Love Rescue

物語に宿る記憶について

【カルティエ・1993】

「母がね」
新宿3丁目の明治通りの交差点で信号待ちをしている時、エマが言った。季節はもう12月になろうとしていて、通りに立つと足元から腹の底まで冷えるようだった。俺は客から買ってもらったカシミアのコートの襟を立てて、時々身震いした。
「母がね、乳がんなんだって」
俺は、それがどのくらい深刻な状況なのか分からなかった。でも俺の祖母は最後は甲状腺がんだったと思い出した。あれは壮絶な死に方だった。でも俺の中ではあの死に様が、ガンと繋がっているイメージはなかった。
「そろそろ、覚悟しなくちゃね」
エマはそう言って、俺の左腕に自分の手を回した。信号が青に変わり、俺はなんて声をかけたらいいのか分からず、うつむいたまま横断歩道を渡った。

エマは、俺のようにいかがわしい商売の世界の人間ではなく、都内の私立大学に通う大学生だった。実家も都内で、よく東京の田舎の生まれなんだって言っていたけど、青森育ちの俺には遥かに大都会の街だった。俺にとっては、22時を過ぎても乗れる電車がある街は全て大都会だと思っていた。東京に住んで3年が経っていた時でも。俺が生まれた田舎じゃ、22時を過ぎたら裏路地を歩いているのは無職のキチガイ女かアル中オヤジばかりだ。

エマは俺の素性はよく知らなかった。
夜の仕事のことや、付き合っている女たちのこと、客たちのこと、俺が每日どこで何をしているのか、そんなことをウソをつくつもりはなかったけど、言うタイミングを逃したせいで俺はもう何も言わなくなった。

俺は、小金持ちのババア専門の男娼だった。冴えないデブのババアの恋愛ごっこに付き合い、だらしない裸を見て見ぬふりをしてセックスする仕事。目的?小銭稼ぎだよ。このババアぶん殴ってやろうかと思いながらも、勃起してみせておひねりもらう最低の仕事。
もっと他に金を稼ぐ手段はあったんだろうけど、我慢したほうがよかったから我慢した。

仕事以外でも、いろいろとトラブル続きの女関係ばかり。好きな女とは連絡がつかなくなったり、悪いことを考えているのに好きだと言われたり、純粋にひたむきに生きているはずなのに悪党呼ばわりされていたり。

金をたんまりと稼いでいるのに、紐でもついているかのように每日財布から金が散っていった。周りの女たちが困った状況になれば、俺が出ていってすぐに金で解決したからだ。だから、自分のことにはほとんど金を使っていなかった。
このコートも、バッグも、靴も、時計も、全部客が買ってくれたもの。それはすべて俺の好みでもないし、俺に似合うものでもない。俺は白いジャックパーセルを履いて、自宅近くの「おふくろ」って名前の定食屋に行って、料理が来るまでの間に週刊マンガを読むのが好きな、冴えない男のはずだ。
でも俺は、自分じゃ選ばない気障な服を着て、自分じゃしないようなセックスの仕方を生業にして、自分じゃ絶対言わない軽口をほざいて、普段しない笑顔を振りまき、それで得た金のほとんどを女たちを助けるために使い切っていた。

そんなことをエマは知らない。
エマにとって俺は大学生だということになっていた。ほとんど大学に行っていない髪の毛の色がちょっとおかしいやつくらいのもの。

エマと知り合ったのは偶然で、でもそれを運命なんていうほど俺はもう子供じゃなかった。
その年の夏の夜。彼女が通う大学の近く、御茶ノ水の聖橋のたもとにあった公衆電話の前で、エマが転ぶのを偶然目撃したんだ。道路の段差に躓いて派手に転んでしまった。俺は客のババアの住むマンションに訪ねていった帰りだった。仕事が終わると決まってめまいと吐き気がしたもんなんだが、その日も例外ではなく今にも吐きそうだった。よろめくようにゆっくり歩いていると、派手に転ぶエマを見てしまった。
「大丈夫かよ」って駆け寄った。それがエマと出会ったきっかけ。
正直、そんなことをしたら面倒なことが起こるだけなのも知っていたけれど。あの時代の東京では、下手に親切心を見せたら付け込まれて金も立場も奪われかねかったんだ。

エマは、その頃流行っていたイギリスのバンドのライブTシャツを着ていた。ふと19歳の時に一緒に過ごしたあのパンクを思い出した。エマは肘から血が出ていて、それを俺の持っていたハンカチ(客から貰ったばかりの白いハンカチ)で血を拭いた。
エマは19歳だと言った。俺より学年で2つ下だった。
俺は血で汚れたハンカチを川に投げ込んで捨てた。
「ひでえ!」エマがそう言って笑った。

そこからはまあ、よくある話。その日の夜にエマに電話をかけて、よかったらご飯でもどう?って誘うと、喜んでくれた。

当時遊んでいる女たちも多かったけど、エマは夜の仕事とは無縁で、明るく笑顔で喋るちょっと幼い子だった。夜の世界で俺が馴染みのある、細くておっぱいが大きくて髪の長いタイプではなく、背が低くてお世辞にもおっぱいは大きくなくボブヘアの素朴な子だった。ラーメンが好きで、餃子はいつも二枚食べて美味しいねって言うような。

ただ、エマのセックスはこんな世界の俺でも見たことがないほど派手だった。時折、エマが風俗嬢なのではないかと疑ったりもしたが、まさかと思って考えるのを辞めた。風俗嬢だったらきっと人気になることだろう。

