雫 石(1)




ランキングヘ




雫石
(しずくいし)・春木場(はるきば)









雫石周辺(地図)



 田沢湖線は、盛岡と秋田県・大曲をつないでいますが、宮沢賢治の時代には、まだ工事と延伸が進行している状態でした。

 賢治が東京にいた 1921年6月に盛岡〜雫石間がまず開通し、翌年7月に雫石〜橋場間が延伸開業しました。平行して秋田県側でも、大曲から延伸が進みましたが、奥羽山脈をこえる区間は戦前ついに開通せず、雫石以西は、戦時中の鉄鋼需要のためにレールが取り払われるなどしました。

 撤去されたレールは、山田線の改修に使用されました。

 盛岡と釜石を結ぶ山田線は、戦争で海上輸送が困難となった釜石製鉄所の軍需物資――鉄鉱石・石炭及び鉄鋼――を運ぶため、昼夜兼行24時間体制で貨物列車を走らせていました。そのためレールが磨滅して危険状態となり、1944年3月には山田線列車転落事故が起きていたのです。

 盛岡から大曲までの田沢湖線が全通したのは、戦後20年以上たった1966年のことでした。









雫石町の市街地
七つ森・生森(おおもり)から望む。





雫石駅 
北側






「東がまばゆく白くなった。月は少しく興さめて緑の松の梢に高くかかる。

 みんなは七つ森の機嫌の悪い暁の脚まで来た。道が俄かに青々と曲る。その曲り角におれはまた空にうかぶ巨きな草穂
(くさぼ)を見るのだ。カアキイ色の一人の兵隊がいきなり向ふにあらはれて青い茂みの中にこゞむ。さうだ。あそこに湧水(わきみづ)があるのだ。

 雲が光って山山に垂れ冷たい奇麗な朝になった。長い長い雫石の宿に来た。犬が沢山吠え出した。けれどもみんなお互に争ってゐるのらしい。」
宮沢賢治『秋田街道』より



 1917年7月7日、同人誌《アザリア》創刊号の作品講評会に集まった同人10名のうち、小菅健吉、宮沢賢治、保阪嘉内、河本義行の4名は、会終了後「馬鹿旅行」と称して、秋田街道を雫石の先まで徹夜で歩きました。

 そのありさまは、賢治の散文『秋田街道』のほか、4名それぞれの道中短歌・俳句に記録され、《アザリア》第2輯に掲載されています。


∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 第0章【8】











雫石町中心部(中町) 
秋田街道



 山の緑に終夜歩みし夜が明くる

河本緑石(義行):遺句集『大山』より



 雫石は
 田舎の町なれば
 あけがたに
 通るわれらに犬が吠え渡る、

保阪嘉内:歌稿ノート『我は独り』より











葛根田川 
葛根田橋から上流を望む。



「葛根田
(かっこんだ)川の河原におりて行く。すぎなに露が一ぱいに置き美しくひらめいてゐる。新鮮な朝のすぎなに。

 いつかみんな睡ってゐたのだ。河本さんだけ起きてゐる。冷たい水を渉ってゐる。変に青く堅さうなからだをはだかになって体操をやってゐる。

 睡ってゐる人の枕もとに大きな石をどしりどしりと投げつける。安山岩の柱状節理、安山岩の板状節理。水に落ちてはつめたい波を立てうつろな音をあげ、目を覚ました、目を覚ました。低い銀の雲の下で愕いてよろよろしてゐる。それから怒ってゐる。今度はにがわらひをしてゐる。銀色の雲の下。」
宮沢賢治『秋田街道』より






       ※

 葛根田
 谷の上なる夕ぞらに
 うかびいでたる
 あかきひとつぼし。

       ※

 葛根田
 薄明穹のいたゞきに
 ひかりいでたる
 あかきひとつぼし。

宮沢賢治『歌稿B』#520,521.



 ↑この短歌2首も高等農林在学中のものですが、詠んだ場所は不明です。「谷」とあるところをみると、雫石よりもっと上流の網張あたりかもしれません。

 日没後、先に暗くなる東方の空だとすれば、「いただき」は岩手山でしょう。




岩手山の頂き 
葛根田橋付近から









「帰りみち、ひでり雨が降りまたかゞやかに霽
(は)れる。そのかゞやく雲の原

       今日こそ飛んであの雲を踏め。」
宮沢賢治『秋田街道』より




春木場
(はるきば) 雫石川の河原
遠方の山々は紫波山塊。




「虹がたってゐる。虹の脚にも月見草が咲き又こゝらにもそのバタの花。一つぶ二つぶひでりあめがきらめき、去年の堅い褐色のすがれに落ちる。

 すっかり晴れて暑くなった。雫石の石垣は烈しい草のいきれの中にぐらりぐらりとゆらいでゐる。その中でうとうとする。

 遠くの楊の中の白雲でくゎくこうが啼いた。

 『あの鳥はゆふべ一晩なき通しだな。』

 『うんうん鳴いてゐた。』誰かが云ってゐる。」

宮沢賢治『秋田街道』より



 川べりの
 石垣のまひるまどろめば
 夜よりの鳥なほ啼きやまず。

 あをあをと
 やなぎはたかし
 まどろめば
 夜よりの鳥
 なほ啼きやまず

       ※

 川べりの
 まひるをゆらぐ石垣の
 まどろみに入りて
 鳥またなけり。

宮沢賢治『歌稿B』#543,543a544,544.



 あけがたの
 河原に睡るわれらなれば
 大空の虹と、百姓が、
 わらふ

保阪嘉内:歌稿ノート『我は独り』より



 「帰りみち」とあるので、賢治たちが下りた「雫石の石垣」(雫石川の「川べり」)は、現在は御所湖の底に沈んでいる場所かもしれません。

 上に写真を出した春木場河原は、やや上流ですが、水没以前の雫石付近の河原の様子をしのぶことができます。




.
しおり
記事一覧を見る

ギトンの人気記事

  • 南昌山と毒ヶ森(3)
    投稿日時:2018-11-24 23:25:02
  • 札 幌 (4)
    投稿日時:2018-11-03 18:30:03
  • ハームキヤ(17)
    投稿日時:2018-08-06 04:18:09

おすすめトピックス

カテゴリーランキング

趣味全般カテゴリーの人気記事ランキング

ピックアップブログ
新着おすすめブログ