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ハームキヤ(8)




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花巻市内の『春と修羅』関係箇所



「ハームキヤ」とは、賢治語wで、花巻のことです。





西公園











天満宮 
花巻市藤沢町

賢治の時代に、このあたりは「西公園」と
呼ばれていました。

ここは、豊沢川が形成した段丘斜面です。
公園として整備されていたわけではなく、
当時は人家も耕地も少なく風光明媚で、
子どもたちの遊び場にもなっているこの
高台斜面を、人々は自然に“公園”と
呼ぶようになったのではないでしょうか。






地図(花巻西郊)







花巻駅・西口 


現在、JR花巻駅には東側にしか改札がないのに、
なぜ「西口」があるのだろうと、ふしぎに思っていましたが、
1972年まで、ここには花巻電鉄の花巻駅があったのです。
電鉄廃止とともに駅の西出口は封鎖されたために、現在は
駅前広場だけが残っています。

花巻電鉄は、花巻と大沢温泉・鉛温泉方面を結ぶ路面電車
として出発し、1925年には、花巻温泉の開業に伴って
花巻温泉線(こちらは独立軌道)が開通しました。



∇ 画像と参考記事⇒:花巻電鉄

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【44】電 車


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜【77】宗教風の恋


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.6.6













藤沢町天満宮 
境内
「西公園」の中央にあって、「天神さん」と
呼ばれて親しまれていた。

このあたりは、賢治が小学生のころよく遊んだ場所であり、
すぐ下には、水遊びをした「さいかち淵」と豊沢川の河原があり、
西隣りは、中学の同級生・阿部孝の家である鼬幣稲荷神社、
そして、その上の高台に、のちに賢治の勤務先の農学校が
移転して来ることになる。




「この一帯は通称『西公園』と呼ばれ、夏には宵宮祭が催され、また花巻農学校の生徒達の通り道でもあった。石段を下りきって当たる道路を東に 50メートルほど進んだ所には旧花巻電鉄の西公園駅があった。

 現在の社は元のお社の老朽化に伴い建替られたもので、規模は半分以下である。また、建っていた場所も現在地より北側の、今は個人住宅のあるところだったし、石の亀が顔を出している『稗貫菅公廟碑』も、元のお社の北側を通っている鼬幣稲荷神社の参道沿いにあった。」

現地案内板より。






「青ざめた薄明穹の水底に少しばかりの星がまたたき出し、胡桃や桑の木は薄くらがりにそっと手をあげごく曖昧に祈ってゐる。

 杜の杉にはふくろふの滑らかさ、昆布の黒びかり、しづかにしづかに溶け込んで行く。



 どうだ。空一杯の星。けれども西にはまだたそがれが殘ってゐてまるで沼の水あかりだ。

 『やっぱり袴をはいて行くのかな。』
 『袴どころぢゃないさ。紋付を着てキチンとやって出て行くのがあたりまへだ。』

 それご覽なさい。かすかな心の安らかさと親しさとが夜の底から昇るでせう。



 西の山脈が非常に低く見える。その山脈はしづかな家におもはれる。中へ行って座りたい。

     
〔…〕


 この路は昔温泉へ通ったのだ。

 いまは何條かの草が生え星あかりの下をしづかに煙草のけむりのやうに流れる。杜が右手の崖の下から立ってゐる。いつかぐるっとまはって來たな。

 『うんさうだ。だましてそっと毒を呑ませて女だけ殺したのだ。』



 この邊に天神さんの碑があった。あの石の龜が碑の下から顏を出してゐるやつだ。もう通りこしたかもしれない。

 ふう、すばるがずうっと西に落ちた。ラジュウムの雁、化石させられた燐光の雁。

 停車場の灯が明滅する。ならんで光って何かの寄宿舍の窓のやうだ。あすこの舍監にならうかな。

 『あしたの朝は早いだらう。』
 『七時だよ。』

 まるっきり秋のきもちだ。」

宮沢賢治『ラジュウムの雁』より。



 『ラジュウムの雁』は、賢治の盛岡中学校での同級生・阿部孝が、ひさしぶりに帰省したので再会した時のやりとりを書いた散文詩風のエッセイ。阿部は鼬幣稲荷神社の社主の子で、当時、東京帝国大学在学中でした。

 二人は阿部の実家を出て、西公園をぐるっとひとまわり散歩しています。

 「停車場」は、天満宮のすぐ下にあった花巻電鉄「西公園」駅。

 その後賢治の就職した農学校が、このわずか4年後には、西公園に移転してきて、そこに寄宿舎もでき、賢治はほとんど毎日宿直するようになるのですから、人の縁とはふしぎなものです。



∇ 参考記事(東京での宮沢賢治と阿部孝)⇒:
トキーオ(10) 谷中茶屋町







藤沢町天満宮 
稗貫管公廟碑
享和元年(1801)7月11日建立。

「天満宮」または「天神さん」とは、菅原道真を
祭神とする神社ですから、「管公廟」は天満宮と
ほぼイコール。この石碑には、もと「郡之花牧」
(花巻城?)にあった管公の祠が、ここ石神村に
移された経緯などが漢文で記されています。





