Love Rescue

路面電車を降りたそこは葡萄の香りがした @

路面電車を降りると、低い雲に覆われた街はどこからか葡萄の香りがした。まだ6月だというのに空気が湿って暑い。
肌にまとわりつくような小雨が降っていて、路面電車の冷たい鉄の線路が濡れていた。さっき土砂降りの中を水しぶきをあげて駆け込んだコンビニで買った安物のビニール傘。音羽が俺の腕に手を回して寄り添うように傘の中に入った。

ここから先は少し坂道登るよ。そう音羽が言い、石畳の坂道を登り始める。駅前の地下の靴屋で買った安物の白いスリッポンは、石畳の上では時々滑った。
目指すはそこから500mほど坂を登ったところにある美術館。坂道は大きな木の茂みで暗く、葉っぱに溜まった雨が時折勢い良く傘に落ちてきては大きな音を立てていた。

音羽が言う。「わたしの母親は、アキラみたいな男みたら気が狂うよ?」
「だろ?」そう言って俺は笑う。
音羽の母親は俺より年下で。同世代の女性にとってはアキラは宇宙人のようなものだろう。でも、その母親も離婚してすぐ違う男と一緒に暮らしている。俺と同世代の男女は、交際を始めるとすぐに同棲するもんだ。逆に俺にはそれが分からない。

俺は今まで付き合ってきた女にとって、周囲には絶対に紹介できない存在だった。親にも、友達にも。いつも内緒の存在、秘密の付き合いだった。
17歳の時でさえ、そうだった。無理もない。17歳の時の俺は全身どこを見てもひたすらチャラく、目つきもおかしく、そして異常なほど実の母親に執着しては無視される愛情欠乏性人格障害者だったから。受け取ってももらえないお土産を修学旅行で行った広島で買ってきては、いつまでも机の引き出しに仕舞ったまま、そんな17歳。

俺は人には言えないような人生を送ってきた。普通の人にはありえないこと、常識的な人には作り話に思えるようなこと、普通の神経している人なら目を覆いたくなるような出来事、逆に狂信的にのめり込むような恋愛、子宮にめり込ませるようなセックス、ビンタしては可愛がる猟奇的な愛情、汗と愛液が目に入って滲む視界で見た都会の夜景、意識朦朧でベッドから転がり落ちては向かうバスルーム、少し熱いシャワー、THANNのボディジェルの匂い。

「アキラはアキラだよ。わたしはアキラからもう離れる気はないよ。アキラ以外は糞だよ」

うん。俺は小さく答えて、狭い石階段をゆっくり登っていった。美術館では何を展示しているのか、俺も音羽も知らないまま。

美術館見たらメシ食いに行こうか。俺はそう言った。


・・・・・・・・・・・・

1992年の秋が深まった頃。街では鮮やかな色のマフラーで首元を隠した女子高生や、ツイードのジャケットをお洒落に羽織った中年の男、リーバイスのデニムにレッドウィングの古いブーツを合わせる20歳くらいの男、長い髪を風にたなびかせ柔らかそうなカシミアのジャケットを着た20代後半の美しい女。通りをすれ違う人がみんなお洒落になるような冬の始まりだった。

俺は歌舞伎町の雑踏の中で、午後4時に友達を待っていた。同じ仕事をしている同じ年のなつみという女。もう1ヶ月も連絡がつかず、仕事にも来ていなかった。知っていたのは自宅の電話番号だけ。一体どこに誰と住んでいるのか知らなかった。電話をかけても誰も出ず、留守電にもならなかった。

ただ、毎週火曜日の夕方は、必ず待ち合わせて一緒に食事してから仕事に行こうってことにしてた。なぜそんな子供じみた約束をしていたかは分からない。なつみは仙台の泉という住宅地出身の子で、同じ東北の臭いがしたのか次第に仲良くなっていった。困ったときは助けるよって言い合っていたし、ある日は食事しながら、仕事が破綻したら田舎に帰ればいいよねって話もしていた。
熱病のように一晩中うめきながら過ごすような夜の世界のなかで、ささやかだけどまともな時間がなつみとの食事の時間だった。

