風の谷(3)




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 フォッサ・マグナ(大地溝)の峡谷を、八ヶ岳颪しが吹き抜ける───北甲斐の地は、賢治の親友・保阪嘉内のふるさとです。




盛岡で宮澤賢治に出会うまで‥‥‥‥

故郷での嘉内の生い立ちをたどります。






甲 府





 本州を南北に横断する大地溝帯《フォッサ・マグナ》。

 保阪嘉内が20歳までを過ごしたのは、この大地溝帯のほぼ中央、釜無川・笛吹川が合流して富士川となる流域でした。







舞鶴城公園
(甲府城址)
本 丸
武田勝頼が韮崎に建てた新府城は、
武田氏が織田信長に滅ぼされたため、
使用されることもないまま廃墟となって
しまいました。その後、豊臣秀吉のもとで
甲斐府中城(甲府城、舞鶴城)が建築され、
こちらは明治維新まで残りましたが、
廃藩置県後しだいに解体され、現在残っているのは、
もとの城域20haのうち、内城の一部6haのみです。




   舞鶴城の土手に遊びてよめる

 我袖にかやふ春風、心地よく、
 かけろふもゆる、芝草のとて

保阪嘉内・歌稿ノート『懐中日記』(1914年)より




舞鶴城公園
 城郭南面
石垣の上が天主曲輪(くるわ)、下が鍛冶曲輪。

現在では、城址の石垣はきれいに復元され、
遊歩道が整備されているので、
「土手」と言えるような場所は見当たりません。
保阪が寝転んだ“芝草のどて”は、このような
(くるわ)の段斜面
だったでしょうか?






舞鶴城公園
 内濠



 嵐吹くお城の濠の蓮の葉のそよぐは秋のしるしなりけり

保阪嘉内・歌稿ノート『懐中日記』(1914年)より





 ところで、↑上の「芝草の土手」の歌を見たとき、ギトンは花巻城址の本丸の土手(⇒花巻城〔“本丸の土塁”参照〕)を思い出しました。というのは、宮沢賢治も、『春と修羅』(1924年)に、春のお城の土手に寝転ぶ詩を載せているからです:



 からだを草に投げだせば

 雲には白いとこも黒いとこもあつて

 みんなぎらぎら湧いてゐる

 帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ

 ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く

 あくびをすれば

 そらにも惡魔がでて來てひかる

  このかれくさはやはらかだ

  もう極上のクツションだ

    
〔…〕
宮澤賢治『心象スケツチ 春と修羅』「休息」


∇ 本記事はこちら⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜



 賢治の↑この心象スケッチが、嘉内の短歌、あるいは嘉内がかつて賢治に語ったであろう甲府中学での思い出話を意識していることは明らかです。「かげろう」も、賢治の詩や童話にしばしば現れます。

 じつは、ここだけではありません。

 賢治の『春と修羅』には、嘉内の生い立ちの体験や短歌に符合する箇所、嘉内への“語りかけ”や“あてこすり”を思わせる箇所が、満載されているのです。


 菅原千恵子さんは、かつて、


「賢治がこの詩集を出した願いはただ一つ、彼が言うように、『誰かに見て貰いたいと愚かにも考へた』
(森佐一宛手紙)ためだったのである。

 
〔…〕賢治はある特定の誰かに見てもらうためにこの詩集を出したのだ。そしてこのある特定の誰かだけが一読すればすべてを理解できる人であった。その誰かこそ賢治のただ一人の友保阪嘉内だったのだ。

 『春と修羅』が嘉内へ向けて送りつづけたメッセージであったと思われる節は、詩集の中に数多く見ることができる。『春と修羅』の中には二人だけで通じ合うことばや語彙のなんとたくさんあることか。」

菅原千恵子『宮沢賢治の青春』,1997,角川文庫,pp.160-161.


 と論じたのですが、彼女の議論は、他の研究者からは完全に黙殺されて今日に至っています。(ギトンの知る限り、“一人の読者のために出版することなど、ありえない”と一蹴した論文が1個あるきりです。)

 しかし、‥かりに百歩譲って、“嘉内にメッセージを送る”ことが詩集発行の目的ではなかったとしても、自分の見た“心象”を、客観的に、“ありのまま”に記録し、スケッチしようとすればするほど、賢治の思いは嘉内のほうへと向かってしまったのではないでしょうか?

 嘉内の語ったこと、嘉内と二人で体験したできごと、嘉内に対して感じたあれこれのことが、一見してそれとは判らないような姿で、賢治の“心象”の中に入り込んできたのではないでしょうか?


