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ハームキヤ(6)




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花巻市内の『春と修羅』関係箇所



「ハームキヤ」とは、賢治語wで、花巻のことです。








花巻市中心部:宮沢家周辺の寺社等








日蓮宗・身照寺 
入口
花巻農学校跡(現・ぎんどろ公園)の近くにあります。




日蓮宗・身照寺
 宮沢賢治墓所
左の五輪塔が宮沢賢治の墓、右が宮沢家の墓。
戦後、父・政次郎氏が改宗して、松庵寺から
骨壺を移しました。

東京の国柱会本部にある“宮沢賢治の墓”に
は、遺骨は入っていません。
つまり、そういう遺言は無かったわけで、こ
のことからも、賢治晩年の国柱会離れは明ら
かでしょう。


∇ 本記事はこちら⇒:ギトンのあ〜いえばこーゆー記:身照寺縁起――石橋湛山と宮沢家








鼬幣
(いたちっぺい)稲荷神社
賢治の中学同級生・阿部孝の実家でした。


∇ 参考記事はこちら⇒:『宮沢賢治のいきいきとした現在』:文語詩〔ほのあかり秋のあぎとは〕








浄土宗・松庵寺
豊沢町。賢治実家のすぐ裏手にあります。




浄土宗・松庵寺 
飢餓供養碑

↓下の文語詩「病技師」を見ても、江戸時代の飢餓救
済の事績に守株するような当時の松庵寺に、賢治は、
よいイメージをもっていなかったのかもしれません。



     病技師(一)

 こよひの闇はあたたかし、   風のなかにてなかんなど、
 ステッキひけりにせものの、  黒のステッキまたひけり。

 蝕む胸をまぎらひて、     こぼと鳴り行く水のはた、
 くらき炭素の燈
(ひ)に照りて、 飢饉(けかつ)供養の巨石(おほいし)(な)めり。

『文語詩稿一百篇』より








臨済宗・長久寺

この寺には、賢治はしばしば座禅をしに行っていました。








朝日橋

花巻から釜石に至る釜石街道が北上川を渡る鉄橋。
現在は、下流に新朝日橋ができて、こちらは旧道に
なっています。賢治は、しばしば夜中でも、このへ
んを散歩(徘徊?)していました。



 みなみ風なのに
 こんなにするどくはりがねを鳴らすのは
 どこかで空で
 氷のかけらをくぐって来たのにちがひない
 
   ※
 
 瀬川橋と朝日橋との間のどてで
 このあけがた
 ちぎれるばかりに叫んでいた、
 電信ばしら。

   ※

 風つめたくて
 北上も、とぎれとぎれに流れたり
 みなみぞら

『冬のスケッチ』(16)4.




 『冬のスケッチ』については、保阪嘉内への断ちがたい恋情をつづった習作詩であるという菅原千恵子氏の有力な解釈があり、ギトンも基本的にそう読まれるべきだと考えています。その線で言えば、↑上の「みなみ風」「みなみぞら」は、保阪のいる東京・山梨の方角を指し、「電信ばしら」と、風に叫ぶ電線は、二人のあいだの絆が遭遇する厳しさを象徴しています。

 また、上掲の文語詩「病技師(一)」も、『冬のスケッチ』の一部を改作したものです。

 なお詳しくは↓本記事で:




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∇ 本記事はこちら⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 1.7.5

∇ 本記事はこちら⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 0.8.1




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