伊勢湾を越えて(3)




ランキングヘ







伊勢・三河で宮沢賢治の足跡をたどります。



二見ヶ浦





1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人達と伊勢・東海を旅しました。






〔…〕二見ケ浦に向ひ直ちに立石に行けば折りから名物の伊勢の夕凪にて一波立たず油を流したるが如き海上はるかに知多の半島はまぼろしの如くで其の風景の絶佳云はん方なしだ。

 一同二見館に宿り翌朝日の出を拝し静なる朝凪を利用して汽船にて三河国蒲郡に着し直ちに東京に向つた。(完)」

(「農学科第二学年修学旅行記」から宮澤賢治執筆部分, in:『校友会会報』第31号,1916年7月)




 「立石」は、二見興玉
〔おきたま〕神社の海上にある通称“夫婦岩”の大きいほうの岩(通称“男岩”)。“夫婦(みょうと)岩”は、その奥の海底に沈む御神体「興玉神石」を拝むための鳥居の役割をするものなのだそうです。

 「注連縄」で繋がっているのも、べつに夫婦の契りとか表しているわけじゃなくてwwww、単に鳥居だから‥‥だそうですよ:




“夫婦
(みょうと)岩”(立石と根尻岩)




夕刻の二見ヶ浦

陸影は知多半島。



 先日ギトンが行った時は、波があって「夕凪」ではありませんでしたが、薄雲を透して対岸の知多半島がよく見えました。

 距離は渥美半島(伊良湖岬)のほうが近いのですが、方角は知多半島のほうが見やすいのです。⇒地図(伊勢湾)





 ところで、↑1つ上の“夫婦岩”の写真を、じっと見てください。

 岩についている横筋(片理)の傾きが違う(逆向き)と思いませんか?



立石
 (右)


 ↑こちらの拡大写真で見ると、「立石」のほうは、奥のほかの岩と同じ向き(走向)に、ほぼ同じ傾斜の片理を見せています。「根尻岩」(女岩)だけが向きが違うのです。



 これは、1918年(賢治らが“有志旅行”で訪れた2年後)の台風で「根尻岩」が折れた際に、直した建築業者が向きを間違えてしまったのだそうですw




二見興玉神社
 境内の露頭



 ここの地質は、長瀞と同じ《三波川結晶片岩》です。“夫婦岩”も、海岸の崖の露頭(↑)も、緑泥石片岩〜黒色片岩でできています。崖の片理の向きは「立石」と同じです。

 じつは、伊勢市の《外宮》の真下を中央構造線が通っています(これは、最近の調査研究で判明しました)。二見ヶ浦は、中央構造線のすぐ南側で、《三波川変成帯》にあたります。⇒地図(伊勢湾)






 宮澤賢治は、この1916年の“有志旅行”のさい、二見ヶ浦で緑泥石片岩の標本を採取しています。

 二見興玉神社の境内で取ったのではないとすれば、いちばん標本採集のしやすい場所は、ここから東の「神前
(こうざき)岬」までの海岸(神前海岸)で、狭い砂浜に沿って多数の露頭があります:






神前岬
 鳥居のあるところ






神前海岸の露頭
 スティルプノメレンと褶曲
緑泥石片岩中に、褐色のスティルプノメレン(脆雲母)層が見られる。




神前海岸の露頭
 キンクバンド
緑色片岩〜黒色片岩の層が、屏風を折ったように歪んでいます。
キンクバンドは、褶曲と断層の中間の条件でできる変形で、
片理と平行な方向に、左右から圧迫するような力が加わっています。






 1921年の“父子巡礼”の際も、伊勢では二見ヶ浦に宿泊しています:



      ※ 二見

 ありあけの月はのこれど松むらのそよぎ爽
〔さや〕かに日は出でんとす。

(『歌稿B』#773)





二見ヶ浦海岸






∇ 本記事はこちら⇒:あ〜いえばこーゆー記




.
しおり
記事一覧を見る

ギトンの人気記事

  • 南昌山と毒ヶ森(3)
    投稿日時:2018-11-24 23:25:02
  • 札 幌 (4)
    投稿日時:2018-11-03 18:30:03
  • ハームキヤ(17)
    投稿日時:2018-08-06 04:18:09

おすすめトピックス

カテゴリーランキング

趣味全般カテゴリーの人気記事ランキング

ピックアップブログ
新着おすすめブログ