戻らない8年の罪に母の謝罪

学業と水商売の両立は結果2ヶ月で終わりを迎える。

結局私がまともに学校に行けたのは2ヶ月間。

残りの一ヶ月は行ったり行かなかったり。

連絡をせずに勝手に休むこともあった。

そして3ヶ月目に退学となった。

退学までの間、私の味方になってくれる人と出会った。

今までのことを全て話し、「親と縁を切りたい」との願いにも協力してくれる。

暫く表に出ない間、身を隠す場所も幾つか提供してくれる。

上京してから知り合ったため両親も知らない。

地元の知り合いとは一切の連絡を絶つ。

捜索願が出されても、成人を迎えるまでどうにか逃げ切れるんじゃないか。

そんな環境が整った。

そうして私は学校へ行く必要がなくなった。

退学まではあっという間だった。

学校から実家へ連絡が行く。

両親が東京へ、退学の手続きをしゲストハウスの退去。

約100万円の学費も戻らない。

携帯を変えたため私とも連絡が取れない。

親はひどく激怒していた。

その様子が分かったのは、母が私のフリーアドレスを知っていたから。

唯一の連絡手段、見てるか見てないかも分からない。

ただ最後の手段として、そこに逐一連絡が来ていた。

「あれだけの迷惑をかけておいてまだ気が済まないのか」

「学費まで払ってやったのに」

「お前はもう家の娘じゃない」

「家の敷居をまたぐな」

「二度と顔を見せるな」

普通、人はここで「申し訳ない」と思うのかもしれない。

でも私は普通に育てられたわけじゃない。

母の方から私を拒絶してくれたことに、喜びしか感じなかった。

出してくれた学費が戻らないと聞いた時も「ざまあみろ」と思った。

母からのメールは全て目を通していた。

返事もしないし謝罪もしない。

目を通してないとも思えるように、うんともすんとも言わない。

ただ感情的になっている母の様子を観察するだけ。

この事実だけに目を向ければ、私は親不孝だ。

批判されても仕方がない。

だけど、今でも思う。

事の真相に目を向けるべきだと。

母から一週間ほど毎日怒りのメールが届いた。

ようやく届かなくなったと思った翌日、今までの母とは違う様子だった。

私に「帰ってきて欲しい」と懇願している。

「貴女の取った今までの言動、私が貴女にとった言動を振り返りました」

「私は自分の意見を貴女に押し付け、追い詰めていたことに気付きませんでした」

「子育てとは、子供の声をちゃんと聞いて子供と一緒に自分も成長していく」

「私はそれが出来ていませんでした」

「貴女が精神的に悩み、自分の体を傷つけていたのに」

「そのサインにすら気付きませんでした」

「もし私の行為が許されるのなら、お願いだから一度帰ってきてください」

そんな謝罪が届いていた。

私はすぐに削除した。

今までの8年間はどうやっても取り返せない。

なのに、許さなきゃいけない?

8年間という日々が私にとってどんなだったか。

それをこの謝罪で許せと?

私の思いが、苦しみが、たとえ私が今から母に同じ仕打ちをしたとしても

全ては伝わりきらない。

私は母を許すことは出来なかった。

縁を切るという作戦は止められなかった。

だけど、またしてもそこで私の体に異変が起きる。

幸か不幸か、不本意ながらその作戦は中止せざるを得なくなった。
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