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一本木野(4)




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焼走りと熔岩噴出口






 岩手山の北麓にまざまざと残る噴火の痕“焼走
(やけばし)り熔岩流”は、賢治作品にしばしば登場する“イーハトーブの原風景”のひとつです。







 われもまた
 白樺となりねぢれたる
 うでをささげてひたいのらなん。

      ※

 でこぼこの
 熔岩流にこしかけて
 かなしきことを
 うちいのるかな。

『歌稿B』,#303,304.




焼走り熔岩流 

第1噴出口から岩手山(東岩手火山)を仰瞰する。
山腹に散らばるダケカンバの疎林。

“焼走り”の熔岩を噴出した火口は、1932年の噴火で
岩手山の山腹にできた割れ目火口で、山腹の上部から
順に「第1噴出口」〜「第4噴出口」があります。




焼走り熔岩流

第1噴出口西の登山道から俯瞰。

画面下方の暗い半円は岩手山の影。
熔岩流は、その上部に見える灰色の
三角形。噴出口から溶岩が扇形に
広がって流れたようすがわかります。








 喪神のしろいかがみが
 薬師火口のいただきにかかり
 日かげになつた火山礫堆の中腹から
 畏るべくかなしむべき砕塊熔岩
(ブロツクレーバ)の黒
    
〔…〕

「鎔岩流」より。




焼走り熔岩流 
第1噴出口

200年以上前の噴出口と、そのへりのスコリア堆積が
ほとんどそのまま残っているのは奇跡的です。
この岩手山北側斜面は、しじゅう冷たい風が
吹きつけていて、植生が育たないためなのでしょうか?




焼走り熔岩流 
第2噴出口(スコリア丘)




∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 【86】鎔岩流









 七時雨
(ななしぐれ)の青い起伏は
 また心象のなかにも起伏し
 ひとむらのやなぎ木立は
 ボルガのきしのそのやなぎ

『春と修羅』「一本木野」より。




七時雨
(ななしぐれ)山 焼走り熔岩流・観察路から。

残念ながら性能の低いデジカメには、
シルエットにしか写りませんでした。
端正な峰が2つ並んだ双耳峰の姿は
岩手山北東麓のどこからでも見えます。



     
〔…〕
 まあパンをおあがりなさい
 いったいこゝを
 県か国かでなぜ公園にせんですかなあ
 えゝえ もちろん山も入れましてです
     
〔…〕

 さあパンをおあがりなさい
 向ふの山は七時雨
 陶器に描いた藍の絵ですな
 あいつがつまり背景です
 はははは

『春と修羅・第2集』#337,1925.5.11.「国立公園候補地に関する意見」〔下書稿(二)〕より。



 地平は雪と藍の松、     氷を着るは七時雨、
 ばらのむすめはくつろぎて、 けいとのまりをとりいでぬ。

『文語詩稿一百篇』「車中[二]」より。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 【85】一本木野

∇ 参考画像(焼走り,七時雨山)⇒:未来派だ(1)









 貞享四年のちいさな噴火から
 およそ二百三十五年のあひだに
 空気のなかの酸素や炭酸瓦斯
 これら清洌な試薬によつて
 どれくらゐの風化が行はれ
 どんな植物が生えたかを
 見やうとして私の来たのに対し
 それは恐ろしい二種の苔で答へた
 その白つぽい厚いすぎごけの
 表面がかさかさに乾いてゐるので
    
〔…〕

「鎔岩流」より。

(註) 貞享四年=1687年。この年の噴火説はないので、賢治の記憶違いか。なお、徳川綱吉が「生類憐みの令」を出した年。



 ↑宮沢賢治の時代には、熔岩流の上にはコケや地衣類以外の植物は生えていなかったようです。




焼走り熔岩流

回復しはじめた植生

賢治の時代から 100年近く経過した
現在では、一部の場所にはオオイタドリ
などの草が生え、アカマツも育ってきて
いますが、まだ熔岩流の大部分は
裸地のままです。



