日本ジャズ史と宮澤賢治
年 表




ルイ・アームストロング・ミヤザワw


日本ジャズ史と宮澤賢治



 日本に輸入されたばかりの新しい音楽“ジャズ”を、いち早く作品に取り入れたのは、あの『銀河鉄道』の宮沢賢治でした。

 日本ジャズ史最早期の年表を作ってみると:

日本に本格的なジャズが入って来たのは、ラジオ放送の開始された1925年以降
流行するのは1928年以降〜1930年代です。

 1923年…より以前の日本のジャズといえば

ごく一部のダンス・ホールや外国人娯楽場で、フォックス・トロットの伴奏としてラグタイムを弾いていた程度なのです。
しかも、アメリカで買ってきたラグタイムの譜面を見よう見まねで弾いているのですから、ジャズの演奏といえるようなものだったのかどうかも分かりません。

ところが、賢治は

@ 1923年9月末〜遅くとも年末までに、心象スケッチ「火薬と紙幣」を書き
そこでは、ラグタイム特有のシンコペの多い譜面の比喩で、稲田の上に離合集散する雀の動きを活写しています。

A 1926年に発表された詩「『ジャズ』夏の話です」は
ジャズ風のスイングしたリズムで、激しく揺れながら疾走する蒸気機関車の姿を描いています。

いったい、賢治がどうやってラグタイムの楽譜を見たり、ジャズの演奏を聴く機会を得たのか、まったく謎なのです



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1912.東洋汽船の太平洋航路船、井田一郎ら日本人青年の船上バンドを起用。日本郵船に広がる。いわゆる《船の楽隊》
1919.このころ《船の楽隊》の井田一郎ら、サンフランシスコでフォックス・トロットを知る
1920ころ。鶴見・花月園ダンス・ホールに、井田一郎を含む「宍倉バンド」出演。
1921.花月園ダンス・ホールに、《船の楽隊》出身者のハタノ・オーケストラが出演。アメリカで購入したフォックス・トロット、ラグタイム等の譜面をそのまま演奏(『日本のジャズ史 戦前戦後』収録の波多野福太郎・談)
1921-22.横浜港メリケン波止場に近い本牧の‘チャブ屋’(外国人船員用の娯楽場・売春宿)では、フォックス・トロット、ラグタイムのピアノ演奏、「セントルイス・ブルース」のレコード演奏などが毎晩行われていた
1922.来日したカリフォルニア大学グリークラブの白人ダンスバンドが、ラグタイムなどアメリカのヒットナンバーを“ニッポンノホン”で録音。本場のフォックス・トロットが日本で演奏された最初
1923.井田一郎ら神戸で日本人初のジャズバンド「ラフィング・スターズ」結成
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1923.9.30.宮澤賢治「火薬と紙幣」書く。年末までにテキスト確定。24.4.発行
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1924.東京で石井善一郎と学生ら、米国の白人ジャズを模範に「コスモポリタン・ノヴェルティー・オーケストラ」結成。また、慶応大学生菊池滋也らの学生ジャズバンド活動開始
1925.大阪・道頓堀の松竹座とダンスホールで井田らジャズ演奏、その後関西各地に広がる
神戸で、アル・カンタラのフィリピン・ジャズバンドが活動
横浜で商社員ウィリアム・キルドイルのバンド、ダンス倶楽部でジャズ演奏開始
法政大学生の「ラッカンサン・ジャズバンド」活動開始
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1925.3.1.東京JOAKが日本最初のラジオ放送開始。同年中に大阪、名古屋でも開始。これらは1927年NHKに統合。
放送出演:「コスモポリタン・ノヴェルティー・オーケストラ」「大阪三越少年音楽隊」等(本格的ジャズではなかった)/「キルドイル・バンド」「カーロスCショウ・ジャズバンド」「アルカンタラ・バンド」等(本格的ニューオリンズ・ジャズも演奏)
1925.7.欧米帰りの奇術師天勝の一座が横浜・喜楽座で帰朝公演し、シカゴの「カーロスCショウ・ジャズバンド」(黒人とハワイアン)による本格的なニューオリンズ・ジャズの演奏とジャズダンスを披露。
1925.7. 大阪ニットー・レコード、フィリピン系ジャズバンドの演奏レコードを発売。本格ジャズ国内盤の初め。11.ニッポンノホン、「カーロスCショウ・ジャズバンド」演奏のニューオリンズ・ジャズのレコード発売。
1925.このころから上海・虹口の‘日本人租界’でダンスホール、カフェー等隆盛、アメリカ、フィリピンから来たジャズメン多し。以後、日本人バンドマンの上海‘ジャズ留学’盛ん(映画『上海バンスキング』参照)
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1926.宮澤賢治、雑誌『銅鑼』に「『ジャズ』夏のはなしです」を発表。
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1927.JOAK(NHK東京)で、洋楽主任・堀内敬三、JOAKジャズ・バンドによるアメリカ最新ヒットナンバーの演奏放送を開始。本格的黒人ジャズを避け、ポピュラー・クラシック風のシンフォニック・ジャズなど。
1927.初夏〜秋、松竹が招いたフィリピン人バンド「カールトン・ジャズバンド」来日、浅草、道頓堀で演奏、ラジオ放送出演、ニットー・レコードで録音。
1928.1.慶応大学生菊池滋也ら「レッド・エンド・ブルー・ジャズバンド」第1回演奏会、以後活躍。アドリブの少ないポピュラー演奏を中心とする。
1928.井田一郎バンド、東京に移り大ブレイク。全国的なジャズ流行始まる。
フィリピン人ジャズ・ピアニスト、フランシスコ・キーコ来日。ピアノ・アドリブソロを日本に普及さす。
1928.3.〜9.上海から「ディキシー・ミンストレルズ」(黒人、フィリピン人)来日、上野博覧会でニューオリンズ・ジャズ演奏、ショー公演。
1929.アルカンタラのフィリピン・ジャズ・バンドも東京に移転。


(奥成 達『宮澤賢治、ジャズに出会う』,pp.29-30,116-117.
 毛利眞人『ニッポン・スウィングタイム』,pp.23,25-27,32-34,38-42,100-101,104-114,118-127.)


∇ 本記事(『火薬と紙幣』)はこちら
⇒:〜ゆらぐ蜉蝣文字〜 8.8.2

∇関連記事(『「ジャズ」夏のはなしです』)
⇒:荒川の碧き流れに(47)








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