藤沢町天満宮 
稗貫管公廟碑
碑の足元の拡大



 『ラジュウムの雁』に出てくる「石の亀が碑の下から顏を出してゐる」「天神さんの碑」とは、‥ギトンはてっきり、↓下のリンク先のような亀趺碑を想像していたのですが、こんなかわいい亀さんだったとは。。。



∇ 参考記事⇒:石の亀





 むかしわたくしはこの学校のなかったとき
 その森の下の神主の子で
 大学を終へたばかりの友だちと
 春のいまごろこゝをあるいて居りました
 そのとき青い燐光の菓子でこしらえた雁は
 西にかかって居りましたし
 みちはくさぼといっしょにけむり
 友だちのたばこのけむりもながれました

 わたくしは遠い停車場の一れつのあかりをのぞみ
 それが一つの巨きな建物のやうに見えますことから
 その建物の舎監にならうと云ひました
 そしてまもなくこの学校がたち
 わたくしはそのがらんとした巨きな寄宿舎の
 舎監に任命されました
 恋人が雪の夜何べんも
 黒いマントをかついで男のふうをして
 わたくしをたづねてまゐりました
 そしてもう何もかもすぎてしまったのです

   ごらんなさい
   遊園地の電燈が
   天にのぼって行くのです
   のぼれない灯が
   あすこでかなしく漂ふのです

『詩ノート』#1057,-.5.7.〔古びた水いろの薄明穹のなかに〕より。












「さいかち淵」跡の碑 


この場所は低位段丘の上ですから、じっさいに
「さいかち淵」があったのは、もっと豊沢川岸に
近いほうでしょうか?
現在では、すっかり埋め立てられていて、淵が
あった場所をつきとめるのも容易ではありません。



 「さいかち淵」は、豊沢川の旧河道にできた沼地で、鋭いとげのあるサイカチの木が多いことから、こう呼ばれていました。

 ここは、賢治が子供のころ、よく遊んだ場所だったそうです。また、おとなになってからも、しばしばやってきては、子どもたちと遊んでいたと言います。「さいかち淵」で、草花や石の名前を教えてくれる“変なおとな”が、じつは農学校の先生だとわかると、入学を希望する小学生が増えたとか。。。


∇ 画像はこちら(サイカチ)⇒:ななこ






 ↓童話習作『さいかち淵』は、『風の又三郎』の下敷きになった先駆作品の一つで、下に引用した部分は、『風の又三郎』のクライマックスである渓川での嵐の場面のもとになっています。



「ぼくらは、蝉が雨のやうに鳴いてゐるいつもの松林を通って、それから、祭のときの瓦斯
(ガス)のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵(ぶち)に行った。今日なら、もうほんたうに立派な雲の峰が、東でむくむく盛りあがり、みみづくの頭の形をした鳥(てう)ヶ森も、ぎらぎら青く光って見えた。しゅっこが、あんまり急いで行くもんだから、小さな子どもらは、追ひつくために、まるで半分馳けた。みんな急いで着物をぬいで、淵の岸に立つと、しゅっこが云った。

 『ちゃんと一列にならべ。いいか。魚浮いて来たら、泳いで行ってとれ。とった位与
(や)るぞ。いいか。』

 小さなこどもらは、よろこんで顔を赤くして、押しあったりしながら、ぞろっと淵を囲んだ。ぺ吉だの三四人は、もう泳いで、さいかちの木の下まで行って待ってゐた。

     
〔…〕

 ところが、そのときはもう、そらがいっぱいの黒い雲で、楊も変に白っぽくなり、蝉ががあがあ鳴いてゐて、そこらはなんとも云はれない、恐ろしい景色にかはってゐた。

 そのうちに、いきなり林の上のあたりで、雷が鳴り出した。と思ふと、まるで山つなみのやうな音がして、一ぺんに夕立がやって来た。風までひゅうひゅう吹きだした。淵の水には、大きなぶちぶちがたくさんできて、水だか石だかわからなくなってしまった。河原にあがった子どもらは、着物をかかへて、みんなねむの木の下へ遁げこんだ。ぼくも木からおりて、しゅっこといっしょに、向ふの河原へ泳ぎだした。そのとき、あのねむの木の方かどこか、烈しい雨のなかから、

 『雨はざあざあ ざっこざっこ、
  風はしゅうしゅう しゅっこしゅっこ。』

といふやうに叫んだものがあった。しゅっこは、泳ぎながら、まるであわてて、何かに足を引っぱられるやうにして遁げた。ぼくもじっさいこはかった。やうやく、みんなのゐるねむのはやしについたとき、しゅっこはがたがたふるへながら、

