駿河路(3)




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静岡県での宮沢賢治の足跡をたどります。



富士・三島





1916年3月、盛岡高等農林学校1年(同年4月から2学年)在学中だった宮沢賢治は、関西修学旅行の帰路、友人達と東海を旅しました。







 日沈みてかなしみしばし凪ぎたるをあかあか燃ゆる富士すその野火

(『歌稿A』#264)



 喪神の

 鏡かなしく落ち行きて

 あかあか燃ゆる

 山すその野火。

(『歌稿B』#264)






吉原
(1927年)
『ふるさとの想い出写真集 明治大正昭和 富士』(国書刊行会,1985)から
当時、富士〜吉原では、富士山の山裾もよく見えたことが分かります。


 しかし、いまカメラを持って現地へ出かけても、立ち並ぶ工場やビルに視界を覆い隠されてしまい、当時の「富士すそ」の風景を想像することはできません。。。







東海道本線富士駅付近





新富士駅

プラットフォームから。




東海道本線富士駅付近

富士市蓼原陸橋から。日没約20分前




東海道本線富士駅付近

富士市蓼原陸橋から。日没時




東海道本線富士駅付近

富士市蓼原陸橋から。日没3分後の西空







 さて、三島駅に降り立った賢治は、夜空を見つめながら、次の歌を詠んでいます:



 さそり座よ

 むかしはさこそいのりしが

 ふたゝびここにきらめかんとは。

(『歌稿B』#267)



 「むかし」そのように祈った──とは、浪人時代(1914年)の↓次の歌を指すものです:



 南天の

 蝎よもしなれ 魔ものならば

 のちに血はとれまづ力欲し。

(『歌稿B』#169)



 いさゝかの奇蹟を起す力欲しこの大空に魔はあらざるか

(『歌稿A』#170)



 しかし、いま彼に「きらめ」いたのは、奇蹟が起きることを願う渇望ではなく、もっとえたいの知れない“内なる魔物”だったと思います。

 それは、彼の中の詩人を呼び起し、跪かせようとする“異世界”の危険な誘惑だったのではないでしょうか?。。。




「夏のはじめのある晩でした。樺には新らしい柔らかな葉がいっぱいについていゝかほりがそこら中いっぱい、空にはもう天の川がしらしらと渡り星はいちめんふるえたりゆれたり灯ったり消えたりしてゐました。
〔…〕

 『蝎ぼしが向ふを這ってゐますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火
(くゎ)と云ったんですよ。』」

(『土神ときつね』)






日没後の駿河湾

沼津市香貫山から







※ 説明が不十分で、意を尽くしていないかもしれません。詳しくは、後日の《こーゆー記》で、試論として論じる予定です。



∇ 本記事はこちら⇒:あ〜いえばこーゆー記




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