伊勢湾を越えて(5)




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伊勢・三河で宮沢賢治の足跡をたどります。



伊良湖岬





1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人達と伊勢・東海を旅しました。







地図(伊勢湾)




 賢治たちの乗った船は、知多半島の先端・師崎から、篠島に寄って、渥美半島側に移ります。

 次の寄港地・福江は、渥美半島の先端・伊良湖岬のすぐ裏手にある漁港です。中央構造線は、伊良湖岬と福江漁港の間を走っていますから、伊良湖岬は、構造線南側の《三波川変成帯》になるはずです。




伊良湖岬灯台
 伊勢・鳥羽方面を望む。
左端は、神島。




      ※

 そらはれて

 くらげはうかび

 わが船の

 渥美をさしてうれひ行くかな。


      ※

 明滅の

 海のきらめき しろき夢

 知多のみさきを船はめぐりて。


      ※

 蒼溟
(あおうみ)

 ひかりはとはに明滅し

 ふねはまひるの

 知多をはなるる。

(『歌稿B』#261-263)





伊良湖岬
 知多半島・内海〜豊浜を望む。




伊良湖岬
 寄せる波頭




伊良湖岬
 恋路ヶ浜(手前)と日出(ひい)の石門





島崎藤村の歌碑
 『椰子の実』
 “日出の石門”の上(崖の上)にあります。
珍しい楽譜付き歌碑も立っていますが、写真は割愛





“日出の石門”付近の露頭
 褶曲と断層

断層の向きはいろいろで、かなり複雑です。
全体が断層破砕帯
(断層の動いた衝撃と摩擦で、
両側の岩石が粉砕されている部分)

と言ってよいのかもしれません。
平行に並んだ細かいヒビ割れが、
ゆるやかに波打っています。




“日出の石門”付近の露頭

断層で岩石が破砕されて弱くなった場所が、
海水に浸食されて、洞門や洞窟が形成されて
いるそうです
(現地の説明板による。)




 “日出の石門”も、↑これらの崖の岩石も、みなチャートを主とする堆積層です。

 チャートは、放散虫(珪酸 SiO2 質の殻をもつプランクトン)の死骸が深海底で堆積した岩石で、微細な石英の粒がしっかり固まってできています。堆積岩ですが、たいへん硬いのです。

 チャートが堆積するのは、熱帯の大洋で、日本列島にはプレートが運んで来て、“沈み込み帯”で陸地に付加したものです。

 ↑この場所のチャートは、《秩父帯》に属しているそうです。‥ということは、中央構造線から2kmと離れていないのに、ここはもう《秩父帯》なのです。ここでは、《三波川帯》は非常に細くなっているようです。


 じつは、このすぐ近くに、“日本の地質百選”に選ばれた「秩父帯チャートの褶曲」露頭があるのですが、残念ながらそこまでは踏み込めませんでした。あざやかなチャートの褶曲をご覧になりたい方は、図書館などで、こちらの本をぜひ参照してください:
⇒日本地質学会構造地質部会・編『日本の地質構造100選』,2012,朝倉書店,pp.102-103.






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