Love Rescue

路面電車を降りたそこは葡萄の香りがした C

その日、いつもより数十分長く俺の部屋にいた。理由は簡単で、また些細なことから口論になったからだった。ひどくつまらない原因だった。
俺の部屋にはその前の夜に泊まりに来ていた店の女の子のヘアピンが二個落ちていたんだ。その子は両親に風俗をやってることがバレてしまい、居場所がないので昨日は俺の部屋に泊まったというそれだけのこと。普通の男にはもちろんないだろうが、俺には有り得る話だ。

今さら俺がどういう男か知らないはずもあるまいし。でも蓮は俺を馬鹿だの最低だのさんざん罵った。俺は黙っていきいていたけど、ただ一言だけ、「さっさと帰れよ」それだけ言った。

ヒステリックになりやすい蓮はたぶん軽自動車をぶっ飛ばして自宅に帰ったんだと思う。年上なのに旦那より自由にならない不倫相手のアキラに、さぞかし腹が立っていただろう。その日はものすごい吹雪の日で、郊外出ると視界がほとんどないような状態だった。

自宅近くの抜け道で、蓮はカーブを曲がれずそのまま道路をはみ出し、道路の下へダイブした。
両脚を骨折し、意識を失って病院に運ばれたのだと、蓮の旦那が言った。
旦那は「居眠りで」と言ったが、たぶん違う。ヒステリックに乱暴な運転をしたからだ。吹雪の中で居眠りするわけがない。

それにしても、旦那がなぜ俺に電話をしてきたのかは分からなかった。
「意識はあるし大丈夫ですから」
育ちと、ついでに経済状況も透けて見えるような訛った口調で事務的に状況を説明して、電話を切った。変な男だ。

連が旦那に何か嘘をついて連絡させたのかもしれない。
事故の翌日、蓮の携帯に連絡したけれど、その時は電源が入っていないようだった。もしかしたら携帯電話も壊れたのかもしれない。

怪我をしたと言われても、俺には何もできることがない。見舞いに行けるわけでもなく、しつこく携帯に連絡することも憚られ。蓮もそれを望んでないとも思い。だから、気にしながらも俺はそのまま暮らしていた。きっと、数日経って落ち着けば旦那が携帯を買い替えてくるだろうし、そのうち俺に連絡が入るさ、と思っていた。

しかし、その後、二度と連絡は来なくなった。1ヶ月後になって携帯電話に連絡を入れようとすると、その番号は使われていなかった。

もう戻ってこないんだろうということは、俺にも理解できたよ。

その昔、新宿の夜の街で先輩が教えてくれたことを思い出した。先輩が言ったんだ。タバコを深く吸い込んでは、事務所の天井の薄暗い蛍光灯を見上げ、だるそうに煙を細く吐きながら。「アキラ、女に何かを決断させようとするときは、便所には行かせるな」

つまりね、女は必ず化粧室でリセットしてしまう。男には絶対分からない感覚だけど、女は化粧室で冷静になってしまうんだ。だからトイレから帰ってきたら違う雰囲気に変わってることが沢山ある。
女は何かのきっかけで冷静になるもんなんだ、と。


もいい機会だったと思う。不謹慎かもしれないが一度事故でリセットできたんじゃないかと俺は思った。アキラはあの死んだ元彼ではない。そう冷静に思えただろう。

「それに」俺は独り言で口に出して言った。

蓮は経済的に豊かじゃない。旦那と2人で一生懸命働いて家庭を維持しようと頑張らなきゃならない人なんだ。元彼の幻想でオナニーみたいなセックスしてる場合じゃない。これから子供も作るだろうし、その子供も2人で幸せにしてかなきゃならない。
俺もちょっとのぼせ上がっていた。俺も悪趣味な遊びだったと思う。人生が壊れていて、風俗業で必死に食いつないでるようなうんこみたいな俺が、派手なもんを見せて人妻を引きつけて遊んでいるだけ。人妻のオナニーに付き合って中出しして遊んでるだけ。趣味が悪い。最低な遊びだ。

俺の人生から連がいなくなるのは正直寂しかったけど。
でも寂しさを紛らわすように、当時、俺の仕事を献身的に手伝ってくれていた女の子を部屋に呼んでは、一緒に鍋を作ってテレビ見ながら食べたりした。女の子の彼氏との愚痴を聴きながら。
舞という20歳の女の子だった。何の屈託もなく、何を言っても笑い転げて、かっこつけるところがなく、料理の上手い家庭的な子だった。夜の世界じゃ派手な見た目をしていたけど、部屋に入れば素朴な田舎の子だったよ。
深夜に大量のアイスを食いながらずっとテレビを見続けながら、連がいないことを俺は忘れようと必死だった。

舞が言った。
「アキラさんは、40歳になったら何をしてると思う?」
40歳?9年後か。生きてんのかな。
凍って固くなったアイスクリームの表面をスプーンで削ぎながら、考えてみた。誰といるんだろう。その女は今何歳なんだろう。その女とどんな会話をしてるだろう。そもそも生きてるのか、金はあるのか、まともな社会人をしているのか、そのときもまだ俺の中の澱を処理しきれないまま苦しんでいるんだろうか。
「舞は何歳になる?」
「29歳だね」
「何をしてる?」
「アキラさんといるよ?」
「ああ、そうか」

俺がうつむいてラズベリーのアイスクリームを口に含むと、舞は笑った。「ウソだよ。彼氏じゃない人と結婚してる」
「無理だろ」俺も言って笑った。

連が俺の部屋に置いていった化粧ポーチを見つけた舞は、何も言わずに台所のゴミ箱に捨てた。プラスチックの大きなゴミ箱は、ガゴンと音を立てた。
その半年後の夏には、舞もいなくなっていくわけだけど。


・・・・・・・・・・・

その年の1月は毎日のように底冷えがした。18歳で青森から出てきて2回めの冬だったけど、東京のほうがずっと寒いと思っていた。

なつみの消えた俺の部屋は寒々しくて、深夜に帰宅するのが嫌だというより、むしろ怖かった。たった2ヶ月半でも、毎日帰りを待ってくれていた人がいなくなるのは、俺には恐怖でしかなかった。同じ思いは何度もしてきたんだ。その都度、誰かが人生から消えることへの恐怖には耐えられないと思った。

仕事帰りの深夜、俺はヒナノという19歳の女と待ち合わせしてあるカフェにいた。
ヒナノが、なつみに何があったのかをアキラに教えてやるからって言うから。ヒナノは世界で一番イヤな女がなつみだと言った。


【つづく】

トピックス

ブログランキング

人気のブログテーマ記事

テーマ:どこかの国の言葉話せる?

grp

GRP