都合が悪くて食事できないときは必ずポケベルに連絡があったんだけど、この1ヶ月は何の連絡もなく、当然待ち合わせ場所にも来なかった。
連絡が来ないと言えば、その夏に散々セックスしまくっていたパンクも、突然店に来なくなっていたんだ。お好み焼きにチーズを入れて食べてビール飲んだら美味しいねって言い合った翌日から来なくなった。

こうやって訳も知らされず音信不通になるのは俺が悪いのかって、毎日くよくよしていた。
俺がどうしようもないガキだからなのか、俺が気持ち悪い男だからなのか、俺が田舎の出身だからなのか、俺が退屈だからなのか。自分を責めても何も正解は見つからなかった。

なつみに、パンクに、元の彼女。みんな連絡がつかなくなるのが好きらしかった。

でも、そんな11月のある夜、突然事務所になつみが現れた。

まるで昨日も出勤していたかのように、いつもの大きなバッグを持って事務所に入ってきて、自分のロッカーの前に立っていた。
みんなが見て見ぬふりをしていた。俺は急いで近づくとなつみは目をそらした。なっちゃん、どうしてたん?って聞こうと思ったそのとき・・・
誰かが社長を呼んだのか、どんどんどんと大きな足音を立ててデブのおっさんが事務所に入ってきた。社長はなつみに指を指し、おい来いよって言った。なつみは、返事をせずロッカーとバタンと閉めて外に出て行った。事務所の他のやつらは、気づかないふりをして甲高い声で笑っていた。

すると10分ぐらいすると、スタッフの女が俺のところにやってきて、社長呼んでるよって言った。

遠くから、「アキラ!」って野太いけれど通りのいい声で怒鳴る声が聞こえていた。俺は走って社長の部屋に行った。

社長の部屋はタバコの臭いとオトコっぽい臭いと何かいかがわしい香水の臭いがした。なつみと社長は向かい合わせのソファに座っていた。社長がタバコを吹かしている。

「アキラ座れ」社長はそう言った。
俺はなつみの隣に浅く腰を掛けた。
「アキラ、お前、一緒に住んでる女はいるのか」
そう言われて、社長に言ったら殺されるんだろなと思ったのは、パンクのことだった。スタッフしてるパンクとやりまくってこの前もおれんちでお好み焼き作って食いましたとか思いながら
「いません」と言った。

「じゃあおまえ、なつみを一週間泊めてやれ」

なぜ。そう思ったけど、その場は質問できる雰囲気じゃなかった。

「いいな、なつみ』社長がなつみそう訊くと、こくりと小さく頷いた。俺はなつみの横顔をずっと見ていた。
「なっちゃん、なにがあったの」社長室から出ると、俺はなつみに訊いた。
「あとでね」なつみはそう言って、俺の腕にそっと触れた。「仕事終わったら待ってる。一緒に帰っていいかな」
「そうしよう」俺は腕にはめていたオメガの黒い文字盤を見た。夜はこれからだった。俺は今夜は二人の客とセックスする予定だった。

その秋は、一週間の予定だったはずが二ヶ月間、なつみが俺の家に住んでいた。
その理由をあらためてきいて、あまりにもオトナの世界で俺には少し理解ができなかった。


・・・・・・・・・・・

31歳の夏。俺は不倫の渦中にいた。

相手は24歳の人妻。蓮という背の高い女だった。ストレートの黒髪は見たことがないほどの艶があって、中学から高校まで陸上部だったせいかケツが丸く引き締まっていた。
目元が涼しげな美女で、出会った時はネイビーのシンプルなワンピースを着ていた。ノースリーブの腕は、はっとするほど白く細かった。濃い色のサングラスをかけたまま、俺に笑顔を向けたのが最初の出会いだった。
だが、その時、蓮の2歳年上の旦那が隣にいた。初めての出会いは、夫婦一緒の時だったんだ。

31歳の俺は、自分が不倫なんかにどっぷりはまるなんて想像すらしなかった。でも、ダメだと思えば思うほどどんどん蓮の魅力に堕ちていった。それまで俺は女性経験は普通の男の250倍はあったし、あらゆる修羅場も悦びも変態セックスも経験し尽くした気になっていたし、女はどんなものかなんて分かったつもりでいた。
だが、そんなのとんだ勘違いで。俺はまだほんのガキなんだって思い知らされることになった。

