伊勢湾を越えて(1)




ランキングヘ







伊勢・三河で宮沢賢治の足跡をたどります。



伊勢・外宮





1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人達と伊勢・東海を旅しました。









伊勢神宮・外宮
(げくう)
正面は、“一の鳥居”






「二十八日 火曜日 〔解散〕

宮澤 賢治



 午前八時十二名よりなる伊勢参宮の一体は先生並に一同に厚く旅行中の御尽力を謝し、九時発の上り列車にて伊勢路に向つた
〔…〕

 草津を過ぎ逢坂の関を越え鈴鹿の突道を出でて後は伊勢独特の渺々たる菜種畑の真只中を一直線に南下するのである。伊勢米の産地たる安濃一志の大平野を過ざて神都に着いたのは午後三時である。

 山田市の市民は今や皇后陛下の行啓を迎ふべく混雑を極めて居る時であつた。先づ外宮に参拝し自動車にて直ちに内宮に向ふ。
〔…〕
(盛岡高等農林学校『校友会会報』第31号,1916年7月)


 ↑これは、修学旅行参加者が、学校の『校友会会報』に分担して書いた「農学科第二学年修学旅行記」の一部ですが、宮澤賢治は、帰路の“有志旅行”を担当しています。






菜の花
 斎宮(2018.3.13.)

現在の伊勢平野で菜の花を広々と栽培している耕地は、
観光用のイベントに限られています。その中でも
賢治たちのルートに近い斎宮
(いつきのみや)史跡公園。


 ⇒北伊勢の菜の花畑(動画)





 「安濃」「一志」は、現在の津市域と周辺にあった郡の名。ナタネ(:菜の花,アブラナ)の栽培が盛んなのは、水田の裏作にして、花が咲いた後はそのまま鋤き込んで稲の緑肥にするためです。ナタネ油を採るためではありません。緑肥は、水稲に不足しがちなチッソ肥料の補填として有効です。⇒ナタネの緑肥利用
 
 東北地方には裏作はほとんどありませんから、宮澤賢治は緑肥も知らなかったでしょうけれども、盛岡高等農林学校の同級生は全国から集まっていましたから、各地の農業知識の交換ができたはずです。

 「伊勢独特の渺々たる菜種畑」「伊勢米の産地たる安濃一志の大平野」という表現は、菜の花の美しい景観とともに、暖地の水稲作技術に触れた賢治の驚きを示していると思います。

 宮沢賢治は、高等農林の3年間に、それまでは興味のなかった農業に、深い関心を持つようになったのです。
 




 かれ草の

 丘あかるかにつらなるを

 あわたゞしくも行くまひるかな。

(『歌稿B』#260)




 しかし、賢治が京都から伊勢を発つまでの間に詠んだ歌は、↑これだけです。

 やはり、花より枯草のほうが気に入ったようですねw





 「山田市の市民」───現在は“伊勢市”ですが、1955年までは“宇治山田市”といいました。もともとは、外宮の門前町が“山田”、内宮の門前町が“宇治”で、1888年町制施行のさいに、両方の地名を併せて町名としたものです。





近鉄・宇治山田駅
 1931年開業
宮沢賢治の2回の“伊勢詣で”の当時には、まだありませんでした。
壮麗な駅舎は、皇族・首相等のVIP乗降駅となっているため。







 さて、宮沢賢治の2回目の伊勢訪問は:

 1921年4月初め、父・政次郎に誘われて伊勢→比叡山→法隆寺という“巡礼の旅”をしています。

 1921年の旅行では、──“宗教論争”中の父がいっしょのせいでしょうか??──“伊勢詣で”にも気合が入っていて‥w、

 ↓こうした敬虔至極な短歌を、多数創っています:



     伊勢。

      ※

 杉さかき 宝樹にそゝぐ 清
(せい)とうの 雨をみ神に謝しまつりつゝ

      ※

 かゞやきの雨をいたゞき大神のみ前に父とふたりぬかづかん

      ※

 降りしきる雨のしぶきのなかに立ちて、門のみ名など衛士
〔えじ〕は教へし
(『歌稿B』#763-765)





伊勢神宮・外宮
 参道の樹林
“一の鳥居”のすぐ内側。
上層(高木)も下層(灌木)も、葉の広い常緑照葉樹が目立ちます。




 “一の鳥居”から神域に入ってしばらくは、サカキ(榊)、クスノキ、シイ、カシなど常緑樹の多い森の中を行きますが、意外に杉は少ないようです。昔は多かったのでしょうか。。

 そういえばヒョロヒョロした松が目立ちます。アカマツは、疎林化した明るい森林に生える樹木。伊勢湾台風で、多くの老木が倒れてしまったという話も聞きました。




伊勢神宮・外宮
 正宮付近
右奥が“正宮”。その手前の空き地は、
次回の式年遷宮の時に正宮が建てられる“御敷地”

さすがに、ここまで来ると、
50メートルはあろうかという立派な杉の巨木が並び立っています。




 「清濤(せいとう)」は、清い雨しぶきの意味でしょう。土砂降りの雨が降っているようです。

 「ぬかづかん」とありますが‥、雨が降りしきる中で、跪いて泥だらけになりながら、地面に額を擦りつけたのでしょうか?

 賢治は、そうしようと提案したのでしょう。「みっともないまねはやめろ。」と政次郎氏に言われて、やめたようです。外宮では、やっていませんw ‥しかし、このあと見るように、内宮では、やっています!!(かわいそうなお父さま!www)



 「門の・み名」───外宮も内宮も、正宮(しょうぐう)……つまり本殿……の回りは、板塀が4重に取り囲んでいて、一般の参拝者は、外側から2番目の囲い(外玉垣)の手前までしか行くことができません。

 参拝者は、“板垣”(最外郭の囲い)の南側に開いた“板垣南御門”から入って、“外玉垣”越しに拝んで帰るわけです。

 “板垣南御門”を入った脇には、“宿衛屋”が置かれていて、神職が詰めています:





伊勢神宮・外宮
 正宮
最外郭“板垣”の内側。
画面左端に見える鳥居が“板垣南御門”。






地図(伊勢湾)





∇ 関連記事はこちら⇒:
旅程ミステリー:東海篇(1)




.
しおり
記事一覧を見る

ギトンの人気記事

  • 南湖と大津(4)
    投稿日時:2018-03-18 17:28:18
  • トキーオ(21)
    投稿日時:2017-11-29 19:26:45
  • ハームキヤ(17)
    投稿日時:2018-08-06 04:18:09

おすすめトピックス

カテゴリーランキング

趣味全般カテゴリーの人気記事ランキング

ピックアップブログ
新着おすすめブログ