 『いま叫
(さか)んだのはおまへらだか。』ときいた。

 『そでない、そでない。』みんなは一しょに叫んだ。ぺ吉がまた一人出て来て、

 『そでない。』と云った。しゅっこは、気味悪さうに川のはうを見た。けれどもぼくは、みんなが叫んだのだとおもふ。」

さいかち淵』より。












花巻税務署 




 西公園から、賢治宅のある豊沢町へ戻る途中に、税務署の建物があります。

 宮沢賢治は、どぶろくの密造を摘発しようとする税務官吏と農民との虚々実々のかけひきに、とりわけ興味をそそられていたようで、口語詩「人首町」などに「税務署の濁密係り」を登場させているほか、密造酒捜査のサスペンス小説『税務署長の冒険』↓を書いています。

 この小説の舞台である「ユグチュユモト」村は、西公園のさらに西にある湯口村と湯本村をもじった地名ですし、「税務署長」が潜入する密造酒工場は、湯口村の円万寺山・江釣子山の山間部がモデルになっているようです。賢治が、農学校の行き帰りに税務署を目にしていたことが、着想を促したのはまちがえないでしょう。



〔…〕

 『署長さん、いや献杯、つゝしんで献杯仕
(つかまつ)ります。ハッハッハこの村の濁り酒はもう手に取るやうにわかってゐる、本当にか、さあ、本当ならいつでもやって来い。来るか、畜生、来て見やがれ。アッハッハ、失礼、署長さん署長さん、もう斯(か)うなったらいっそのこと無礼講にしませう。無礼講。おゝい、みんな無礼講だぞ、そもそもだ、濁密の害悪は国家も保証する、税務署も保証すると、ううぃ。献杯、いや献杯、』
 『もう沢山、』
 『遁げるのか、遁げる気か。ようし、ようし、その気なら許さんぞ。献杯、さあ献杯だ、おゝい貴様ぁ。』

 税務署長はもうすっかり酔ってゐました。シラトリ属も酔ってはゐました。けれども二人とも決して職業も忘れず又油断もしなかったのです。

 それでももうぐたぐたになって何もかもわからないといふふりをしてゐました。それにくらべたら村の方の人たちこそ却って本当に酔ってしまったのでした。そのうちに税務署長は少し酒の匂が変って来たのに気がつきました。たしかに今までの酒とはちがった酒が座をまはりはじめてゐました。署長は見ないふりをしながらよく気をつけて盃
(さかづき)を見ましたが少しも濁ってはゐませんでした。どうもをかしい。これは決してこゝらのどの酒屋でできる酒でもない、他県から来るのだってもう大ていはきまってゐる。どうもをかしいと斯う署長はひとりで考へました。〔…〕

 『どうも斯う高い税金のかかった酒を斯う多分に貰っちゃお気の毒だ。一つ内密でこの村だけ無税にしようかな。』
 『いや、ハッハッハ。ご冗談。』村会議員は少しあわてて台所の方へ引っ込んで行きました。

 『もう失礼しよう、おい君。』署長は立ちあがりました。

 『もうお帰りですか。まあまあ。』村長やみんなが立って留めようとしたときそこはもう商売で署長と白鳥属とはまるで忍術のやうに座敷から姿を消し台所にあった靴をつまんだと思ふともう二人の自転車は暗い田圃みちをときどき懐中電燈をぱっぱっとさせて一目散にハーナムキヤの町の方へ走ってゐたのです。

     
〔…〕

 次の日税務署長は役所へ出て自分の室
(へや)に入り出勤簿を検査しますとチリンチリンと卓上ベルを鳴らして給仕を呼び『デンドウイを呼べ。』とあごで云ひつけました。

 すぐ白服のデンドウイ属がいかにも敬虔に入って来ました。

 『まあ掛け給へ。』署長はやさしく云って話の口をきりました。
 『ユグチュユモトの村へ出張して呉れ給へ。』
 『は、』
 『変装して行って貰ひたいな。』

     
〔…〕

 『は、畏
(かしこ)まりました。』

 デンドウイ属はもう胸がわくわくしました。うまく見付けて帰って来よう。そしたら月給だってもうきっと三円はあがる、ひとつまるっきり探偵風にやってやらう。
〔…〕

税務署長の冒険』より。



∇ 本記事はこちら⇒:

【過去日記倉庫】2013年5月29日
(税務署長の冒険[1])

【過去日記倉庫】2013年5月30日
(税務署長の冒険[2])

【過去日記倉庫】2013年5月31日
(税務署長の冒険[3])

【過去日記倉庫】2013年6月3日
(税務署長の冒険[4])

【過去日記倉庫】2013年6月4日
(税務署長の冒険[5])

【過去日記倉庫】2013年6月5日
(税務署長の冒険[6])

【過去日記倉庫】2013年6月6日
(税務署長の冒険[7])

【過去日記倉庫】2013年6月7日
(税務署長の冒険[8])




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