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燧掘(かどほり)山と石ヶ森




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燧掘
(かどほり)山と石ヶ森







岩手山東南麓(地図)

岩手山の東南には、ゆるやかに
起伏する高原のあちこちに、小
さな丘が点在します。これらは
岩手山が噴出する以前にあった
古い火山の、いわば残骸です。






茄子焼山

農道の奥まで行くと、ようやく丘
らしきものが姿を現しました。

取り残された雑木林に、丘の起伏
が残っています。大部分が牧草地
として均されてしまい、「山」だ
ったおもかげは、いまではほとん
どありません。






沼森 
北西方から



       沼森

 山々はつどひて青き原をなすさてその上の丘のさびしさ

宮沢賢治『歌稿A』#338. 



 沼森、谷地山、燧掘山、大森、石ヶ森など、このへんの山々はみな、高原状の大地が北上川の平野部に向って落ちる突端のかどに位置しています。古い火山体からなる台地が端から浸食されてゆく過程で、火道
(噴火口にマグマが上がって行く割れ目、縦穴)に凝固したマグマなどの硬い岩石が削り残されて丘(岩頸)となり、そこで浸食が止まっている状態と見ることができます。

 これを下から見上げると、山々が「つどひ」集まって、その後ろに平らな高原状台地を背負っている形になります。平野部から見ると、高い険しい山々が集まって壁を作っているように見え、逆に高原の方から見ると、低い平べったい丘にしか見えません。

 ところが、沼森だけは、この“山々の集い”に参加しないで、ひとつだけ台地の上にポツンとあるように見えるのです。じつは、沼森の“がけ”は向こう側(柳沢側)にあるので、この南のほうからは見えないのですが、ともかく、沼森だけが皆と離れてポツンとあるような地形を、賢治は「さてその上の丘のさびしさ」と詠っています。






湯舟沢付近

湯舟沢は、沼森、谷地山方面から
平地に下りてくる谷間。



       ※ 湯船沢

 七月の森のしづまを
 月いろの
 わくらばみちにみだれふりしく。

       ※

 うちくらみ
 梢すかせばあまぐもの
 ひかりあやしくふれるわくらば

宮沢賢治『歌稿B』#334-335.






新鬼越
(おにごし)池と鬼古里山
賢治の時代には湿地だったが、現在は堤防が
築かれ、農業用水の貯留池になっている。



 鬼越の山の麓の谷川に瑪瑙のかけらひろひ来りぬ

宮沢賢治『歌稿B』#0ℓ1



「賢治の中学一年生のときの、かわいい短歌である。
〔…〕鉱物採集に夢中になっていたのであろう。実弟の清六氏のお話によると、賢治のおめあては、蛭石とのろぎ(滑石)とめのうと、そして貝化石だったという。」

宮城一男『宮沢賢治 地学と文学のはざま』,1977,玉川大学出版局,p.92.





燧掘
(かどほり)
新鬼越池の南側にある。



 燧掘山の地質は、宮城一男氏によると
(『宮沢賢治 地学と文学のはざま』,pp.92-95.)《新第三期中新世》の砂岩・泥岩層と、海底火山の噴出物に由来する流紋岩(石英粗面岩,リパライト)ですが、リパライト中の割れ目や晶洞に沈澱した含水質の石英(玉髄)、とくにメノウ(瑪瑙)が産出しました。メノウのかけらは、鬼越沢の川底でも拾うことができたそうです。

 また、燧掘山の砂岩層には貝の化石が豊富に含まれています。

 「燧掘山」という地名も、むかし火打ち石(燧石)を採ったことから名づけられたと言います。



「鬼越山
〔燧掘山に同じ。―――ギトン注〕は、賢治のふるさとだ――と私はおもう。〔…〕地学徒として、賢治をはぐくんだふるさとという意味である。〔…〕なんといっても、中学校の初期、つまり、地学徒としての芽生えの時代に、賢治をはぐくんだ第1の地は、日曜日ごとに、一人で、あるいは友人をさそって、気軽にでかけることができた、この盛岡市の郊外、鬼越山一帯であったことはうたがい得ない。」
宮城一男『宮沢賢治 地学と文学のはざま』,pp.91-92.


※ 「鬼越池」「鬼越山」「鬼越坂」の「鬼越」は、もとは「おにこり」と読んだようです。つまり「鬼古里」と同じ。現在、「鬼古里山」は新鬼越池の北側にある山を指しますが、もとは、現在の燧掘山が「おにこり山」と呼ばれていました。「鵜飼村(現 滝沢村鵜飼) …… 文政4年(1821)の領分産物書上(盛岡市中央公民館蔵)では鬼古里山より出る火石を特産とする。」「駒形神社 鬼越 おにこり 坂の南東に位置し、 …… 当社は初め鬼越坂付近に祀られ、鬼越 おにこり 蒼前とよばれた」(『日本歴史地名体系』第3巻『岩手県の地名』,1990,平凡社,p.449.)










石ヶ森 
鬼越蒼前神社付近から。



       ※ 石ヶ森

 こゝに立ちて誰か惑はん
 これはこれ岩頸なせる石英安山岩
(デーサイト)なり

宮沢賢治『歌稿B』#336.




「石ヶ森の方は硬くて瘠せて灰色の骨を露はし大森は黒く松をこめぜいたくさうに肥ってゐるが実はどっちも石英安山岩
(デサイト)だ。

 丘はうしろであつまって一つの平らをこしらへる。

 もう暮れ近く草がそよぎ防火線もさびしいのだ。地図をたよりもさびしいことだ。」

宮沢賢治『沼森』より






大森と石ヶ森
(右) 滝沢市・鵜飼小学校付近から。
左奥に岩手山が、うっすらと顔を出す。



       新網張

 まどろみにふつと入りくる丘の色海のごとくにさびしきもあり

 しろがねの夜明けの雲はなみよりもなほたよりなき野を被ひけり

宮沢賢治『歌稿A』#339,340. 




「沼森平といふものもなかなか広い草っ原だ。何でも早くまはって行って沼森のやつの脚にかゝりそれからぐるっと防火線沿ひ、帰って行って麓の引湯にぐったり今夜は寝てやるぞ。

      
〔…〕

 沼森がすぐ前に立ってゐる。やっぱりこれも岩頸だ。どうせ石英安山岩、いやに響くなこいつめは。いやにカンカン云ひやがる。とにかくこれは石ヶ森とは血統が非常に近いものなのだ。」

宮沢賢治『沼森』より



 地学用ハンマーで露頭の岩石をたたくカンカンという音が聞こえてくるようです。

 賢治が、「麓の引湯」「新網張温泉」と言っているのは、現在の滝沢市鵜飼に当時あった温泉場のようです。現在も、「新温泉」というバス停に地名が残っています。







∇ 本記事はこちら⇒:
『宮沢賢治のいきいきとした現在』第4章(iii)




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