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モリーオ(6)




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盛岡市内の宮沢賢治関係箇所



「モリーオ」とは、賢治語wで、盛岡のことです。






岩山、高洞山










盛岡市街 
岩山から俯瞰。



 岩山は、盛岡市の東郊にある丘で、石川啄木がしばしば散策した場所として知られています。現在は、動物園などがあります。

 賢治も、短歌には何度か岩山を詠みこんでいます。




 ホーゲーと焼かれたるまゝ岩山は青竹いろの夏となりけり

    ※

 冬となりて梢
(うれ)みな黝〔くろ〕む丘の辺に
 夕陽をあびて白き家建てり。


 雲くらく東に畳み
 岩山の
 三角標も見えわかぬなり

    ※

 瞑すれば灰いろの家丘に立てり
 さてもさびしき丘に木もなく。

宮沢賢治『歌稿B』#0k1,4,4a5,19.



 ↑最初の歌は 盛岡中学に入学した 1909年のもの。前年9月に皇太子(のちの大正天皇)が盛岡を来訪した際、岩山の斜面に、「ホーゲー(奉迎)」というカタカナを、かがり火で大文字焼のように出した痕が、翌年まで残っていたわけです。

 「ホーゲー」の語呂からしても、歌全体の調子からしても、皇室に対する尊崇よりは、皇室崇拝に対する反発が感じられます。

 2つめ以降の「丘」も、岩山のようです。1911年ころ。「三角標」は、地形図作成の三角測量で、三角点が遠くから見えるように立てた櫓。『銀河鉄道の夜』で、宇宙の星ごとに立っている「三角標」とは、これのことです。

 夕陽に白く光っていた家も、目を閉じた想念の中では「灰いろ」にしずみ、樹木もないさびしい荒れ野にぽつんと立っています。中学生賢治の暗澹とした内面がうかがわれますね。




岩山 
マリオス20階から。










盛岡測候所
(現・盛岡地方気象台)
岩山の麓にあります。1923年9月「岩手県盛岡測候所」として業務開始。
宮沢賢治の盛岡在学時代には、まだありませんでした。



    月天子


 私はこどものときから
 いろいろな雑誌や新聞で
 幾つもの月の写真を見た
 その表面はでこぼこの火口で覆はれ
 またそこに日が射してゐるのもはっきり見た
 后そこが大へんつめたいこと
 空気のないことなども習った

    
〔…〕

 最后に稲作の気候のことで知り合ひになった
 盛岡測候所の私の友だちは
 ――ミリ径の小さな望遠鏡で
 その天体を見せてくれた
 亦その軌道や運転が
 簡単な公式に従ふことを教へてくれた
 しかもおゝ
 わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
 遂に何等の障りもない

    
〔…〕


 しかればわたくしが月を月天子と称するとも
 これは単なる擬人でない

「月天子」 『雨ニモマケズ』手帳より。 










高洞
(たかほら)山 岩山頂上付近から望む。
高洞山は、盛岡市の北東約6km,標高522mで、
山地の突端にあたります。



    ※

 夕ひ降る
 高洞山のやけ痕を
 誰かひそかに
 哂ふものあり。

    ※

 黒みねを
 はげしき雲の往くときは
 こゝろ
 はやくもみねを越えつつ。

    ※

 燃えそめし
 アークライトの下に来て
 黒雲翔ける夏山を見る


 燃えそめし
 アークライトは
 黒雲の
 高洞山を
 むかひ立ちたり

    ※

 黒みねを
 わが飛び行けば銀雲の
 ひかりけはしくながれ寄るかな。

宮沢賢治『歌稿B』#496,654,655,655a656.656. 



 2つめ・3つめの歌の「アークライト」は、岩手公園(盛岡城跡)のアーク燈です。夕刻の岩手公園から、やや遠くの山に垂れ込めた雲を見ています。 

 
 現在では、盛岡城跡の周りにも高いビルが立ち並んでしまっているので、高洞山も、ビルの上に頭の先だけが見える状態です↓




高洞山 
岩手公園(盛岡城跡)から。







 


石川啄木歌碑 
岩手公園。



 不来方の お城の草に寝ころびて
 空に吸はれし
 十五の心 
啄 木  


 少年時代の石川啄木が学校の窓から逃げ出して来て、文学書、哲学書を読み、昼寝の夢を結んだ不来方
(こずかた)二の丸がこの地だった。その当時盛岡中学は内丸通りに在り、岩手公園(盛岡城跡)とは200メートルと離れていなかった。

 
〔…〕かつては、ここから岩手山を遠望することができ、盛岡市内も見おろせる風光の地であった。

 歌碑の文字は、啄木の恩友金田一京助博士の書である。

歌碑裏面の説明文 

※ 盛岡の地は、江戸時代初めに南部利直が築城するまでは「不来方(こずかた)」と呼ばれており、利直が築城を機に地名を「盛岡」に改めたものです。そのため、明治以後も地元ではしばしば、この城跡を「不来方城」と呼んでいました。






シデコブシ 
岩手公園



 サンタ、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。

 天に飛びたつ銀の鳩。

 セント、マグノリア、
 枝にいっぱいひかるはなんぞ。

 天からおりた天の鳩。

宮沢賢治『マグノリアの木』より。 



 「不来方」の城あとは、啄木にとっても、賢治にとっても、石垣の土手の上に登って広い空を見上げ、それぞれの夢を結ぶ場所であったのです……








飯岡山 
盛岡市下太田から。

飯岡山(白い矢印の低い山)は、盛岡市の南にあって、紫波山塊
(写真右から、箱ヶ森,赤林山,南昌山)の手前に盛り上がった
姿が印象的です。かつて沿線の建物が少なかった時代には、
東北本線で盛岡に到着する際、あるいは盛岡を出て仙台方面へ
向かう際に、よく見えたといいます。



    ※

 北面のみ
 うす雪置きて七つ森
 はるかに送る
 わかれのことば。

    ※

 ひややかに
 雲うちむすび 七つ森
 はや飯岡の山かげとなる。

宮沢賢治『歌稿B』#742,743


 ↑おそらく、盛岡から花巻へ向かう列車から見たけしきでしょう。

 雫石川の奥に見える七つ森が、列車の進行とともに飯岡山の陰に隠れるようすを詠っています。




 栗の木花さき
 稲田いちめん青く平らな
 イーハトーヴの七月である

    洞のやうな眼して
    風を見つめるもの……

 はんのきと萓の群落
 さわやかによしは刈られて
 今年も燃えるアイリスの花
 またわづかにひかる あざみの花
 幾重の山なみに雲たゝなびき
 月見草の花瓣萎む

    そのひとみのいろ灰いろにしてつゝましく
    短く刈られて赤いひげと
    風にやつれたおももちは
    更に二聯の
    精神作用を伴へば
    聖者の像ともなる顔である

 飯岡山の肩ひらけ
 そこから青じろい西の天うかび立つ

『詩ノート』より #1080,1927.7.7.


 ↑こちらは逆に、汽車に乗って盛岡に近づいてゆく風景ではないでしょうか?「飯岡山の肩」が開けて、小岩井、七つ森方面の西の空が広がってくる状況です。

 「洞のやうな眼して/風を見つめるもの」「そのひとみのいろ灰いろにしてつゝましく/短く刈られて赤いひげと/風にやつれたおももち」とは、賢治の道連れなのか、偶然見かけた乗客なのか、わかりませんけれども、その愁いをふくんだ風貌に、強く心惹かれているようです。





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