ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

歩行スケッチの季節(3)




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小岩井農場






四ツ森牛舎 
☆3








 宮沢賢治の長詩「小岩井農場」の日付は、
5月21日。岩手山の裾野にある小岩井農場では、
ゴールデン・ウィークからが桜の咲く季節になります。



 詩のふるさとを訪ねてみました。





地図 小岩井農場 「まきば園」周辺










「上丸牛舎」裏手 
☆9

観光ルートからはずれたこのあたりには、
農場の作業車以外入って来ないので、
古い時代の小岩井農場のおもかげを知る
ことができます。伐採されたばかりの木材から
さすような樹脂の香りがただよってきます。



 荷馬車がたしか三台とまつてゐる
 生
(なま)な松の丸太がいつぱいにつまれ
 陽がいつかこつそりおりてきて
 あたらしいテレピン油の蒸気圧
 一台だけがあるいてゐる。

    
〔…〕

 この荷馬車にはひとがついてゐない
 馬は払ひ下げの立派なハツクニー
 脚のゆれるのは年老つたため

  (おい ヘングスト しつかりしろよ
   三日月みたいな眼つきをして
   おまけになみだがいつぱいで
   陰気にあたまを下げてゐられると
   おれはまつたくたまらないのだ
   威勢よく桃いろの舌をかみふつと鼻を鳴らせ)

 ぜんたい馬の眼のなかには複雑なレンズがあつて
 けしきやみんなへんにうるんでいびつにみえる……

『春と修羅』より 「小岩井農場・パート3」



 馬を挽く作業員たちが休んでいるあいだに、馬車のうち1台が、ひとりでに動き出してしまう。挽いている馬は年とったハックニー(儀礼用の馬車馬)で、まるでなにか高貴な人を乗せて颯爽と歩く夢を見ているふう‥ そんな奇妙なことがおきてもおかしくない、のんびりしたふんいきが感じられる農場のかつての一齣です。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.4.7〜

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.4.9〜









育牛部「上丸牛舎」 
☆7

中央に見えるレンガ造りのサイロは、
賢治の時代から使われているものです。



    青柳教諭を送る


 秋雨にしとゞにぬれて
 きよらかに頬瘠せ青み
 おもはざる軍
〔いくさ〕に行かん
 師はひとりおくり来ませり

 羊さへけふは群れゐず
 玉蜀黍
〔きみ〕つけし車も来ねば
 このみちの一すじ遠く
 雨はたゞ草をあらへり

    
〔…〕

 南なる雨のけぶりに
 うす赤きシレージの塔
 かすかにもうかび出づるは
 この原もはやなかばなれ

『文語詩未定稿』より〔下書稿(一)手入れ〕

※「シレージ」:サイレージ(silage)。サイロ(silo)で発酵させた草。飼料にする。




∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.6.24〜










長者館耕地 
☆7

小岩井農場の北の端にある耕地群ですが、
一枚一枚が広大で、かつては波うつ丘のような起伏に富んで
いました。しかし、それも現在では、1世紀にわたる耕作の結果、
平坦に均らされてしまったといいます。




長者館耕地 
☆7
現在、耕地の一部では観光用に
羊の放牧を行なっています。




 とびいろのはたけがゆるやかに傾斜して
 すきとほる雨のつぶに洗はれてゐる
 そのふもとに白い笠の農夫が立ち
 つくづくとそらのくもを見あげ
 こんどはゆつくりあるきだす

  (まるで行きつかれたたび人だ)

 汽車の時間をたづねてみやう

    
〔…〕

 さわやかだし顔も見えるから
 ここからはなしかけていゝ
 シヤツポをとれ(黒い羅沙もぬれ)
 このひとはもう五十ぐらゐだ

  (ちよつとお訊
(ぎ)ぎ申しあんす
   盛岡行ぎ汽車なん時だべす)

  (三時だたべが)

 ずゐぶん悲しい顔のひとだ

    
〔…〕

  (こやし入れだのすか
   堆肥ど過燐酸どすか)

  (あんさうす)

    
〔…〕

  (三時の次あ何時だべす)

  (五時だべが ゆぐ知らない)

 過燐酸石灰のヅツク袋
 水溶十九と書いてある
 学校のは十五%だ
 雨はふるしわたくしの黄いろな仕事着もぬれる 
〔…〕

『春と修羅』より 「小岩井農場・パート7」



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.7.1

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.7.11〜

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 3.7.16




 ↑長者館耕地で、賢治は、年とった農場員と会話しています。農場で使っている肥料の過リン酸石灰が19%のもので、花巻の賢治の農学校で使っている過リン酸石灰より濃度が高いことに、彼は注目しているのです。

 しかし、なぜ過リン酸石灰の濃度に、とりたてて関心を持ったのでしょうか?

 ギトンは、いろいろ調べてもよくわからなかったのですが、宮城一男さんの本を読んで、はっきりと解りました。これは、賢治がこの数年前に書いた卒業論文のテーマにかかわっていたのです:



「この賢治の卒論
〔『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』―――ギトン注〕について、吉田氏〔岩手大学農学部教授吉田稔氏―――ギトン注〕は、つぎのように評価されている。

 『
〔…〕現実の土壌から腐植質中の無機物質だけをとり出すことは不可能であるし、またそれだけを区別して考究することも至難の業である。賢治もその点の困難を十分に認めた上で、土壌から1パーセント塩酸で溶出するリン酸とカリウムを植物に有効とみなし、また土壌から4パーセントアンモニヤ水で腐植質と一緒に溶出するリン酸とカリウムを腐植質中にあったとみなすという前提を設けて研究を進めた。

  そして火山灰土壌においては1パーセント塩酸で溶出するリン酸が少ないにかかわらず、4パーセントアンモニア水で溶出するリン酸はその百倍以上もあることを指摘し、腐植質の中のリン酸は植物に無効であろうと推論している。

  限られた短い期間に行なわれた研究であるから、不備な点があるのは当然であるが、以上の実験結果は火山灰土壌の特徴をよく反映している。』」

宮城一男『宮沢賢治との旅』,津軽書房,1978,p.99.