 いずれにせよ、菅原さんの本に書かれたさまざまな指摘は、今日でも、少しも価値を失っていないと、ギトンは考えています。継承されるべくして、なお継承されることなく、打ち捨てられた無尽の宝庫が、そこにあるのです。




        ☆        ☆




「嘉内が入学した山梨県立甲府中学校は、寛政年間に甲府城南の地に設置された甲府学問所を前身とする伝統ある学校である。
〔…〕

 その校舎や寄宿舎は、明治33年から昭和3年までは甲府城(舞鶴城)址内にあった。」

大明敦・他編著『心友 宮沢賢治と保阪嘉内』,2007,山梨ふるさと文庫,pp.22-23.






舞鶴城
 復元模型
稲荷櫓内の展示

保阪嘉内が在学した当時の甲府中学校は、
楽屋曲輪(赤丸の場所)にありました。



舞鶴城
 絵図(案内板)
江戸時代の絵図に、現在の道路・建物・鉄道線路
を書き加えたもの。
甲府中学校は、現在の山梨県庁舎の
場所(楽屋曲輪)にありました。



山梨県庁と舞鶴城

道路の左正面が県庁舎(甲府中学校・跡)、
右が舞鶴城公園(鍛冶曲輪門)。






「この甲府中学校
〔…〕の第14代校長として明治34年3月26日に着任したのが大島正健であり、大正3年8月31日までの長きにわたって校長の職にあった。

 大島は、
〔…〕明治9年に札幌農学校に第1期生として入学し、教頭の職にあったクラークの指導を受けた。クラークの遺訓である「Boys, be ambitious!」の言葉を「少年よ、大志を抱け」と訳したのは大島であり、この言葉は大島が甲府中学校を去ってからも同校の校是とされ、〔…〕

 大島が着任した当時の甲府中学校は生徒の気が荒く騒動が多い学校で、『普通の校長では収まるまいから、立派な人物を迎えたい』との加藤山梨県知事の要請で大島が招聘され、大島は

 『学校教育に官民がみだりに口出ししないことを約束するなら』

 との条件で引き受けたという。

    
〔…〕

 甲府中学校での大島は、まず校則として

 『Be gentleman!』

 とただ一言を示して瑣末な規則や心得は廃止した。

 また、生徒に対しては成績不振であれば知事の息子でも落第させるような分け隔てない立場で、しかも一人一人の人間として親身に接し、多くの逸話を残している。こうした大島の人柄は生徒を感化し、生徒たちも自ずから品行を正したという。

    
〔…〕

 札幌農学校でクラークの薫陶を受けてキリスト教徒となり、卒業後には札幌独立キリスト教会の牧師を務めた時期もあった大島正健の教えは、
〔小学校時代に韮崎でプロテスタント教会に親しんでいた嘉内には───ギトン注〕受け容れやすかったかも知れない。嘉内は甲府中学校在学中に、大島正健に私淑していた。〔…〕

 甲府中学校において、大島が具体的にどのようなことを述べたかは詳らかではないが、ある時は開拓精神を語り、ある時はキリスト教の教えに従って神や愛を説いたのかも知れない。

 しかし、嘉内の神観念はキリスト教のそれではない。
〔…〕嘉内は〔…〕天国にではなく地上に楽園の建設を夢見る。こうした嘉内の考え方には、トルストイの影響が強くうかがえる。」

「嘉内は、
〔…〕5年生に進級すると前年に発足した弁論会に入会した。〔…〕弁論会には校長の大島正健も生徒らの演説を聴きに顔を見せていた〔…〕

 嘉内の初めての弁論は」
校長も来臨する前で、『美的百姓』という題で行われた。そして、

 
『諸君、農業家は神聖であります。

  えせ文士、豪傑がり屋、自称哲学者のいづれよりもずっと勝って居ります。

  それ故に私は諸君が須らく美的百姓、農業家としてたたれんことをお願ひ致します。』


 と結んだ。

大明敦・他編著『心友 宮沢賢治と保阪嘉内』,pp.23-27,34-37.







甲府第一高等学校
 甲府市美咲2丁目
甲府中学校は、戦後は「甲府第一高等学校」と改名し、
現在は甲府駅の北側にあります。
校門前の掲示板に、
「自律 Be gentleman!」
という100年あまり前の大島校長の銘文が
掲げられているのを見て、胸が熱くなりました。




甲府第一高等学校

校舎玄関前にある大島校長の肖像と「Boys, be ambitious!」の碑



 ↑下部の漢詩は、大島正健が、クラーク退職の際に別れを惜しんで詠んだものだそうです:



   懐クラーク先生


 青年奮起立功名

 馬上遺言籠熱誠

 別路春寒島松駅

 一鞭直蹴雪泥行



〔   クラーク先生を懐ふ


 「青年奮起して功名を立てよ」

  馬上の遺言 熱誠を籠む

  別路の春寒し 島松駅

  一鞭 直ちに蹴る 雪泥の行〕





∇ 本記事はこちら⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜



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