 どうですか この鎔岩流は
 殺風景なもんですなあ
 噴き出してから何年たつかは知りませんが
 かう日が照ると空気の渦がぐらぐらたって
 まるで大きな鍋ですな
 いたゞきの雪もあをあを煮えさうです
 まあパンをおあがりなさい
 いったいこゝをどういふわけで、
 国立公園候補地に
 みんなが運動せんですか
 いや可能性
 それは充分ありますよ
 もちろん山をぜんたいです
 うしろの方の火口湖 温泉 もちろんですな
 鞍掛山もむろんです
     
〔…〕

『春と修羅・第2集』#337,1925.5.11.「国立公園候補地に関する意見」〔下書稿(三)手入れ〕より。



 ところで、賢治を迎えた「恐ろしい二種の苔」は、今でも現地に行けば容易に観察することができます。つぎにそれをご覧にいれましょう。









    
〔…〕
 それは恐ろしい二種の苔で答へた
 その白つぽい厚いすぎごけの
 表面がかさかさに乾いてゐるので
 わたくしはまた麺麭ともかんがへ
 ちやうどひるの食事をもたないとこから
 ひじやうな饗応ともかんずるのだが

 (なぜならたべものといふものは
  それをみてよろこぶもので
  それからあとはたべるものだから)

 ここらでそんなかんがへは
 あんまり僭越かもしれない
 とにかくわたくしは荷物をおろし
 灰いろの苔に靴やからだを埋め
 一つの赤い苹果
(りんご)をたべる
    
〔…〕

「鎔岩流」より。



407
     フレスコ
1925.1.25. 


 岩手火山がほとんど白いプデングででき 裾は岱赭のからまつばやし
 それから白い負性の雪の展がりに 小松の黒い金米糖が
 いちめんばらばら散点する

    ……奥の方からとろがごろごろ鳴ってゐる
      わたしは軌道を避けてゐやう……

 凍った雲とまばゆくかすむ日の下で
 三つ森やまは雑木を泛べ 残りは変なブリキの紐で飾られる

    (あすこのまっ黒な鎔岩流の刻みの中で
     熱した風が黄いろの苹果と結婚した)
       
〔…〕

『春と修羅・第2集』#407,1925.1.25.「森林軌道」〔下書稿(二)〕より。




「足元のコケ状植物に注目してみて下さい。よくみると、灰白色のマットを形成しているのが解ります。ほとんどが蘚苔類に属するシモフリゴケと呼ばれる植物です。ハイイロキゴケという地衣類も混生しています。アカマツやオオイタドリが芽生えていませんか。

 熔岩流形成後 260年以上経た今でも、コケ類がほとんどを占めているのは不思議なことなのです。桜島や伊豆大島の熔岩流に比べて、遷移の進行速度が極めて遅いといわれています。」

現地案内板より。




焼走り熔岩流 
シモフリゴケ(蘚類)

これはコケ(蘚苔類)のなかま。
離れてみると真白ですが、近づいてよく見ると、
スギゴケに似たケバケバの多い形をしています。
淡緑色に見える部分もあります。




焼走り熔岩流 
ハイイロキゴケ(地衣類)

こちらは地衣類。
灰白色・樹枝状の菌体と、細かい粒をたくさん
つけたような外観が特徴。菌・緑藻・ラン藻
という3つの生物界に属する生物が共生している、
いわば共同アパートなのだそうです。



 現地で見たところでは、“焼走り”の熔岩の上に映えているマット状生物
(現在の生物分類では、シダより下等なものは植物に入れません)は、シモフリゴケとハイイロキゴケがほとんどです。地衣類のハイイロキゴケも、シモフリゴケに劣らずたくさん生えています。

 賢治が、「白つぽい厚いすぎごけの/表面がかさかさに乾いてゐる」と言っているのは、シモフリゴケのマットでしょう。スギゴケが干からびたのではなく、
(おそらく乾燥に耐えるための)堅い表皮を持った白いコケなのです。

 しかし賢治は、「恐ろしい二種の苔」とも言っており、ハイイロキゴケの存在にも
(地衣類という共生生物であることは知らなかったとしても)気づいていたことがわかります。



∇ 関連記事⇒:地衣類

∇ 本記事はこちら⇒:
『宮沢賢治の《いきいきとした現在》へ』第4章(iii)





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∇ 本記事はこちら⇒:
〜ギトンのあ〜いえばこーゆー記〜
【ミヤケンの地学】




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