12月になろうとするある日。次第に翳ってきた新宿の路地で、俺が言う。
「おかあさんが死ぬかもしれないっていうのに、落ち着いているんだね」
2人で歩いている道路の横を、大きな音でトラックが通り過ぎていった。
「そうね、母はライバルだから。わたしには」そうエマが言った。

母がライバル、か。俺には分からないなと思ったが、もう何も言わなかった。

その年の年末。エマの母親の様態が悪化して、亡くなってしまった。年明けにどこか旅行行こうかって話をしていたんだけれど、それは延期ってことになった。
葬式に行こうか迷ったけれど、こんな髪の色をしたキチガイが言ったらエマも迷惑だろうと思って、行くのを辞めた。

エマの母親が亡くなってから一週間が過ぎた頃、エマが電話が入った。
「落ち着いたから、お茶でもしようよ」そう言った。

新宿のカフェで俺が待っていると、約束の時間を2分過ぎた頃にエマが現れた。黒いタートルネックのニットに、濃いブラウンのレザーのボンバージャケットを着ていた。随分と大人びて見えた。
席につくとジャケットを脱いだ。

「見て」
エマがそう言って、左手首に巻いた時計を見せた。それは黒い革ベルトの、カルティエのタンクだった。小さい華奢なフェイスの時計で、ベルトは少し使い込まれた感じに見えた。
「母の形見なんだ」
エマは言う。物心ついた時から、母親の手首にはこの時計があった。きっと安くはない時計だったはずだけど、母親は朝から寝るときまでこの時計を着けていた。何度もベルトを交換したけれど、それはいつも黒のレザーのやつで。仕事に出かける時も、休みの日にも、いつもこの時計があった。

エマは右手でカルティエの文字盤をゆっくりとなぞりながら、言った。

「来週、予定通り函館に行こうか。アキラ行ける?」

「いこうか」
本当は客のババアとの約束はあったけど、別に変えてもらえばいい。それが嫌なら別に違うやつを呼べばいいだろ。

一度はホテルをキャンセルしたけど、またすぐに予約を入れられた。その当時、東京から函館までは、盛岡市まで2時間半かけて新幹線で行って、そこから先は「はつかり」という名前の特急列車でさらに5時間近く揺られなければならなかった。
エマが函館に行きたいと行ったのは、俺が小学生の頃の修学旅行で函館に行った思い出を話したことがあるからだった。
夜光塗料が塗られた夜景の写真が売っていて、それを家に持って帰って部屋を暗くしてずっと眺めていたこと。
そして酒に酔った父親に殴られ、その写真も破かれてしまったこととか。

「それと」エマが言う。
「アキラは大学生ではなくて、夜の仕事をしてるんでしょ?」

バレていた。

俺はすぐに答える。
「そうだよ」
「お金稼いでるんでしょ」
「それなりにね」
「だからアキラが交通費もホテル代も全部出してくれるんだね」
「そういうこと」

なぜバレていたかは分からない。

「きらいじゃないよ、そういうの」

エマはそう言って、またボンバージャケットを着た。「焼肉おごってよ」

その夜は知り合いの韓国人が経営している焼肉屋に行った。黒いニットを腕まくりして、エマはカルビを焼く。カルティエが焦げるよと俺が言うんだけど、母はいつもこうしてたと言って気にする素振りもない。

「どんな仕事なのか教えて。どんな人がいるのかとか」

俺は少し戸惑ったが、仕事のことをエマに話した。客のことも、店の仲間のことも。エマは興味深そうに聞いて、驚いたり笑ったり。かといって、特に感想を言うわけでもなく。
その後、近くのラブホテルに行った。
カルティエの時計を外してジャケットのポケットに入れて、またいつものように猟奇的で暴力的なセックスをした。
ババアともこんなことするの?とエマは言ったけど、まさかだろと俺は言う。
ババアが喜ぶのは、好き好きちゅっちゅーみたいなママゴトだぜ、と。エマは大笑いをしていた。

でも、もうそんな仕事も終わりにしたいんだよね、と俺は言った。冷蔵庫から瓶入りのコーラを2本出して飲みながら。

「そう簡単に抜けられるものじゃないんでしょ」とエマが言う。
「ずいぶん詳しいね」俺はびっくりした。
そう、荒っぽい世界だし、腕の一本も折られても不思議じゃない。コンビニのバイトじゃあるまいし、今月で辞めさせてもらいますんでとかあり得ない。

まあ、そのうちなんとかなるさと思って、もう3年近くもその世界にいたんだ。

「函館でいろいろ考えましょ」
エマがそう言って、その話は終わった。「家にもう誰もいなくなったから、母親に線香あげてちょうだい」

そう言ったのでその日の夜、エマの実家に行った。きっと母親はオシャレできれい好きだったんだろう。決して新しい家ではなかったが、センスのいい調度品が飾られていたり、食器棚も美しい皿やカップが並んでいた。

「変なこと言うけど、学費はどうするの?今後」

父親は離婚して家にいないと聞いていた。
「生命保険がね、1億円おりてくるんだ」
「1億?すげえな」
「卒業したらこの家と土地も売るし、しばらく困らないよ」
土地だけでもきっと数千万円する。
へえといいながら、シャワーを借りてエマの部屋のベッドに2人でもぐりこんだ時は、もう深夜4時になっていた。

俺は、来週に行く函館のことを考えた。雪、雪が降っているだろうなと想像した。ガキの頃、雪が音もなく降り積もる夕方に、暖房もない家で凍えながら布団に入っていたこと。
雪を見て嫌なことを思い出すのは嫌だなと思いながら、寝息を立てるエマの横で俺も眠りに落ちていった。

この函館へのささやかな旅行が、俺の夜の生活の折り返し地点になるとはまだ分からなかった。

【つづく】

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