伊勢湾を越えて(2)




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伊勢・三河で宮沢賢治の足跡をたどります。



伊勢・内宮





1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人達と伊勢・東海を旅しました。






地図(伊勢湾)






 宮沢賢治の旅行記では、“有志旅行”の一行は、午前9時に京都駅を出て「神都に着いたのは午後三時」、つまり、参宮線山田駅(現在のJR伊勢駅)に午後3時着とありますが、当時の時刻表を見ると:

   京都 _9時55分 → 柘植 12時36分 東海道本線・草津線
   柘植 12時54分 → 山田 15時43分 関西本線・参宮線

 という列車の乗り継ぎが、これに該当します。



 午後3時43分に着いて、外宮から内宮というしきたりどおりのコースで、その日のうちに両宮に参詣することができたでしょうか?!……ギトンは無理だと思います。“一の鳥居”と“正宮”の間をジョッギングしても無理でしょうw


 しかも、12名という多人数です。

 しかし、賢治の旅行記は、あたかも両宮へ行ったかのように具体的に書かれています。。。

 これは‥ もしかすると‥ 12名で“手分け”したのではないか?

 たとえば、6名は外宮へ、6名は内宮へ行って、あとで話を交換して口裏を合わせた。。。??

 あるいは、三手に分かれたかもしれません!! ‥4名は外宮、4名は内宮、そして4名は、どちらにも行かずに地質調査!

 賢治が二見ヶ浦で採集した岩石標本が、盛岡高農(現:岩手大学農業教育資料館)に残っています。彼は、神社参拝をしないグループだったかもしれないのです!!



 ともかく、外宮→内宮のコースは、半日かかっても忙しいです。ギトンは1日かけましたが、忘れ物のデジカメを取りに行ったり、スタバを探して充電したりしていたので、両宮とも“正宮”の往復しかできませんでした。




〔…〕直ちに内宮に向ふ。

 五十鈴川の清き流れに顔を洗ひ大樹森々たる御苑の中を縫うて進めば其の神々しさは言語に絶し神前に対する時自ら頭の下るを覚えた。

 日露戦役の記念品を見旧街道を見物して後二見ケ浦に向ひ
〔…〕

(「農学科第二学年修学旅行記」から宮澤賢治執筆部分, in:『校友会会報』第31号,1916年7月)






五十鈴川にかかる宇治橋

正面が内宮の入口




五十鈴川
 宇治橋から上流を見る。
左の森林が内宮




五十鈴川
 内宮の手水場
石畳の段で岸に下りられる。
現在では、通常の手水舎が別にあるので、ここへ来て手を洗う人は稀れ。
かつては、手にとどまらず、ここで顔を洗ったり“みそぎ”をしたらしい。






 1921年の“父子巡礼”の際の短歌を見てみますと:



      ※

 透明のいみじきたまを身に充てゝ五十鈴の川をわたりまつりぬ

      ※

 五十鈴川 水かさ増してあらぶれの人のこころもきよめたまはん

      ※

 みたらしの水かさまして埴土
(はに)をながしいよよきよきとみそぎまつりぬ。

      ※

 いすず川 水かさ増してふちに群るるいをのすがたをけふは見ずかも

      ※

 硅岩のましろき砂利にふり注ぐいみじき玉の雨にしあるかな。

(『歌稿B』#766-770)


 「透明のいみじき珠」は、雨滴のこと。宇治橋を渡っている時から、大粒の雨で合羽(おそらく‥)に雨つぶが付いています。

 ギトンの撮った写真は冬の渇水期なので水が少ないのですが、宮澤父子の来た時は、雨が降り続いて水量が増し、河は濁っていたのです。「埴土」は、粘土のこと。

 

 「みたらし」は、手水場のこと。

 「みそぎまつりぬ」───当時は、五十鈴川岸の手水場で裸になって“みそぎ”(頭まで水に漬ける)をする人もいたかもしれませんが‥、賢治は(ここではまだ‥)そこまではしていないようです。手や顔を洗ったのでしょう。

 今は、神社も、ここをお清めの場所には指定していません。親子連れが川に石を投げたりしてますww ギトンが手を清めていたら、ほかの人も真似して洗い始めた‥←


 「いを(魚)のすがた」───五十鈴川も、当時は今よりきれいで、魚が棲んでいたのでしょう。「ふち(淵)」は、川の深い場所。←→「瀬」




 「硅岩のましろき砂利」:内宮の境内の参道には、白い玉砂利が敷きつめられています。 





内宮
 参道の玉砂利
内宮の参道には、白い玉砂利が敷きつめられている。




内宮
 正宮
正面の鳥居が“板垣南御門”。
参拝者の登っている石段が“石階”。





      ※ 内宮

 大前のましろきざりにぬかづきて、たまのしぶきを身にあびしかな。

      ※

 五十鈴川 水かさ増してはにをながし天雲ひくく杉むらを翔
〔か〕く。

      ※

 雲翔くるみ杉のむらをうちめぐり  五十鈴川かもはにをながしぬ。

(『歌稿B』#771-773)



 「ましろきざり」は「真白き砂利」。

 「ぬかづきて、たまのしぶきを身にあびしかな。」───ついにやってしまいましたねw “外玉垣”の前で、地面に額をつけて拝んだら、水溜りの泥のしぶきで、びしょびしょになったようです。

 父上まで、いっしょになって頓首したかどうかは分かりません。外宮での歌にあった「父とふたり」が、ここには無いところを見ると、賢治一人で「ぬかづ」いたのでしょう。

 父は呆れて見ていたのでしょうね。。。www



 ともかく、念願の“雨ニモマケズ”を実演できて本人は大満足。そのあと2本の歌では、‥五十鈴川は河谷いっぱいに泥水を流し、雨雲は大空を翔けてゆく‥‥と、意気揚々ですw






五十鈴川
 浦田橋から上流・内宮方面を望む。
右に並ぶ古い家屋は、「旧街道」“おはらい町”の裏側。





∇ 関連記事はこちら⇒:
旅程ミステリー:東海篇(1)




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