下書稿(三)〕
(中尊寺の金色堂前にある賢治詩碑に刻まれているヴァージョン)は『雨ニモマケズ』手帳に記され、そこからさらに推敲されて定稿用紙に写し取られている点が重要です。この詩は、1931年9月に東京で倒れた後、帰郷して生死の境をさまよっている間に見た夢の情景がもとになっていると思われます。『冬のスケッチ』断片は、それを表現するための手がかりとして利用しただけでしょう。

 生死の境をさまよっているので、賢治は、ほとんど天人になりかけた姿で現れているのです。ちなみに、仏教では、天人になることは極楽往生を意味しません。天人に生まれ変わったあとも煩悩はあるし、菩薩修業は続くのです。

 その・天人になりかけた賢治が、「舎利の小塔」に手を出そうとしているのは、人間になったり天人になったり畜生に生まれ変ったりという輪廻を、早く解脱したいという性急さの現れでしょう。

 そこで、「小塔」は“緑の天蓋”に取り巻かれているように見えるのです。「百万陀羅尼」を収めた「小塔」は、もしかすると知識や学問的真理の象徴です。そこには賢治が生涯にわたって求めてやまなかった価値が詰まっています。“緑”や“青”はそれを意味する色です。しかし、宗教的意味での覚醒、“解脱”は、それとはやや方向が違う‥‥ もっと直観的・体得的なものなのです。。。



 ちなみに、「燐光」「緑の燐光」は、賢治作品によく出てくるモチーフで、『春と修羅・第1集』では「小岩井農場・パート1」「蠕虫舞手」などに現れます:


∇ 参考記事⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 2.2.10

∇ 参考記事⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.2.9

∇ 関連画像⇒:燐光







賢治詩碑 
中尊寺
「中尊寺[一]」〔下書稿(三)〕が刻まれています。
『雨ニモマケズ手帳』に書きこまれたヴァージョンで、
4行目前半が「手触れ得ね舎利の宝塔」となって
いる点が〔定稿〕と異なります。





 ところで、‥びっくりする話ですが、中尊寺では宮沢賢治を金色堂に「合祀」しているそうです。「合祀」したのは 1959年で、↑上の詩碑の除幕式の日だそうです。われらのミヤケンは、いまや極楽で藤原4代と栄華をともにしているのでしょうか? ⇒:平泉へおでんせ

 「合祀」はふつう神社がするもので、お寺が「合祀」というのも初耳ですが、習合色の強い東北の寺院ならではのことでしょうか?‥









   Ho! Ho! Ho!

      むかし達谷
(たつた)の悪路王(あくろわう)
      まつくらくらの二里の洞
(ほら)
      わたるは夢と黒夜神
(こくやじん)
      首は刻まれ漬
〔みづ〕けられ

 アンドロメダもかゞりにゆすれ
〔…〕

『春と修羅』「原体剣舞連」より。






達谷窟
(たったのいわや)
「たっこくのいわや」とも言う。

平泉駅から 7km ほどのところにあります。
ここまで行けたのはレンタサイクルのおかげですw
「悪路王」とは、坂上田村麻呂と戦ったエゾの首領
アテルイのことだとされています。ここは「悪路王」
が本拠にしていた洞窟で、洞窟にフタをするように
毘沙門堂が建てられています。



 宮沢賢治は修学旅行では達谷まで足を延ばせなかったようですが、エゾの伝説はよく知っていて、江刺の「人首丸」伝説とともに「悪路王」の敗死を剣舞の起源として考えていたようです。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 【46】原体剣舞連 4.14.18







 ところで‥ 平泉には、なんと“狼神社”もあるのです。オイノ森もオイノ窪もある岩手県に、ヤマイヌの神様がいないわけがない…と思っていましたが、やはりいらっしゃいました!

 しかし、その話は、場所を変えて《あ〜いえばこーゆー記》のほうでやりたいと思います↓






∇ 本記事はこちら⇒:
〜ギトンのあ〜いえばこーゆー記〜
【衣川のオイノさま】




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