比 叡(1)




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比叡山に宮沢賢治の足跡をたどります。






琵琶湖岸から日吉大社まで





 1921年4月初め、宮沢賢治は、父・政次郎に誘われて伊勢→比叡山→法隆寺という“巡礼の旅”をしています。

 浄土真宗・開明派に傾倒する宮澤一族の中で、賢治ひとりが日蓮宗を奉じて“反乱”を起こし、父に家族ぐるみの改宗を迫っていました。

 そんな“宗教論争”中の父子は、浄土真宗の親鸞と、日蓮とが、共に学んだ天台宗の比叡山を訪ね、さらに日本人として初めて『法華経』を研究した聖徳太子のゆかりの寺に参拝し、各々の信仰の“共通の淵源”に溯行することにより、対話と和解の糸口を見いだそうとする探求の旅なのでした。





〔…〕昼頃大津駅に下車し、琵琶湖を坂本かよいの乗合汽船に乗りました。船中で食事をし、船は二時間ほどかかったようで、午後一時頃坂本に着きました。

 この日のうちに、京都には入る予定であったのに昼を過ぎたことですから、幸いに坂本からはそんなに坂もけわしくなかったので、急いで登りました。

 根本中堂下の坂は、余り長くはなかったのですが、そこの坂だけはかなりの急坂だったので、二人は春の汗を額にしながら午後三時頃根本中堂に着きました。

 賢治さんは、花崗岩の腐蝕した白とごまとの砂地の庭を清浄に思い大変なつかしみました。

 根本中堂に参じ大講堂を拝しました。信仰に燃える賢治さんは参詣人もなく、研学の僧もない、静かな講堂を見て内心甚しく憤懣でありました。

  
〔…〕

 そして心からなる祈を捧げました。」

(佐藤隆房『宮澤賢治』,第5版(改訂増補版),1970,冨山房,pp.70-71.)






 “韋駄天”宮澤父子の歩いた推定経路を、できるだけ速いスピードで踏査して、腕比べ───いや、脚比べ‥‥がギトンの旅の目的なのですがw‥

 彼らが『湖南汽船』から下船した「坂本港(下坂本港)」の正確な位置が分かりません。


 しかし、湖西線・比叡山坂本駅から、表参道を逆向きに下りて行くと、琵琶湖岸にぶつかった場所に、小さな漁港がありました。とりあえず、このへんが「下坂本港」だろうと当りをつけて、今回の起点とします:





地図@(比叡山東南面)




下坂本港?
 比叡辻・若宮神社の琵琶湖岸(大津漁協前)




 道路脇の案内板によると、ここは日吉大社の参道が西近江路と交差する場所で、平安末〜室町時代には馬借
(ばしゃく)・車借が集住する交通の要衝として“比叡辻”と呼ばれたそうです。

 また、ここは日吉大社・表参道の末端ですから、現在も、毎年4月の山王祭には、湖上を渡って来た“船渡御
(ふなとぎょ)”の神輿(みこし)が、ここから上陸して真っ直ぐに大社へ上がって行くそうです。




比叡への路
 比叡辻付近

このへんには、まだ古い町並みが残っていますね。
宮澤父子も、この路を真っ直ぐに、
正面の比叡山を目指して突き進んで行ったはず...




比叡への路
 日吉大社参道 下坂本6丁目

車で突っ走ったら、ミヤケン追っかけファンの名がすたりますw
山はまだ遠いが、歩け歩け!




比叡への路
 日吉大社参道 京阪坂本駅付近




日吉大社参道
 京阪坂本駅付近から琵琶湖岸を振り返る。

後ろを振り返って見れば‥、もうこんなに上がって来ました。
湖岸からここまで、約20分。





日吉大社前

右が日吉大社、左が延暦寺。。。




延暦寺・本坂参道入口
 比叡山高校前

日吉大社参道(右方画面外)と分かれて、
ここから比叡山の参道が始まります。


 しかし‥、延暦寺の表参道だというのに、道標が全く有りません。

 この入口は、見過ごしてしまいそうです。。。


 この後も、山頂(東塔)まで道標は一切無し!‥不親切なのか?それとも、道に迷うのも修行のうち‥ということなのか?‥不信心者は、あきらめてケーブルカーに乗れ!!‥?





∇ 本記事はこちら:
ギトンのあ〜いえばこーゆー記 ∇

旅程ミステリー:東海篇(2) 東海篇(3)





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