ギトンの◇ギャるリ★ど☆タブろ◆

一本木野(1)




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一本木野






 「一本木野」といえば、童話『土神ときつね』の舞台として知られる岩手山東麓の原野です。








「一本木の野原の、北のはづれに、少し小高く盛りあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗な女の樺の木がありました。

     
〔…〕

 この木に二人の友達がありました。一人は丁度、五百歩ばかり離れたぐちゃぐちゃの谷地の中に住んでゐる土神で一人はいつも野原の南の方からやって来る茶いろの狐だったのです。

 樺の木はどちらかと云いへば狐の方がすきでした。」

宮沢賢治『土神ときつね』より。





一本木野(地図)





「盛岡から北へ、青森へ通じる大きな道が走っている。これが陸羽街道と呼ばれているものだ
〔国道4号線。奥州街道、奥羽街道ともいう。―――ギトン注〕。この道は盛岡から北へざっと10キロほど行った滝沢村あたりで三条に分岐し、一本は西へ折れて岩手山の登山道となり、いま一本はそのまま北上して津軽街道というものになる。〔…〕

 この街道の分岐点あたりから西側は、広い岩手山の山麓で、いまは大半が牧場になっており、ゆるい起伏が緑の毛氈を敷きつめたようにうねっている。街道沿いの太い樹木の並木ごしに見る光景は、いつ見てものどかで美しい。滝沢村の道の分岐点からさらに北へ4キロほどのところは、一本木と呼ばれ、街道に沿ってごく最近まで、古い東北の俤を残した家々が軒を並べる典型的な街道町だった。ところどころ大きな杉が繁り、、小さな道祖神を祀った祠があった。

 このあたりの原野は古くは一本木野と呼ばれ、貞享3年(1686)3月の岩手山噴火では、この辺一帯は火山灰降下で被害も大きかったという。しかし、ここでいままず思い出されるのは、恐らく賢治の童話『土神と狐』であろう。

     
〔…〕

 賢治は一本木の野原を歩き、その折りに見た樺の木や、土俗の神々の祠や、当時なら沢山いた野狐をモデルに、
〔…〕書いたのであろう。」

金子民雄『みちのくのメルヘン』,1984,そしえて,pp.22-23.






津軽街道(国道282号)
☆1
盛岡農業高校西門付近から北方を望む。左側が一本木野。
道の両側に、アカマツ・カラマツの風衝林がつづく。




一本木野と岩手山 
☆1
賢治の当時は原野だった一本木野も、農地開発の
進展と、火入れをしなくなったせいとで、雑木林
と耕地のモザイクに変貌しつつあります。
古い地形図にあった「荒地」のマークも、現在の
2万5千分の1では、みな「森林」のマークに変って
います。





 天椀の孔雀石にひそまり
 薬師岱赭のきびしくするどいもりあがり
 火口の雪は皺ごと刻み
 くらかけのびんかんな稜
〔かど〕
 青ぞらに星雲をあげる

『春と修羅』「一本木野」より。



 たしかに、こちらから眺める岩手山は、薬師岳(頂上火口の最高部)の「するどいもりあがり」が、よく見えます。

 「くらかけのびんかんな稜」と言っているように、くらかけ山の稜線も右にとがって見えます。しかし、この「びんかんなかど」は、もうすこし北の方角から見たほうが↓もっとよくわかります。




くらかけ山 
☆2
一本木郵便局付近から。



∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.11.10






岩手山と三ツ森 
☆3
近景の丘が「三ツ森」

たしかに、3つのピークが並んで見えます。
“焼走り熔岩流”は、その向こうにあります。



 あな期せざりき山裾の
 白樺たてるこの原は
 雪融
〔ゆきげ〕の水ぞいちめんに
 枯れ草をこそ浸したれ
 さあれ光にさゞめきて
 玉とあざむく水なれば
 なれがひねもすよもすがら
 はがねの針に綴りたる
 青くつ下もぬらしつゝ
 かの三つ森にわたり行き
 凍りて岩の砕かれし
 よき標本を求めなん

 はるかに望めばこの裾野
 たゞ黄金
〔きん〕いろに雪消えて
 あな期せず候ひし
 すでに春べと見えたるを

『文語詩稿一百篇』〔遠く琥珀のいろなして〕〔下書稿(一)手入れ〕




八幡平の山々 
☆3









好摩駅 
☆4
東北本線と花輪線が、ここで岐れています。




 (こんどは風が
  みんなのがやがやしたはなし声にきこえ
  うしろの遠い山の下からは
  好摩の冬の青ぞらから落ちてきたやうな
  すきとほつた大きなせきばらひがする
  これはサガレンの古くからの誰かだ)

『春と修羅』「鈴谷平原」より。




「好摩の冬の青ぞら」 
☆4



 ひろびろとした青空を期待して好摩に行ったのですが、ちょっと期待はずれでした。好摩、渋民のあたりは北上川の谷間なので、一本木野よりも空は狭いかんじがします。賢治はなぜ、一本木野ではなく好摩の冬の空を思い出したのか?

 けっきょく、ギトンなりに考えたのは: …賢治はこのサハリン(サガレン)旅行の時点では、まだ一本木野にはあまり行ったことがなく、鉄道で何度かとおっていた好摩のほうが印象に残っていた。そして、旅行から帰ったあと、サハリンの広い空がなつかしくなって、好摩〜一本木野あたりをさまようようになったのではないでしょうか。

 そのように考えてみると、『春と修羅』までの時期にお気に入りだった小岩井農場に替って、一本木野が、『春と修羅』以後の新たなフィールドとして登場しているのだと思います。





∇ 本記事はこちら⇒:
〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 7.8.13〜


∇ 次の記事⇒:一本木野(2)




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