ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

水仙月の四日




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『水仙月の四日』









(右から)小高倉山、高倉山、丸森、秋田駒ケ岳
姥屋敷から西方を望む。

高倉山は、岩手山南麓のどこでもたいへん
目立って見える山です。賢治短歌に詠まれ
ている「高倉山」は、鉛温泉にある同名の
山ではなく、こちらの高倉山ではないかと
ギトンは思っています。



「雪婆
(ゆきば)んごは、遠くへ出かけて居りました。

 猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。

 ひとりの子供が、赤い毛布
(けつと)にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。

 (そら、新聞紙
(しんぶんがみ)を尖つたかたちに巻いて、ふうふうと吹くと、炭からまるで青火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。)ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。

 お日さまは、空のずうつと遠くのすきとほつたつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚きなさいます。

 その光はまつすぐに四方に発射し、下の方に落ちて来ては、ひつそりした台地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏の板にしました。」

宮沢賢治『注文の多い料理店』「水仙月の四日」より





姥屋敷
(うばやしき)付近




「吹雪が、狂ったように真一文字に雪塵を巻き上げて吹き抜けていく。こんな光景が音を消した映画の画像のように静かに鮮明に浮ぶ。わたしは、いつも空想の中でみるこの情景がどこだったか、知っていた。

      
〔…〕

 もう何回か、何十回目の岩手山麓をさまよった折、わたしは小岩井農場のすぐ北に接している小さな部落、戸数にして十数戸か多くて20戸ぐらいの姥屋敷を訪れたことがあった。
〔…〕そして、『水仙月の四日』に登場する魔女としての主人公の一人<雪婆んご>の舞台は、この姥屋敷周辺を扱ったものであり、雪婆んごこそは、姥(ばば、老女)をヒントに生まれたものではあるまいか。この考えは、現地を踏んでみるまで気付かなかった。現地を見て初めて分ったのである。」

金子民雄『山と森の旅』,1978,れんが書房,pp.43-45.




姥屋敷集落
(遠景)




「姥屋敷は、周囲をずっと山に囲まれ、特に東と北西に山並が続く。
〔…〕雪が降ってあたり一面銀世界になると、岩手山の山襞はするどいのこぎりの歯のように光り、春のあの底ぬけの明るさも、夏の濃緑の森も、秋の黄金色の柏の樹林帯も、思い出の片鱗すら残していない。あるのは純白と、灰色と、時折みせる淡紫色と青の陰影だけである。四季を通じて冬ほどこの土地を単調な色彩に変えてしまうときはない。その単調さを破るのがブリザード=雪嵐だ。

      
〔…〕

 『水仙月の四日』に登場する、森や狼や老婆や少年たち、この組合せはドイツの森に似た小岩井農場の周辺に一切揃っていたのである。
〔…〕<雪狼>の狼は、小岩井と姥屋敷の中間にあった例の狼森という丘からヒントを受けた可能性が、きわめて強い。」

『山と森の旅』,pp.46-48.


∇ 狼森⇒:
狼森と笊森、盗森(1)



「雪が夜のうちに降って凍ると、表面はまるで粗糖
(ざらめ)のように硬くなって、歩くとさくさくと心地よい音を立てる。それは、ちょうど形をかえたカリメラのようなものでもあった。賢治は、カリメラと子供を、この硬い雪の表層からヒントを受けたのかもしれない。」

『山と森の旅』,p.48.




姥屋敷小中学校付近





「二疋の雪狼
(ゆきおいの)が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂ひ出すと、台地のはづれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまはりもするのです。

 『しゆ、あんまり行つていけないつたら。』雪狼のうしろから白熊の毛皮の三角帽子をあみだにかぶり、顔を苹果
(りんご)のやうにかがやかしながら、雪童子(ゆきわらす)がゆつくり歩いて来ました。

 雪狼どもは頭をふつてくるりとまはり、またまつ赤な舌を吐いて走りました。

 『カシオピイア、
  もう水仙が咲き出すぞ
  おまへのガラスの水車
(みづぐるま)
  きつきとまはせ。』

 雪童子はまつ青なそらを見あげて見えない星に叫びました。」

宮沢賢治『注文の多い料理店』「水仙月の四日」より






新鬼越池と燧掘山
(かどほりやま)
池は氷結していました。




くらかけ山 
新鬼越池付近から

このような冬の曇った日には、岩手山は
吹雪雲に厚くおおわれて見えず、おぼろ
なガス状の霧のなかに、くらかけ山の白
い雪の稜線だけが浮き出て見えます。

「たよりになるのは/くらかけつづきの
雪ばかり」と賢治が詠ったのは、こんな
けしきだったかもしれないと思いました。



 たよりになるのは
 くらかけつづきの雪ばかり
 野はらもはやしも
 ぽしやぽしやしたり黝
(くす)んだりして
 すこしもあてにならないので
 ほんたうにそんな酵母のふうの
 朧
(おぼ)ろなふぶきですけれども
 ほのかなのぞみを送るのは
 くらかけ山の雪ばかり

   (ひとつの古風な信仰です)

『春と修羅』「くらかけの雪」






「その裂くやうな吼えるやうな風の音の中から、

 『ひゆう、なにをぐづぐづしてゐるの。さあ降らすんだよ。降らすんだよ。ひゆうひゆうひゆう、ひゆひゆう、降らすんだよ、飛ばすんだよ、なにをぐづぐづしてゐるの。こんなに急がしいのにさ。ひゆう、ひゆう、向ふからさへわざと三人連れてきたぢやないか。さあ、降らすんだよ。ひゆう。』あやしい声がきこえてきました。

 雪童子はまるで電気にかかつたやうに飛びたちました。雪婆んごがやつてきたのです。

      
〔…〕

 そんなはげしい風や雪の声の間からすきとほるやうな泣声がちらつとまた聞えてきました。雪童子はまつすぐにそつちへかけて行きました。雪婆んごのふりみだした髪が、その顔に気みわるくさはりました。

 峠の雪の中に、赤い毛布をかぶつたさつきの子が、風にかこまれて、もう足を雪から抜けなくなつてよろよろ倒れ、雪に手をついて、起きあがらうとして泣いてゐたのです。

 『毛布をかぶつて、うつ向けになつておいで。毛布をかぶつて、うつむけになつておいで。ひゆう。』雪童子は走りながら叫びました。けれどもそれは子どもにはただ風の声ときこえ、そのかたちは眼に見えなかつたのです。

 『うつむけに倒れておいで。ひゆう。動いちやいけない。ぢきやむからけつとをかぶつて倒れておいで。』雪わらすはかけ戻りながら又叫びました。子どもはやつぱり起きあがらうとしてもがいてゐました。」



姥屋敷付近





 姥屋敷から盛岡方面へ下りる最短経路の峠道といえば、大沢坂
(おさざか)峠になります。たしかに、この路は起伏も多く険しいので、『水仙月の四日』の少年が遭難しかけた舞台には、ふさわしいかもしれません。大正時代の地形図には、七曲りにくねった峠越えの小径が記されています。




大沢坂峠路

姥屋敷のほうから山道をたどって越えよう
としましたが、雪が深くて断念せざるを得
ませんでした。地図によると、送電線鉄塔
(矢印)の立っている稜線が、大沢坂峠の
ある山並みです。





湯舟沢付近から滝沢・盛岡方面を望む。





∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.3.1〜

∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.2.1〜

∇ 初夏の姥屋敷⇒:
狼森と笊森、盗森(2)




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