魔性の女なんて手垢のついた古い言葉があるけど、蓮を表現するにはぴったりだった。別に性悪な根性した女ってわけじゃない。優しい女だよ。でも、元から根本に持ってる破滅的ななにかが蓮に備わっていた。もしエロスってものが「落差」に宿るとしたら、蓮はエロの塊だった。
清楚でお洒落な人妻でありがながら、遭遇したこともないやり方のフェラチオをし、こんなところでこんなことしていいのかよっていうことばかりする。

ちんぽのプロとして自認していたはずなのに、蓮とのセックスで俺は射精のコントロールは全く効かなかった。深夜に密会した郊外の駐車場で、車の外にでて蓮はフェラチオした。辺りに卑猥なじゅぽ音が響き渡ってる気がした。このアキラ様がたった3分で我慢できなくなり、そのまま蓮の顔面にぶちまけてしまった。

蓮は22歳で結婚し、今の旦那は二人目の彼氏だったといった。一人目の彼氏は18歳の時に付き合った当時35歳の独身の男。この男と4年付き合ったあと別れ、直後に2歳年上の今の旦那と出会い、3ヶ月で結婚した。
35歳の男は金持ちだったがどうしようもない変態で、精神的に何か問題があるのか蓮を妹のように可愛がった。非の打ち所のない完璧な男だったが説明できない不安に襲われて別れた後、数年経ってその男は死んだ。
今の旦那は考えていることが全て理解できる同世代の男だった。女性経験は蓮の前に10人あるというけど嘘で、せいぜい1人だろうと言った。セックスは色気もなにもないが、性格は純粋そのもの。人見知りで会話も下手だけど、結婚生活をなんとか支えようと毎日必死に働いていた。こんな男と結婚したら、金持ちにはなれないけどそれなりの普通の人生があるのかなと思った。あの一人目の強烈な男ほどのレベルには何も到達しないだろうけど。

それでも俺は、18歳から22歳までこんな結婚がこの先どんなことになっていくのか、何百人も見ていたよ。
蓮が俺と不倫にはまってしまうこと、蓮がなぜこんなに悪魔的な色気に取り憑かれているのか、その理由はよく見えた。
35歳の男にあったものを、31歳の俺が持っていた。それが蓮と俺の地獄の始まりだった。

最初、蓮と会う感覚は月2回程度のものだった。しかしそれは毎週になり、二日おきになり、ついに毎日になり、最後は連が仕事を終えると俺の家に必ず寄るようになっていった。

蓮はことあるごとに、俺に旦那の自慢をした。

思いやりがあって、優しくて、男気があって、自分を犠牲にして頑張ってくれて・・・
「アキラは金はあるかもしれないけどさ」とか
「アキラはカッコいい車に乗ってるかもしれないけどさ」とか
「アキラは女にモテるだろうけどさ」とか
ことあるごとに俺を引き合いにだし、旦那はアキラよりまともなんだ、アキラよりいい男なんだ、自分の両親は結婚を祝福してくれて旦那を評価してるんだ、アキラだったそうじゃないんだ、みたいに言い続けた。

しかし、バックでスパンキングしながら子宮の奥までかき回してやると、小便漏らして涎垂らしながら、「アキラ最高です、のんくんごめんなさい」って旦那に謝りながら痙攣してイキまくった。

旦那を自慢しアキラをこき下ろすわりには毎日やりまくるために1時間だけ俺の部屋に来ていた。
帰るときにはちょっと慌てて、玄関でまたしゃぶってから走って車に行き、黒い軽自動車を急発進して帰っていった。
帰る時のちょっと甘ったるい笑顔が可愛くて、俺はその不倫関係の泥沼に腰まで浸かって前進も後退もできなくなっていた。

蓮もまたその先は地獄の日々が待っていた。


・・・・・・・・

音羽が炭酸水を飲みながら言う。
「アキラは感受性強いからね。良くも、悪くも」
「ああ」

ヒールの靴で長いこと歩いたので音羽は靴擦れが出来てしまい、駅前のデパートで踵のない靴を買った。

「何を考えてる?」音羽が言う。
「何も考えてないよ」
「何か面白い話をして」

そうだな・・・そしてまた俺は過去の女たちと俺の物語を思い出しては、ぽつぽつと語り始める。
アイスコーヒーの氷が溶けて音を立て、エアコンの風の音がどこかから微かに聞こえている。

【つづく】


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