 形式上、賢治の卒論の指導教官は、化学担当の古川教授
(「小岩井農場・パート1」に登場する「化学の古川さん」)でしたが、実質的には、学科主任の関豊太郎教授が指導していたと思われます。というのは、関教授は、日本の土壌学の草分けであり、とくに火山灰土壌を専門としていました。賢治が卒論研究をしていた前後には、関教授も火山灰土の改良について研究しており、石灰の施用の効果について講演などしています。

 いうまでもなく、リン酸、カリウム、窒素は、植物の3大必須栄養素ですが、これらは、単に土の中に含まれていればよいというものではありません。たとえば、水に溶けない化合物の形でいくら大量に含まれていても、植物は、それを吸収することができません。その土壌の条件のもとで“可給態”の養分だけが、植物にとって価値があるのです。

 火山灰土(黒ボク土)は強酸性土壌ですから、希塩酸で溶出しないリン酸分は、植物にとって無価値だと言えます。

 「腐植質」とは、土壌の表層にある“くろつち”の部分で、ふつうの土の場合には、この“くろつち”の層が厚いほど肥沃だと言われています。ところが、黒ボク土は、その名のとおり非常に厚い“くろつち”の表層を持っているのに、自然の状態ではまったく作物が育たない不毛の地なのです。

 賢治の卒論は、火山灰土のこの異常な性質の解明に向ったのでした。そして明らかになったことは、‥たしかに黒ボク土は3大栄養素を豊富に含んでいる。しかし、それらの大部分は“可給態”ではないのだ。とくに、リン酸は、“黒ボク”に含まれる総量のうち、たった1%が“可給態”であるにすぎない。

 それでは、火山灰土は、どうしたら作物の育つ土に改良できるのか?‥賢治の卒業論文を見ると、この結論のところでたいへん悩んでいるように見うけられます。ようやくのことで「至難の業」を乗り越え、学理として一応の結論は得た。しかし、それを実際の農業環境に適用するとなると、さらに大きな困難があるのです。

 腐植質中のリン酸がアンモニア水で溶出するのであれば、火山灰土に石灰やマグネシウムを施用して、酸性を中和してやれば、“可給態”が増えるのではないか?‥それはまず思いつくことでしょうけれども、いろいろと難しい問題がありそうです。まず、中性塩のリン酸カルシウム
(骨の主成分)は水に難溶性ですから、石灰の施用によって、かえって土中のリン酸がカルシウムと結合して溶出しなくなるかもしれません。といって、アルカリ性を強くすれば、アルカリ性が植物の生育を阻害することになります。(←これは、あくまでも初等化学の知識で考えた仮想です。じっさいには、リン酸は土壌中の粘土鉱物と強固に結合して難溶性となり、植物の根に吸収されなくなる。こちらのほうが重大な障害となります。)

 賢治の卒論では、最後に石灰の施用に対しては疑問を述べ、むしろ焼土を行なってはどうかと提案しています。しかし、焼土も、土壌改良の効果があがるほど行なうには、大量の労力と燃料を要することになって難しいかもしれません。

 1921年、東京に滞在中の賢治は、西ヶ原・農事試験場(のちの農業総合研究所)に移っていた関博士を何度か訪ねていますが、関氏の家族によると、そのたびに二人だけで何時間も話しこんでいたといいます。気難しい関博士には非常に珍しいことだったと言うのです。

 おそらく、賢治と関博士は、火山灰土への石灰施用の是非について、えんえんと議論していたのではないでしょうか?

 リン酸肥料として用いられる過リン酸石灰
(水溶性のリン酸二水素カルシウムと硫酸カルシウム[石膏]の混合物)は、弱アルカリ性で、リン酸が“可給態”になっています。火山灰土が大部分の小岩井農場で、過リン酸石灰の濃厚溶液を堆肥に混ぜて使用している事実に、賢治が目を惹かれないはずはなかったのです。農場が日々火山灰土の改良に取組むなかで、経験的に得られたヒントが、そこにはあるはずだからです。

 のちに、1931年、賢治は、肥料用の石灰岩抹を製造していた「東北砕石工場」に営業担当技師として就職した際にも、関博士に「可」か「不可」かを問い合わせる手紙を出しています。これは、就職先の経営者の人物等に関する問い合わせなどではなく、長年議論してきた石灰施用の是非について、――東北の農家に石灰を薦めることが、良いことなのか、悪いことなのか、最終的な結論を求めたのだと、ギトンは思います。

 関博士の回答は「可」であり、「小生の宿年の希望が実現しかゝったのを喜びます。」と付記されていました。




∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.2.37〜









乳業工場 
☆8
この工場は、戦後建てられたものです。
賢治の時代には、「上丸牛舎」の近くに加工所がありました。






“一本桜” 
☆10
有名な“小岩井農場の一本桜”は、かなり外れた場所にあります。
ソメイヨシノではなく、ヤマザクラ(オオヤマザクラ?)の
自然木のようで、5月3日にはまだツボミの状態でした。




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